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たったひとりの過去の私に向けて書く

このnoteの始まりは、自分の想いを言語化してみたかったこと、そしてどこかに自分の想いを吐き出したかったこと。

継続的にnoteを書くようになって約1年。

カウンセリングを提供するようになって約半年。

「私は誰に向けて、なんのために書くんだろう」と考えることがある。

もし、たったひとりの誰かにむけて書くのならば、、、


私は、20代の生きづらさを抱えた自分に向けて書きたい。

救えるのならば、救いたいのは20代の頃の私自身。

居場所が欲しくて、幸せだと思われたくて、表面を偽りでコーティングしていた。

お金を貯めていないと不安で、人に嫌われるのが怖くて、人に弱みを出せない。

看護師時代、先輩に認められたくて、同期に負けたくなくて、3時間睡眠で、早朝3時に起きて勉強して、そんな素振りも見せずに働いて。

病室やパソコンの影、真っ暗な帰り道でよく泣いた。

嫌だなって思う相手にも、必死に良いところを見て、「嫌だ」と感じる自分の感情に蓋をした。

患者さんが亡くなり、「悲しい、寂しい」などどの感情は仕事の妨げになると封印した。

ひとりでいると何をしていいのかわからず、休日は常に動き回っていた。


あの頃の私は、自分が生きづらいってことにも全く気付いていなかった。

自分と向き合う時間など全く持ったことがなかった。


「20代の私に書くなら、どんな言葉を綴るだろう」と考えても、正直思いつかない。

きっとこの自分のnoteに20代の私が出会ったとしても、響かなかっただろう。

20代のころにカウンセリングやコーチングに出会っても、受けてみようと思わなかっただろう。

実際30歳のときに、ニュージーランドで「あなたカウンセリング受けた方が良いよ!」と言われたとき、私は断った。


本当にSOSが必要な人って、自分がSOSが必要なことに気づいてないのかもしれない。

「生きづらかった」「SOSが必要だ」と気づくときには、きっとその人なりのタイミングがある。


20代の頃の自分にきっと何を必死に伝えても響かなかっただろうけれど、敢えて伝えるとしたら、

「心の赴くままに進んで。それがいつだって自分にとっての正解だから。」

という言葉かもしれない。


過去の自分を救うためには、きっとすべてを肯定すること。

「今はそれでいい」と。


それだけで、過去の自分も少しは救えるんじゃないかと、思える。



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