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#思い出
英語が得意でなくなったきっかけ
教師の言葉の影響力というのは存外に大きい。私は、とある教師の言葉がきっかけで英語が得意でなくなった。その教師だけのせいではないが、これは教育に関心のある私の戒めにもなるエピソードだ。
私は中学生の頃、それなりに成績も良く、いわゆる五教科と呼ばれる国語、数学、理科、社会、英語はオール5だった。相対評価であったことも関係あるだろう。その中でも、私の得意科目は数学と英語という認識であり、中学三年生の夏に
仮病で学校を休んだ話
私は所謂5教科だと社会が苦手だが、実技科目はほとんど苦手だ。何故か音楽は得意な方だが、体を上手く使う必要のある科目は大抵苦手だ。
中学1年生の冬、家庭科では裁縫関係で何かを作るという内容の授業だった。私は単純作業は嫌いでは無いが、不器用で細かい作業が苦手だった。だから、その家庭科の授業が嫌で、ある日、熱があるからと学校を休んだ。次の週も、その次の週も家庭科がある日だけ休んだ。
流石に母は訝しんだよ
祖母にも雪を見せたくて
これは私が小学校低学年か中学年ぐらいの頃の話。
今でも私は九州に住んでいるが、九州だと山の方でなければ雪は滅多に降るものではない。当時私の住む町でも、積もる程の雪が降るのは60年に一度、積もるといっても1cmあれば多い方といったレベルだ。
そしてある冬に、父の運転で雪の積もった所に行く事になった。足の悪い祖母は家に残ることになり、両親と私含む姉弟で出掛けることになった。
道中は省くが、父は車を走
美術の授業で覚えていること
私は手先が不器用な方で、図工だの美術だのの授業はどちらかと言わなくても苦痛な部類だった。少なくとも何かの賞を取ったこともないし、先生から良い評価を受けた記憶もただ一度しかない。今回はその一度の記憶を綴る。
それは中学生の頃。何年生だったかは覚えていない。投影図法について学び、投影図法を使って絵を描いてみようという授業だった。私はキャビネット図、つまり、縦・横・奥行の比率を1:1:0.5で描く図法
教育実習生との思い出
これは私がまだ生徒だった頃の話。私は引っ込み思案な方で、人生で教育実習生が来ていたことは何度かあるが、交流を持とうとしたのは高校2年生のときだけだったと思う。その実習生は、確か理科か化学の担当だった。というのも、その実習生とそれっぽい会話をしたことを覚えているからだ。
覚えている会話は2つ。当時は、化学で酸化還元反応について学んでいた。だから、1つ目はそれに関する会話だ。私は訊ねる。
「一酸化炭
カンニングをしようとした話
これは私が中学生の頃。私は社会や実技科目が苦手で、定期テストを乗り越えようと、カンニングをしようとしたことがある。
今のようにネット環境も無く、コピー機なんかもありふれてはいなかった。その為、カンニングの手段として思い至ったのは、カンニングペーパーを作ることだった。カンニングペーパーも、そんなに大きいものは仕込めないだろう。そこで、私は消しゴムのカバーと消しゴムとの間にカンニングペーパーを差し込