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口笛SFミステリー小説①『犯人はスイミー?』第3部:決着篇


包 囲(2061年初春@E国ブライトンの自宅)

 レオナが死亡した一件は、年が明けても捜査に進展がなく、ロンドン警察は完全に行き詰まっていた。死因と特定されたボツリヌス菌を、誰がどう使ったのか?カオルがかつて行き詰まった壁を越えられず、自殺や事故ではないはずとは推理しながら、他殺の手口が全く分からずに、関係者全員が八の字眉毛で、迷宮入りの雰囲気が充満していた。
 しかしその一方で、カオルと父ギイチ、そしてカラスのクロエは毎日忙しく動き回っていた。母が“倒れる前にスタジアムの外まで来ていた”というクロエの証言、そしてカオルが最初のシュートを空振りした視覚異常、さらには脱げたシューズの紐にあった焦げと、人工的な虫の翅の欠片。これらのピースが組み合わさるよう、仮説検証を繰り返していた。

 「でもさあ、真相を突き止めてもクロエの証言に証拠能力はないし、俺が見つけた欠片だって決定的な証拠にはならないよ。一体どうやって追い詰めればいいんだ?」
 「あんなぁ、そんなことは真相が分かってから考えりゃええねん。四の五の言わんと、手を動かしぃな。せやしどう追い詰めるかは、わいらが考えることとちゃう。レオナが決めるこっちゃ。今、わいらが考えていることがほんまやったらな。」
 「そうだね。それに俺らは科学者。犯人を検挙することが仕事じゃないしね。」
 「せや。場合によっては追い詰める必要すらないかもしれん。まぁわいらがやるだけやったら、最後はレオナがあんじょうしてくれるさかい、安心しぃな。」
 本当に俺は両親に恵まれた。犯人だってこんな風に育ったら、違った人生を歩んだのだろうに……そうよ!感謝しなさい!!って、母の言葉が聞こえた気がした。

 「わかった。ところで微生物ロボの方はどうなの?」
 「それやがな。この国に来る前にあらかた目処ついとったんやけども、レオナもおれへんし、どうしようか悩んどったわけよ。せやけど発想の転換で、何とかなりそうでっせ。」
 「えー!すごいじゃん。どんな手品を使ったの?」
 「ほんま一種の手品やな。ブロックチェーンって知っとるか?分散型台帳とか言うやつ。」
 「知ってる。やり取りが全部記録されて改竄できない仕組みでしょ。でもそれが何?」
 「わいの知り合いにすごい奴がおってな、ちょっとした機能を加えたんや。台帳に刻まれたメンバー以外がアクセスすると、それを試した時点で、関係する情報がぜーんぶ、あっという間に消えてまうという寸法。」
 「えー!そんなことしたら、全部消えちゃうんだから、無茶苦茶面倒くさいじゃん。」
 「ええねん。わいらクラスになると天才集団やさかい、みーんな頭の中に入っとって、訳なく再現できるし。逆に言うたらわいらやなかったら使いこなせん、ちゅうこっちゃな。」
 「へー!つまりその仕組みで、天才科学者同士が協働できるってことか。すごいね。」
 「せや。それで微生物ロボも急ピッチで仕上げとるから、もうすぐやで。」
 これでやっと最後のピースが揃いそうだ。いよいよ母の無念を晴らす時が近づいている。必ず俺の手で母さんの想いを遂げるよ。これでいいんだよね……母の顔が心に浮かんだ瞬間、別の想いが湧いてきた。

 「そういえばさ、母さんって南北問題の解決と、核兵器の根絶を目指していたんだよね。それも俺たちが継がないと、本当の供養にならないんじゃない?」
 「お前は何を聞いとったんや?わいは核兵器の根絶を継ぐために、さっき言うた仕組みを考案したんやで。南北問題はお前が引き継がなあかんやろ。」
 「そうか。微生物ロボを産業振興に活かすんだね。じゃあ父さんは、都市型のカラスロボを引き継ぐの?」
 「いいや、あれはレオナの地位でないとでけへん。わいはわいのやり方でやる。あいつの意志を、もっと大きな仕組みにしたろうと思っとる。」
 「それは、さっきの仕組みの話だよね。どういうこと?」
 「せや。あの仕組みを使こうて“国籍不明の科学者ギルド”を作るんや。どこの国におっても、あの仕組みを使いこなせるレベルの科学者やったら、普段の顔はそのままで、科学の理想のために研究できるっちゅう、いわば秘密結社やな。これやったらいちいち、国の思惑に科学が左右されへんようになる。どや、オモロイやろ。」
 「おー!確かに、そのレベルの科学者がそんな風に繋がったらすごいね。母さんもきっと喜ぶと思うし、核兵器の根絶にも繋がりそうな気もするよ。」
 「核兵器までは、そんな簡単ちゃうけどな……。せや、母さんで思い出した。その結社、もう名前も考えてあるんやで。」
 「えっ、そうなの?なになに?」
 「“ジェントルメン”っちゅうんや。これはな、レオナと出逢った北海道大学の源流、札幌農学校で、ある博士が言ったことなんやけども、そこの校則はこの、紳士たれ!だけやったんやと。人間形成の要諦はそれだけやって、固く信じていたんやな。わいら2人ともその話を胸に刻んでここまで来たさかい、その名前を冠してやりたくてな。」

外 道(2025年初夏@U国戦場)

 その夏も暑くなりそうで、既にU国では蚊の大量発生が予想されていた。というのもこの春の終わりに、U国のダムが何者かに破壊され、広域が水没してしまったからである。
 蚊は産卵から2~3週間で成虫となり、メスが産卵のために吸血し水たまりに産卵する。一匹のメスが3~4回の吸血と産卵を行うとされるので、ちょうど今頃からこの夏一杯、U国の蚊は絶好の産卵環境に恵まれることになるのだ。

 そんな中、幼少から蚊には慣れっこのアリーナは、淡々と任務の準備を進めていた。R国国防省の指示で、前年の試行を踏まえ改良した“新型の蚊ロボ”を実戦投入する予定日が迫っていたからだ。指示された整備を終え、それに搭載する毒を待つばかりの状態になったので、上官へ報告に向かった。
 拠点へ向かう道すがら、戦場の前線に似つかわしくない15歳の軍服少女には、好奇に満ちた視線が容赦なく注がれた。中には卑猥な言葉を投げかける下品な輩もいて、アリーナは眉をしかめた。しかし同時に、モスクワの肝いりで送り込まれたことも知れ渡っていて、下手に手出しはできないのだ。こうした遠巻きの野次には慣れていたが、いつ聞いても気分がよいものではない。「蚊の竜巻みたい。」……アリーナは吐き捨てるように呟いた。

 上官の部屋をノックして入室を許可された。その瞬間、どことなく下卑た表情が見えたのは気のせいだろうか。すぐに真顔に戻った彼は着席を勧めた。
 「任務ご苦労だった。準備の方はどうかね?」
 「はい。滞りなく完了しました。あとは毒の搭載を待つばかりです。」
 「そうか。予定通りだな。医師も間もなく到着するから、明日、作戦を実行できるぞ。」
 その言葉を聞き咎めたアリーナは、気色満面な上官に質問を投げかけた。
 「医師?科学者ではないのですか?」
 「ん!?そうか……君は聞かされていなかったのだな。今回搭載するのは毒ではない。致死率の高い感染症ウィルスだ。だから医師が主導する。万一搭載を誤ったりしたら、我々の方が危ないからな。」

 アリーナは凍りついた。聞いた内容の衝撃もさることながら、そのように高度な軍事機密をあっさり聞かせたということは、そもそもこの場から出すつもりがないのだと……瞬時に悟った。
 「そのような大事な情報を教えて下さるとは……私をどうされるおつもりなのですか?」
 覚悟を決めたアリーナは、わざと過剰に怯えたふりをした。子供なので怪しまれることもないだろう。相手の意図が分からないと動けない。
 「やけに呑み込みが早いな。察しの通り、本部からお前の任務解除の通知を受けた。本部で何やら罪を犯したらしいな。そのせいか、どうせ戻っても刑務所送りだし、身柄を私に任してくれた。つまり現場で好きにしていいということだ。そこで、私が考えたことを教えてやろう。実はこの部屋には地下室があってな……」
 そう言って立ち上がった上官は、本棚の方へ体を捻った。ずっと怯えて身体を縮こまらせる振りをしていたので、油断したのだろう。無防備な背中を見せたその刹那、素早く動いたアリーナが手にした鋭利な金属片が、上官の背中から心臓を正確に貫き、上官は声も上げられず床に崩れ落ちた。
 そこからの対応は素早かった。向かった先の本棚で地下室へのスイッチを見つけ、上官と金属片をそこに押し込め、原状復帰。補佐役には「自分の報告は完了して、上官はトイレに向かった」と告げ、なにげなく拠点を後にした。まとわりつく視線を躱しながら、徐々に人気のない方へと移動。尾行がないことを確認したアリーナは、その場で制服を脱ぎ捨て、下着姿で戦場へと一目散に向かったのだった。

謁 見(2059年初夏@E国女王の宮殿)

 「女王様、お目にかかれて恐悦至極に存じます。」
 「そんなに畏まらなくていいのよ。いらっしゃい、アリーナさん。よく来てくれたわね。」
 アリーナは今、U国で有名な科学者になっている。今回女王に招聘され、E国連邦の発展途上国における“国防と産業振興を考えるボードメンバー”として、採用がほぼ決まり、女王との最終面談に臨んでいたのだった。

 「貴方も、もう50歳になろうとしているのね。まだ15歳の貴方が、勇気を振り絞ってU国へ投降し、R国の生物兵器使用を白日の下に晒したのを覚えています。あれは世界中の女性に勇気を与えたわ。そればかりか、あの長い戦争を終わらせた功労者なのよね。公表はできないのでしょうけれど。」
 「全てご存知なのですね。はい。私がU国で1年かけて蚊ロボを再現、それに毒やウィルスではなく、精神を高揚できなくする薬剤を搭載し戦場に投入。戦意が上がらぬR国軍が内部分裂を起こし、停戦合意の引き金となったのです。しかし蚊ロボは本物の蚊に紛れ、電源が尽きたら地中で分解され、証拠は残らないはずですが……、よくご存じで。」
 「R国にも良心ある科学者はいるわ。貴方もよく知る人よ。国全体が間違った方向へ突き進む中で貴方を逃がそうとしたの。でも実際に逃げ切れたのは、貴方の才覚だと思うけど。」
 「……。」
 「すぐには呑み込めないでしょうね。でもどうか彼女を恨まないで。彼女が僅かな可能性に賭け、貴方がその賭けに勝ったからここに居るの。恨むべきは、ただ漫然と間違った方向へ突き進む政治家と、それを簡単に支持してしまう“考えない人たち”……。」
 “恨むべき”と聞いて、アリーナの脳裏にかつて殺めた上官が浮かんだ。顔ははっきり思い出せないが、あの時に感じた吐き気を催すような嫌悪感は、今でもありありと思い出すことができる。

 「話してくださり感謝します。そうだったのですね。真実が見えていませんでした。」
 「それは仕方ないわ。貴方が足りないのではなくて、世の中が複雑すぎるのよ。それはそうと、今回の申し出は受けて貰えるのね。」
 「身に余る光栄なのですが、私みたいな者に務まるのでしょうか?」
 「むしろ貴方でないと駄目なの。科学を人類全体、あるいは地球全体のために使える人。それには相当の勇気が必要だと、私は知っている。貴方にはその勇気があるからよ。」
 「……何て勿体ないお言葉を。ありがたき幸せに存じます。身命を賭して任務に邁進する覚悟が、たった今、持てました。」
 「そんな、大袈裟よ。貴方なら大丈夫!信頼しているわ。」

疑 惑(2059年中秋@E国女王の宮殿) 

 アリーナは宮殿に向かっていた。今日はJ国の鳥類学者が来ているという。この人物の噂は聞いたことがある。アリーナと同様……いやそれ以上に、途上国の産業創出に寄与してきたと言う。女王様は自分と比べる気なのだろうか?そんなの嫌だ。私一人でも十分働けるのに、どうして?久しく忘れていた闇が、また心に渦巻くのを感じていた。

 宮殿に着き、女王様にご報告があるのでと取次ぎを頼んだが、来客中なので待つように言われた。しかしざわつく心は止められない。あの貧しい暮らしから、四面楚歌の状況を何度も切り抜けて、やっとここまで来たのよ。また切り捨てられるのは嫌!イヤなの!!
 気付いたら監視の目を潜り抜け、女王の部屋に来ていた。扉に耳を寄せると、僅かに会話が聞こえる……まぁ素敵!……普段は聞いたことのない高揚した声だ。もっと内容が知りたいと耳を澄ませていたら、突然扉が開き、女王が顔を出した。
 「あら、アリーナさんだったの。何か御用?」
いつもと同じ対応だが、確かに少し高揚感が見て取れる。でもどうして私が居ることが分かったのだろう?
 「ああ、それはね、今訪ねてきている鳥類学者の方がセンサーで探知したの。文鳥型のセンサーなのよ。凄いでしょう?誰か扉の外にいるから見てきてくれって。貴方もそうだけど、世の中には凄い人が沢山いるものね。ところでどんな御用かしら?」

 努めていつもの雰囲気で何かを報告したはずだが、はっきり覚えていない。扉の外にいる私まで探知できる鳥型ロボ。私の虫型には探知機能がない。……負けている。この想いが心で勝手に膨らんで、耳で確かに聞いたはずの女王の言葉を変換してしまった。「世の中には、貴方“以上に”凄い人がいるものね。」駄目だ!このままでは、また居場所を失ってしまう。
 そんなことを呟きながらうわの空で歩いていたら、蚊に刺された。こんな季節に蚊?刺されたってことは、まだ卵を産むつもり?U国に移ってからは、様々な虫型ロボの開発で戦争からの復興に貢献してきたが、この心境で改めて見た蚊で、またR国での苦い体験が浮かんできた……と同時に、あの時心に渦巻いた闇の感覚も。
 こんなもの、まだ残っていたんだね。やっぱり私はサハの田舎者なのかな。必死に生き延びてきたけれど、女王様に謁見できるほどの人間なのかしら。だって私、全体のため……なんて一度も考えたことない!いつだって自分のことばかり考えて、ここまで来たの。女王様も、私になんて、声かけたことを後悔していらっしゃるに違いないわ。……じゃあ身を引く?おめおめとU国に帰るの?そんなアリーナの脳裏にふと、“蚊の竜巻”が浮かんだ。そうよ!大勢の中に隠れるの。私はそれで戦争まで止めた女よ。それが私。私らしく生き延びてみせるんだから。

決 着(2062年中秋@E国女王の宮殿)

 女王様に招かれて、片側のソファにギイチとカオル、そして女王様の横にはアリーナが座っていた。レオナが死んだ真相を突き止めるために、ギイチが女王様にお願いしたのだ。
 「今日は、レオナさんが亡くなった件についてお話ししたいと、夫のギイチさんに頼まれてお集まり頂きました。アリーナさんは初対面よね。私もギイチさん、カオルさんとお会いするのは初めて。レオナさんには、短い間でしたがお世話になりました。これから大いに期待していた矢先に……残念です。ではここからは、カオルさんにお任せしていいのかしら。」
 女王様のご挨拶を聞き、アリーナさんの目が怪しく光ったのを、俺は見逃さなかった。さあいよいよ母さんの弔い合戦だ。俺はアリーナさんから目を切らず、話し始めた。

 「ご紹介に預かりましたカオルです。アリーナさん初めまして。今日はお時間有難うございます。最初に申し上げておきますが、私は母を殺害したのが貴方だと思っています。しかし、それをそのまま警察に伝えるつもりはありません。今日ここでお話しすることは“この場限り”と言うことで女王様にもご了承を頂いています。安心してお話し下さい。」
 「そうだったのね。ではまず、なぜ私が疑われているのか……聞かせて頂こうかしら。」
 「勿論です。まず私たちは、警察も知らない3つの事実を知っています。一つは、母が死の直前に、私が試合をしているスタジアムの外まで来ていたこと。そして、ピッチ上で私の靴に付着した虫の翅のような欠片。もう一つは、私がゲーム中に発症した視覚障害。」
 虫の言葉に僅かに反応した。狼狽?微妙過ぎて分からない。相当鍛えられている人だな。
 「医師に尋ねた所、その症状は、ボツリヌス菌中毒の初期症状に酷似していました。そう、母の死因となった薬物です。この菌は猛毒ですが、微量であれば腸内細菌が抵抗し、問題を生じません。しかし血中に直接注入された場合は、その限りではないのです。この事実と、私の靴に付着した欠片とを考え合わせると、一つの仮説が浮かび上がります。そして貴方の経歴が、まさにその仮説を裏付けるものなのです。聞いて頂けますか?」
 「興味深いお話ね。いいわ、聞かせて頂戴。」
 「ありがとうございます。まず母の死因はボツリヌス菌で、血中に直接注入された可能性が高い。警察が行き詰まった通り、人にこの犯行は無理でしょう。どうしても証拠が残ってしまうからです。そこで私たちは、貴方が蚊ロボットを使ったと考えました。犯行後は本物の蚊と行動を共にし、電源が切れたら地中で分解される。あまりに小さく、証拠を残さないので、容易に完全犯罪が成立します。」

 「……と言うことは、証拠はないのね。」
 「ええ、私たちは警察ではないので。ですからここからは科学者の視点でお話しします。貴方は蚊ロボで、一体どうやって母だけを狙うことができたのか?そこをコントロールできなければ、この犯罪は成立しません。貴方が以前R国で作った蚊ロボは、そうしたセンサーを備えていなかったはずですよね。」
 「そうね。戦争だったら敵の拠点近くに投入すればよいけれど、個人を特定する機能なしに街中で使ったら、無差別殺人になってしまうわ。」
 「おっしゃる通りです。しかし臭いセンサーを着けたらどうでしょう?蚊は常在菌が発する臭いを好むそうなので、その研究を発展させればロボットにも搭載できそうです。」
 「私がレオナさんの常在菌を分析し、その臭いで特定したと言うのね。科学者としては研究意欲を刺激される話だけど、以前として裏付けのないお話よね。」
 「いえ、それだけなら私たちもこの場は設定しません。ここで鍵となるのが、私の靴に残っていた欠片です。母は雰囲気だけでも味わいたくて、たまたまスタジアムの外に来た。そこで貴方の蚊ロボに刺されたのでしょう。しかし何かの理由で菌を使い切れなかった。すると蚊ロボはスタジアムの中に入り込み、試合前のロッカールームで私を刺した。それが後半ロスタイムに起きた視覚異常の理由です。母を刺した後だったのでその程度で済みました。そしてその後も蚊ロボは、菌はないが私の足にまとわりつき、シュートの際に運悪く私に破壊されてしまった。その欠片がこれです。」

 「今の話が本当だとして、それがどうして、わたしが犯人だという証拠になるのかしら?」
 「常在菌は遺伝するのですよ。そして特に私は、足の臭いがきついのです。蚊は母の臭いを追うように設定されていたのが、途中から私の臭いの方が強くなって、そちらを追うようになった訳です。」
 「仮説としては面白いけれど、依然として私には繋がらないわね。」
 「盛り上がってるとこえろうすんまへんが、そこはわいから説明させてもらいますわ。カオルの臭いはきっついですが、レオナはそれほどやおまへん。そんな微量でも探知できるほど優秀な研究者なんて知れてます。わいの伝手で探して訊き出しましたで、あんさんの名前を。最近よう問い合わせたそうでんな。えらく呑み込みが早かったんで、よく覚えてはりましたわ。」

 「そうだったの……確かに私に繋がるわね。でもそれだけで私を有罪にできるのかしら?」
 「まあ弱いでしょうな。せやし、あんさんを有罪にするのが目的やあれへんよって。」
 「えっ?どういうことかしら。レオナの仇を打ちたいんじゃないの?」
 「話していて確信したのですが、貴方は母のことを覚えていないのですね。」
 「どういうこと?職場の同僚ですもの、覚えているわ。」
 「そういうことやない。お互い子供の頃の話や。あんたら、会ってるやろ。」
 「えっ、子供の頃……駄目だわ、思い出せない!全てがぼんやりしているの。両親の顔も長く思い出せていないのよ。」
 「そうなの。彼女は大人になる前に、戦争の過酷な現実に巻き込まれた衝撃で、その前の記憶がかなり断片的になってしまったのよ。だからアリーナさん、私もそのことを貴方に言えなかった。でもレオナさんはすぐに分かったみたい。でも貴方が自分で思い出すまで言わないで欲しいと、私からお願いしたの。」
女王様が優しく説明を足してくれた。それを聞いたアリーナさんは驚愕の表情を浮かべている。これは演技ではない。やはりそうだったか。……ねぇ母さん、そろそろ出番だよ。

 「そうかもしれないと思って、私たちは母の遺品をくまなく調べました。そうしたら出てきたのです、当時の日記が。そう言えば、さっきのご質問に答えていませんでしたね。私たちの目的は、母と貴方を再会させることです。だからここからは、母が貴方を導いてくれるでしょう。私たちも知りたいのです。母と貴方の絆がどれ程のものであったのかを。」
 「……わかりました。私も取り戻したい。失った私の人生を。でも、どうすればいいの?」
 「ありがとう。でも何もする必要はありませんよ。ただ私の話を聞いて、心に浮かぶイメージを教えて下さい。過度なストレスを感じたら止めますからね。くれぐれも無理は禁物です。思い出そうと頑張るのは逆効果だと、精神科医である父が教えてくれました。」
 「これは解離性健忘いうらしいわ。ほんまは医師のわいがやるべきなんやけど、この場合に限っては、レオナの息子がやるのが一番やと思うさかい、わいらを信じて任せてや。」
 アリーナは強く頷いて、深呼吸した。それから目を閉じて言った。「いいわ。始めて。」

 「ではまず、蚊を思い浮かべて下さい。それも一匹でなく沢山、それが渦を巻いています。貴方はこれを何というか、知っていますか?」
 「知っている。“蚊の竜巻”って言うの。でもどこで見たのかしら。メスの周りにオスが群がっているのよ。メスは賢いわ。吸血しないオスまで悪者にして、隠れているのだから。」
 「そうです。そして貴方の人生では、随所で悪い人にそのイメージを悪用されてきた。」
 刹那、もの言いたげな表情を浮かべた女王様を目で押し止め、俺は先を続けた。

 「しかし“蚊の竜巻”を見て、ロマンチックだと貴方に話した人がいました。これからその人が貴方にした話をしますので、感想を聞かせてください。とても短いお話です。」
 そこで俺はスイミーの話をした。聞きながら、アリーナの険が和らいでゆく気がした。
 「ひとりとみんな。なんだか心が温かくなる話ね。……そうだわ、私はこの温かさを知っている。その時、ひとりじゃないって思った。誰かが隣に居た気がする。」
 「では、この音を聴いて下さい。どんなイメージが湧きますか?」
 俺は、レオナが口琴大会で準優勝した時の曲を聴かせた。もちろん本人の演奏ではない。日記を基に口琴協会に問合せ、別の人にムックリで演奏して貰ったのだ。
 「この音……知っているわ。まるで大地の神様が語りかけてくるような感じ。」
 「では続けて、この音は?」
 今度はアリーナが優勝した時の曲だ。別の人がホムスで演奏してくれた。
 「ああ懐かしい!沢山の馬が走っている。そう!ここから速くなるの。凍てつく大地が見える。でも家の中は暖かいの。これは私の演奏?そう、新年をお祝いしているのだわ。」
 俺は女王様にお願いして、宮廷料理人が作ったストロガニーナをテーブルに置いていた。その匂いも演出効果を高めたが、さらに女王様にそれを口に運んで貰い、味覚も刺激した。
 「ヤクートでは悪霊を欺く為に、出生時に付けた名前を伏せ、ニックネームで過ごすそうですね。そして新年を迎える時にだけ、本当の名前で呼び合うのです。そして、貴方の名前はレナ。サハを貫く大河から付けられた。」
 アリーナの脳裏に、両親の笑顔が戻った。その表情の変化を、俺は見逃さなかった。
 「そう、そして今、貴方は空港に居る。人生で初めてできた親友と、大事なものを交換したのです。貴方は自分の本名を。綴りが一字違いであることを笑い合った後に、その親友が貴方に聴かせたのが、この曲です。」
 俺がお腹に宿った時から、数え切れぬほど聴いた母のお気に入り。その曲を母譲りの口笛で、キーも生き写しで吹いて聴かせた。ここが勝負だ!同時に、父に軽く目くばせした。
「……!!ああレオナ!私の親友。初めての友達。もう行かないで!行くと私が戦争に連れて行かれる!大人になって一緒に働くの!2人で地球を救うんだから!!」
ストレスの増大を察知した俺は、女王様に合図し、アリーナの肩を優しく抱いて貰った。

 目を開けたアリーナに浮かんだのは、まず恐怖、そしてすぐに驚愕へ。自分が親友を殺してしまったことを理解した。俺は叫んだ。
 「父さん!」
 父は待ち構えていたように、大音量の指笛を鳴らした。それとほぼ同時に、アリーナは女王様の手を撥ね退け、部屋の窓へ突進した。
 「レオナ!ごめんなさい!!私は何てことを!!!」
 全てを理解したアリーナはその現実を受け止められず、自ら死を選ぼうとした。しかし窓を開けたアリーナの目前に、クロエが指揮するカラス軍団が立ち塞がった。投身で死ねないと悟ったアリーナは、胸に隠し持ったカプセルを取り出し、開けた。中にはおそらく蚊ロボが、そして今度は自分を狙うような設定で、飛ばした。過酷な環境を生き延びてきたアリーナは、常に自分で死を選ぶ手段を備えていたのだ。予想していた事とはいえ、俺はその覚悟の凄まじさに戦慄した。そして案の定、蚊ロボはすぐに足を刺したようだ。

 「カオルさん、ギイチさん。私のした事は許されることではありません。女王様、ご期待を裏切ってしまい、申し訳ございませんでした。かくなる上は、この命で償いますので。」
 「うちの国の武士みたいやな。ごっつい覚悟や。せやけどあんさん、死なれへんで。」
 確かに、時間が経ってもアリーナに異変が起こる様子はなかった。
 「どうして?これは一体……私に何をしたの?」
 「わいらは、全てを知ったあんさんが死を選ぶのを想定してたんや。せやから手を打っておいた。カラスもわいの鳥ロボやし、あんさんが虫ロボ使いなんやったら、さらに小さな微生物ロボで対抗したろ思うてな、こないだ完成したんや。それをさっきのストロガニーナに混ぜといた。」
 「微生物ロボ?それは何なの?」
 「そやな、簡単に言うたら“高速毒掃丸”かいな。つまり、体内で分解されない物質に運動性細菌を固定させて、高速で体内を巡らせるんや。その分解されない物質に、ボツリヌス菌を吸着させるのに苦労したで。まぁいずれトイレで出てくるわ。」
 「でも、何で私がボツリヌス菌を使うと分かったの?」
 「そこはあんさんを信じた。ほんまは人を殺せないあんたが、無理やり戦場に駆り出されたさかい、精神が自己防衛本能で記憶を消して、こうなったんや。そんなあんたがレオナを殺した。生きるために必死やったんやな。相当に無理したんやと思う。だからあんたはレオナを覚えてへんでも、義理立てするはずやと思った。それまでは自分で飲む毒を常備していた所を、自殺用の蚊ロボに切り替えて、殺し方もレオナに使った方法を踏襲するはずやと……まあ全部わいらの妄想やったが、結果的に大当たりで万々歳やったな。」

 「そう、レオナが助けてくれたようなものね。……私は思い出せなかったけど、レオナは女王様から聞いて知っていた。そんな私に殺されたと知ったら、彼女はどう思うかしら。」
 「それは息子の私から。さっきお話したスイミーの話と共に、貴方に伝えた言葉が日記に残っていました。“早く行きたければ一人で行け。遠くまで行きたければみんなで行け。”と……母はそういう人でした。その想いがやっと貴方に届いたのですから、喜んでくれていると思います。」
 「そうあの時、その言葉が私の心にとっても響いたの。そんなことを言ってくれた人は初めてだったわ。だから親友になった。でもその後にいろいろあって、大切な事に蓋をして……でもやっと私は15歳の心に戻れたのね。大切な思い出を戻してくれて、本当にありがとう!」
 「えがったえがった。でもそんな風に言ってくれるんやったら、わいらにもレオナにも恩返ししてや。実はそれがホンマの目的やねん。あんたも元に戻ったんやったら、こっから先は“みんな”でゆかんと、あかんのとちゃう?」

 「え!?……それはそう思っているし、心底そうしたいけど、そんなことができるの?」
 「やった!!わいはその言葉を待っとったんや。できる!レオナが親友と見込んだあんさんとやったら、きっとわいが思い描く“国籍不明の科学者ギルド”が立ち上がる。それこそレオナの志を継ぐことになるで。おおきに!ほんま嬉しいわ。レオナも喜んどる。」
 「そして私も、今はサッカー選手ですが微生物の研究者でもあり、何とか並行して勉強に励み、数年後には母と肩を並べるような研究者になりたいと思っています。それを貴方に応援して貰えると心強いです。それに今回、父の微生物ロボ開発に触れたことで、サッカー引退後は、医師を兼任したいとも思い始めましたので、貴方のお役にも立てるかと。」
 その言葉を聞きながらアリーナは、サハで別れて久しい弟とカオルを重ねていた。両親が生きていたら、そして戦争がなかったら、弟ともこうして助け合えたかもしれないなと。
 「そしてアリーナさん、やっと本当の貴方に会えた気がするわ。かつて親友だった2人がやっと再会できたのね。レオナさんはいないけれど、彼女の意志を継ぐ2人が貴方と共に居る。こんな心強いことはありません。そこでアリーナさん、貴方さえよければ連邦の産業振興顧問を引受けて頂きたいのだけれど、いかが?貴方がレオナさんの意志を引き継いでくれたら、彼女も喜ぶと思うの。」
 「え!?……私でよろしいのですか?」
 「もちろんよ。私は貴方の記憶さえ戻れば、最初からレオナさんと2人にお願いするつもりだったのだから。」
 アリーナは泣いた。14歳から38年間、ずっと心の柔らかい部分を塞いできた何かを押し流す勢いで、ただただ声を上げて。
 「でも、秘密結社みたいな企みは、私がいない所でお願いね。」
 女王様のささやきに、アリーナの口角が少し上がったように見えたのは気のせいだろうか……。

 その後ろではクロエの指示で、レオナがギイチと開発したカラスロボットが部屋に入り、蚊ロボを嘴に納め破壊していた。人間の5倍もある視覚を使えば、訳ない仕事だ。その完了を見届けたカオルは、心でレオナに呼びかけていた。
 終わったよ母さん。これでよかったんだよね。
 すると、ロボットのはずのカラスが、わずかに微笑んだように見えた。
 そうか……来てくれたんだ。母さん。
 そして、ギイチがクロエと会話する口笛が、まるで母からの祝福のように、優しく部屋に響き渡っていた。

<完>


第3部をお読みくださり、ありがとうございます!
以下も併せて、お楽しみ頂けると嬉しいです。
口笛SFミステリー小説①『犯人はスイミー?』第1部:証拠篇
口笛SFミステリー小説①『犯人はスイミー?』第2部:闇堕篇

ちなみにこの作品は前作『ジェントルメン』の序章でもあります。
【創作大賞2023:漫画原作部門 応募作品】
よければお手隙でお楽しみくださいませ。
第1話:Gと呼ばれる国籍不明の科学者ギルド
第2話:人間展開①~ギイチとクロエ
第3話:人間展開②~レオナとカオル

今回の創作大賞2023、他にも以下に応募しています。
オールカテゴリー部門:口笛SF短編小説②『アバターもええ公方』


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