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別れるかもの前提で話し合いをしたら愛がすごく深まった話

人間関係において、話し合いができるかどうかって本当に大切だ。
特に、自分のパーソナルスペースに近くなればなるほど、感謝の気持ちや「ごめんね」のひとこと、心の中に抱えているモヤモヤを伝えることって難しくなる。


結局、男と女っていうのは話し合って行くことでしかお互いのことを理解できない。言わなくてもわかるでしょの男と、言葉の裏まで深読みしてネガティヴに捉えて病んじゃう女。違う生き物同士だからこそ、ちゃんと言葉で伝え合って理解しあって、新たな視点を得ていくのかも。

とある出来事がきっかけで、パートナーに対して思うことがあった。それは、わたしにとっては相手とのパートナーシップの関係性と信頼の根幹を揺るがすような非常に大きなことだった。でも相手の顔色や仕事の都合、自分の中の恐れとか不安とか、いろいろなことがこじれていって、想っていることを話せばいいだけなのに、伝えることでの相手の反応が怖くて、いつまでも言い出すことができなかった。気づけば、モヤモヤを抱えたまま半年近くがたっていた。

時間がたてばたつほど、想いを言葉にして伝えることは難しくなっていく。恐れや不安も増していく。

それでも連日会うし、連絡はとる。いつもの日常が、自分のこころの中にある想いとは裏腹に続いていくのが、自分にとって身近な人との関係性というものだ。ちょっと気まずくなって、なんとなくLINEをしなくなったりできる「友だち」や「知り合い」とは決定的にちがう部分。


自分の中に、彼との関係性の根幹を揺るがす出来事があったことで、わたしは彼の気持ちがどんどんわからなくなり、信頼できなくなり、不安になって、重い女になってしまっていた。もちろん、わたしのこころの内の葛藤なんて想像すらしていなかった彼は、「なんか最近つむ、やたら絡みがめんどくさいな…」「なんなんだよ」「なんでいつも俺がチクチク責められてるの?」みたいな感じになっているのが、彼の態度やLINEの頻度、文面の雰囲気からもよみとれた。

このままじゃダメだ。
このまま自分の中でメンヘラをこじらせて、彼に依存みたいになっていっても、いい関係性なんて築けない。むしろ、どんどんふたりの気持ちが離れていってしまう。

だったら、リスクを覚悟で腹をくくって、ちゃんと相手と向き合って、つたない言葉でも、支離滅裂でぐちゃぐちゃなままでも、今の想いや不安をちゃんと言葉にして相手に伝えてみよう。

そんな覚悟をしたのが、この記事を書いた日だった。

勇気を出して、わたしは「半年前のことがきっかけで、信頼の根幹が揺らいでしまった。だから今、自分の人生に起こっているいろんなことをあなたに話せていない。一番身近な存在のあなたにだけ、怖くて不安で、自分の胸の内を明かすのが怖くなってしまっている。でも、それだと関係性ってダメになると思うから。だから、具体的にどうしてほしいとかはないけれど、まずは話をすることからって思って、ものすごい勇気を振り絞って、今こうして正直に自分の気持ちを伝えさせてもらったの」と伝えた。

そのときの彼の反応は、正直に言えば、100点満点ではなかった。ちょっとモヤッとしてしまう言葉もあった。お互いにとても疲れていたので、最後までちゃんと話をやり切ることができなかったというのも理由かもしれない。

それでも、彼は疲れていても、めんどくさい女状態になっているわたしの支離滅裂な話も、ただ黙ってちゃんと聞く姿勢を持ってくれた。それだけで、わたしにとってはかなり大きな前進だった。


その話し合いから1週間ほどたった日、彼とわたしの仕事のお休みが重なって、一緒にゆっくり過ごせる日があった。わたしは、彼に対して「後悔してない?」と尋ねた。

バツイチ子持ちのわたし。前の結婚生活でのトラウマを抱えているわたし。精神的に不安定になって通院しているわたし。些細なことでフラッシュバックしたり、過呼吸になったり、パニックを起こして泣きじゃくってしまうわたし。正直、めんどくさいと思う。ただでさえ仕事で忙しくて、いろんな大変なことを抱えている彼にとって、わたしは本当にあっているのかな。負担になっていないのかな。もっと気楽に付き合える女の人の方がいいんじゃないのかな。

そんなことを不安に思っていることを、ぽつりぽつりと彼に伝えた。
「後悔してないよ。つむが自分のことを『人よりも色々重たいもの抱えてるやつ』って思ってるのは、それはつむの頭の中だけの話だよ。それを言ったら、俺もつむに対して同じこと思ってる。俺よりもっと余裕のある人の方が、つむにとってはいいんじゃないのかな?って。それでも、なんだかんだでこうして一緒にいて、肌を重ね合わせて、時間を共に過ごしてるわけじゃん。お互いに同じことを想いながら、それでも結局、こうやって一緒にいる。それってつまり、"そういうこと" でしょ?」

そうか。"そういうこと" か。そうなのか。

その後、半年前の出来事についてもいろいろと彼にわたしの思いを伝えた。途中、「この話されるの、いや?」ときいた。「そりゃ、いやだよ笑 しんどいし笑 まだ半年前のこと引きずってたのかよって感じだし。でも、いやだし、しんどくても、ちゃんと聞くじゃん。つむの話なんだから」って言ってくれた。

「…それ、わたしのことめっちゃ大切にしてくれてるってこと?話を聞くこと自体が愛情表現ってこと?」って聞くと、ツンデレな彼は「んんん〜?そ〜なんじゃない〜?」っとひょっとこみたいな顔して言葉を濁した。「ねえ、ちゃんと言ってよ」とわたしが内心ちょっとニヤニヤしながら、でもちょっぴり不安もある中でプッシュする。彼のほっぺをびよーんと伸ばしながら。

「言わなくてもわかるでしょ。どうでもいいやつの話なんて聞かないし、そもそも好きじゃなかったら、めんどくさいわ!で終わるじゃん。でも、つむの話は、全部聞くよ。めんどくさくても、いやな話でも、それでちょっと傷つくことあっても。"そういうこと" だよ」

そうか。そうなのか。「話を聞く」という行為自体が、愛情の証なのか。しかも、わたしの発言で傷つくこともあるんだ、この人。すべてに対してニュートラルで「なるようにしかならないでしょ」「なにが起こったとしてもしょーがないよね」って感じの人なのに。え、なにそれ、かわいい。好き。(単純)


たくさん話をして、わたしが彼に伝えていなかったたくさんの前提があったから、彼も心配になったり、想いがすれ違っていたことがわかった。結局、一日中のんびり話をして、自分の中の不安や恐れ、信頼感の揺らぎは払拭された。その日の夜、ちょっとおねだりをして、わたしたちが付き合うきっかけになった夜景スポットに連れていってもらった。あのときと同じ場所で、でも今度はお互いが40代50代になったときの話をしたり。私の子どもが18歳になったらお互いいくつだね、とか。そんな未来予想図を、当たり前にお互いがいる前提で、冗談を言い合いながら、笑って話ができた。

約束された未来なんてない。
相手の人生における選択の自由を奪わないことが、相手への最大の愛情。
だから、”約束” という形で相手を縛らない。
束縛も、嫉妬も、しない。
わたしの過去のトラウマも知っているからこその、彼の愛のかたち。

そんな考え方の彼だから、きっと、結婚とかっていういわゆる「社会的に認められた契約」を選択することはないのだろう。
「未来もずっと一緒にいようね」レベルの約束すら、なにもしていないけれど。

こうやって話をしたり、笑いあったりしながら、気づけばじいちゃんばあちゃんになれてたらいいよね。その時まで、ふたりの道が別れることなく、過ごせたらいいよね。そんなことを、彼は照れ隠しのぶっきらぼうで、遠回しに伝えてくれた。それは、どんなプロポーズの言葉よりも、「愛してる」の言葉よりも、嬉しいことだった。


相手のことを分かっているつもりになっているだけで、実は、全然分かっていなかったんだな。それはお互い様なんだなあ。自分が相手のすべてを分かっていないように、相手だってわたしのすべてを分かっているわけじゃない。だからこそ、自分から自分の想いを伝えることって大事なんだな。

そんな当たり前のことに改めて気づいた。
これからは、ちょっとしたモヤモヤも不安も、その時々でちゃんと伝えていこうと思う。それに対しての相手の反応が「ふーん」だったとしても。聞いてくれている、耳を傾けてくれているという時点で、受け止めよう、理解しようとする意思があるということ。それは愛があるということ。

もちろん、相手のこころを傷つけないよう、相手へのたくさんの思いやりの気持ちをもった上で。


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