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離婚経験を経て、改めて考える令和の「結婚とは」

去年、入籍した男友達がいた。
その子とご飯を食べる機会があったので、結婚を決意したきっかけや、結婚に踏みきった理由について聞いてみた。

彼は最初は「うーん。6年くらい付き合ってて、一緒にいるのが当たり前になって、それで自然な流れで結婚したかなぁ。きっかけとかって特になかったかも」と言っていた。

でも、その後に「そうだ。きっかけあったわ。戦争が始まったことは、ひとつきっかけだったかも」と言った。


戦争とは、去年勃発したロシアとウクライナ間での戦争のことだ。

彼の奥さんはロシア人。日本在住歴は長く、永住権も取得済みだった。でも、ロシア・ウクライナ間の戦争が始まり、ロシアが世界的に孤立している状況下となったことが、彼が彼女と結婚しようと思う背中を押したのだそうだ。

永住権を持っているとはいえ、国籍はロシア人。戦争が勃発している状況下では、いつ何時なにが起こるか分からない。「結婚」という制度を利用して、法的にも日本において婚姻関係を結ぶことで、もしなにかあったときに、彼女と、ロシアに暮らす彼女のロシア人家族を守るための選択肢が増える。

それが、彼にとって結婚に踏みきる大きな理由だったのだと話をしてくれた。


わたしは、その結婚の理由が、とても理にかなっていて、結婚というものの本質をとても適切に捉えているな、と感じた。


わたし自身、一度結婚をして、離婚を経験している。だからこそ、結婚というものについて、結婚前に比べて考え方は少し変化しているように感じる。


結婚とは、あくまでも「制度」なのだ。


結婚というのは、もちろんお互いに好き同士の二人が「家族」になって、一生と共にしようという約束というロマンチックな側面をもっている。

でも、実際に結婚を経験して感じるのは、ロマンチックな側面は、別に法的に結婚をしていなかったとしても、持続させることはできるよな、ということを感じている。

例えば、入籍はしないまま、付き合い続けるとか。事実婚という選択をするとか。令和の時代に入り、結婚の形も多様化した現在、パートナーシップや家族の形は、いろいろある。

それは、2ヶ月前近く前の記事の中で書いている。

こうやって話をしたり、笑いあったりしながら、気づけばじいちゃんばあちゃんになれてたらいいよね。その時まで、ふたりの道が別れることなく、過ごせたらいいよね。そんなことを、彼は照れ隠しのぶっきらぼうで、遠回しに伝えてくれた。それは、どんなプロポーズの言葉よりも、「愛してる」の言葉よりも、嬉しいことだった。


でも、結婚を経験しているからこそわかることもあって。
結婚とは、経済的な部分と密接につながっている。

結婚をすることで、お互いの所得税などの税率も変化する。それはつまり、結婚することで(互いの収入や仕事形態によって)経済的にメリットとなることもあれば、デメリットとなることもあるということだ。
実際、結婚をしている夫婦で、奥さんが旦那さんの扶養枠から出ないように自身のパートやアルバイトの時間を調整するというのは、よく聞く話だ。


他にも、結婚という「制度」は、パートナーを法的に守るための仕組みであるとも言えるんじゃないかな、と思う。

例えばだけれど、保険金の受取人を自分の結婚相手に設定したり、互いの資産を相手に相続させたりすることは、自分にもしものことがあったときに、パートナーの経済的安定を担保する、つまり法的にパートナーを経済的に守るということにもなると思う。

経済的な側面以外でも、結婚という「制度」は、パートナーやその家族を法的に守ることを可能にする。

例えばわたしの場合だったら、結婚という「制度」を利用することが、子どもにとってのメリットとなり得る。

わたしには、ちゃんと家族はいるけれど、高齢な親にもしなにかあったとき。そして、わたし自身になにかあったとき。子どもを信頼して預けることのできる親族は、正直いない。法的な関係上、信頼している友人などに子どもの後見人となってもらうことも難しい(もしかしたらできるのかもしれないけれど)

でも、法的に結婚をしていれば、もしわたしやわたしの家族になにか不測の事態が起こったとき、子どもは自動的にパートナーの保護下に入ることができる。それは、シングルマザーのわたしが子どものために用意することのできるセーフティーネットとも言えるかもしれない。(もちろん、パートナーがそれだけの信頼に足る相手であるという判断と信頼が前提条件にはなる)


既に結婚という経験をしていて、子どももいて、離婚の大変さも経験した。
だからこそ、結婚という精度にさして魅力も感じなかったし、差し迫るデッドラインとか焦りとかも特段なかった。どちらかというと、結婚という「制度」に対しての怖さみたいなものを感じていた。

でも、男友達の話を聞いて、時間の流れの中で、自分の結婚に対する認識が少しずつ変化していたのだということに気づいたのだった。


結論を言うと、

結婚という「制度」を利用することで得られるメリットや恩恵が、デメリットを上回るのなら、結婚することはとても理にかなっていると思う。

逆に、結婚という「制度」を利用することで得られるメリットや恩恵よりも、デメリットが上回るのであれば、必ずしも結婚をする必要はないと思う。

だって。
別に結婚していなくても、子どもは産める。
別に結婚していなくても、人生の伴侶的なパートナーシップは築いていける。

別に結婚していたとしても、必ずしも一緒に住む必要があるわけでもない。
事実婚でもいいし、別居婚でもいいし、結婚しないという選択でもいい。


いろんな選択肢がある中で、結婚という「制度」を利用することで得られるメリットが大きいのであれば、結婚すればいい。デメリットの方が大きいと感じるなら、あえて結婚をする必要はない。

令和の時代における結婚っていうのは、そういうものなんじゃないかな、と思う。


結婚って、夢や理想ではなくて、現実であって、日常だから。
一度、結婚生活を経験しているからこそ、強くそう思う。

少なくとも、今のわたしのとって、「結婚」とは、そんな感じだ。

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