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芸能人妻、デビューします! 1



恋をした人の職業がアイドルだった、それだけ。

好きな人と恋をして、結婚して、幸せだったはずなのに。
私の幸せと、家族の幸せと、夫婦のあり方とは。

幸せを与える側も普通の幸せを求めたらだめですか─





アイドルを仕事としている夫の英稔紀(はなふさなるき)と結婚し、5年が経った。



当時デビューして5年目を迎えていた、夫が所属するグループstilla(スティッラ)は、メンバーそれぞれドラマや映画、バラエティなど、メディアで引っ張りだこの大人気アイドルだった。

突然の結婚に反対しない人はいないわけで、メンバーや事務所の偉い人たちにも止められた。しかし私達はそれを押しきって入籍した。

当初は極秘結婚、ということにしたかったのだが、街行く人達誰もが全員パパラッチのようなこの時代、隠すことは困難だということになり、ひっそりとファンクラブで発表した。

どんな発表の仕方にせよ、大ブーイングを喰らうのは分かっていた。それを分かったうえでの発表だったが、まだまだ人気が鰻登りだったアイドルだったからか、予想以上に激しく燃えた。
発表前に出演していたCMは差し替えられ、表に出る仕事は劇的に減ってしまった。


そんな中、私の妊娠が発覚した。

娘が生まれると、事務所はしぶしぶと私達のことを認めてくれた。その頃には夫の仕事は殆ど元に戻り、夫は以前のように忙しく、家には殆ど居ないことが多くなった。




初めての出産、初めての子育て。しかも両親は関西におり、連絡は殆ど取っていない。

「紀和(きわ)、お願いだから泣き止んでよ」

娘は、抱っこしていると大人しく眠るが、ベッドに寝かせると途端に泣き出す。
昼夜を問わず、眠りから覚めれば泣くばかりで私は睡眠不足だった。食事だって3食作ることなんてできなくて、朝食に食べようとしていたものを1日かけてチマチマ食べる。片付けも洗濯もまともにこなす余裕はなかった。

「たまにはゆっくりご飯くらい食べさせてよ」
ため息ばかり出る。
キラキラしたママなんて幻でしかないのかな。これじゃあ結婚している意味がない。ほとんどシングルマザーと同じではないか。

1人で育てるのは、苦しかった。

義実家は都内にあるものの、孫は娘だけではないので頼りばっかりするのは申し訳なく思い、1人で奮闘する日々だった。

好きだった仕事も辞め、今はもう、この広い部屋の中にしか私の居場所はない。
世界がここにしか、ない。ここが、全て。


外に出ると、夫のファンやマスコミがこちらにカメラを向けているように思えた。私は一般人なのに。どんな女が人気のアイドルを射止めたのか気になるのだろう。すごく怖い。特に、娘の存在は公表していなかったので撮られたくはない。堂々と外に連れ出すこともできなかった。

どこに行っても、私達は見られているようにしか思えない。それもまた、ストレスだった。




〈聖奈(せな)、今度ランチ一緒にどう?〉

時たま陽歌(はるか)や真裕(まひろ)などが連絡をくれるが、外で会う気力もない。

〈ごめん、娘から手が離せなくて〉

毎回、そう返している。
仲の良かった彼女たちとは、妊娠中までは頻繁に会えていたのに、産後は1度も会えていない。

産後、体型だけは元に戻してはいたが、着飾る余裕もなく、もう長らくメイクもしていない。
ドレッサーに並ぶ化粧品たちも、ただのインテリアになっている。



夫も仕事が忙しいのを良いことに、

〈今日はメシいいわ〉

とか、

〈先輩と飲んでくる〉

とか、そんなのばっかりで、家には寝に帰ってくるだけだった。

2つくっついて並んでいた寝室のベッドも、いつの間にか別の部屋に移動し、長く夫に触れられていない。




娘は日々成長している。夫に似てとてもきれいな顔をしている。

もちろん愛おしい我が子ではあるが、時々たまに、この子さえいなければ、私はもっと自由で、まだ20代の楽しい時を過ごせていたかもしれない。かもしれない、そう思ってしまう。
それはもう、戻れない。無かったことにはもうできない。
母親になるというのはそういうことだ。




そして現在。

あっという間に娘は3歳になり、私達は結婚5周年を迎えた。

夫は相変わらずで、忙しいスケジュールをこなしいていたが、突然

「俺、辞めるわ」
と言い出した。

「は?え?やめる?仕事を?」
「うん。今月で」
急すぎるでしょ。何も相談無しに。
「グループは?事務所は?今後どうするの」
「事務所は辞める。アイドルはもうやりきった。最近はグループでの活動は殆ど無いし、今かなって」
「辞めて、どうするの」
「わかんねぇ」
「稔紀ひとりじゃないんだよ?娘もいて、生活があるの」
「分かってる。けど、今のまま続けていくのもきつい」
「ちゃんと考えてよお願いだから」


夫はアイドルも事務所も辞めた。
個人事務所を設立してみたが、アイドルというブランドを失った夫に来る仕事は多くなかった。
他のメンバーは演技が上手かったり、演出に長けていたり、何か秀でている才能があったのに、夫は大してうまいわけでもない。顔と、ちょっと歌がうまいくらいで、その程度の芸能人は山ほどおり、夫をわざわざ起用する理由は無い。



そして夫は無職になった。

無職になっても相変わらず先輩とはご飯に行ったりして、家にはあまり帰ってこない。昔からの趣味だった高級腕時計のコレクションも気づいたら増えている。

働かないのなら、家のことや娘の世話くらいしてほしい。
たまに娘にプレゼントを買ってきたり、甘やかすばかりで肝心の子育てには殆ど参加してくれていない。親は2人いるのだから、2人で子育てはするものだろう。今までは仕事で忙しいから我慢していたけれど、限界が来た。

「稔紀、ええかげんにして。働かないのなら家事育児せぇや。あの子のオムツだって1度も替えず、もうオムツ外れたことも知らんやろ。2人の子どもやで。もう少し父親してや。私だって外で友達と会ってご飯食べたいし、欲しいものを買って着飾ってお酒飲んで夜通し遊んだりしたいねん」

「わるい」

「何で言われるまで分かれへんの?妻がボロボロでも何とも思わなかったん?母親になってから妻の魅力が消えたとか言ってんやろ。それって私のせい?違うやろ、稔紀も一緒にやってくれてへんからやで」

「ごめ、」

「ごめんとか謝罪より行動で示しぃ。言葉ならなんとでも言えんねん」

あーもう、ずっと我慢してたけどやっぱり離婚したい。いっそ不倫とかされていたらキッパリ別れられるのに。 

不満をぶちまけてから、夫は少しずつ育児を手伝ってくれるようになった。まだ、手伝うレベル。1人でできるようになってほしい。父親として、当たり前でしょう。
掃除は、元々綺麗好きだった夫の得意分野で、以前よりは綺麗になった。だが、子育てと部屋の綺麗さを保つの両立は難しいと悟ったようで、疲弊しているように見える。

ざまあ、と思った。私は今まで1人でやってきていたんだよ。しかも、今よりもっと娘が手のかかる時期。


少しずつ私の負担が減り、ある計画を実行することにした。

私には昔から心に秘めていた夢があった。
それを両親、特に母親に止められて泣く泣く諦め、大人になった。

夢を否定する両親とは一緒にいたくなくて、私は半ば家出のように東京の大学に進学した。
結局夢は叶える機会もなく、今に至る。

でも、今なら。




2 出会い篇

3 はじめて


4 再び




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