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仮初の登校班長

どれぐらいの人に伝わるか分からないが、私の住んでいた地域では、小学校に「登校班」という制度があった。同じ地区に住む児童を、5人~10数人の班に分け、上級生がその班の先頭と最後尾で監督しつつ引率するという制度だ。私が下級生の頃は、登校するときに道すがらにある赤や黄色、青といった様々な色のボタン(金属鋲)を踏みながら歩いていた。色と大きさで点数を決めていたが、その結果は帰ること頃には忘れている。登校の中の楽しみを見出すために考えたものだったので、その程度だ。

さて、話は小学3年生のある日のこと。その日は生憎の雨だった。雨のせいか、登校班の上級生3人ともがバスに乗ってこなかった。私は嫌な予感がする。
とはいえ、登校班長の役割は、時間までに全員を学校まで引率すること。2年生の頃に引っ越してきたとはいえ、同じ道を1年は経験している。なんとか引率も出来るだろう。そうして、私の他は1年生だけという登校班は、いつもの通学路を進む。

だが、不幸というのは重なるものだ。ちょうどその日の1週間前だっただろうか、通学路の一部が工事中で迂回路を通ることになっていた。私はそのことを途中で思い出し、気が重くなっていた。元の道も迂回路も住宅街で、登校するときにしか通ったことがなかった。だから、その道を迷わずに通れる自信は無い。

迂回路への分岐点へ差し掛かる、500m程手前だっただろうか、私達の班の横に車が停まる。上級生の1人が親に送迎されて到着したのだ。私は心から安堵する。件の迂回路は、その上級生の引率で通ることになった。道中、あちこちに同じ小学校へ通う班が見える。よくよく考えてみれば当然だった。

私が最年長だからと私だけの力で何とかするしかないというのは思い込みで、周りをよく見れば同じ行先の人がたくさん居た。もっと広い視野を持って、気楽に構えるぐらいがいいのかもしれない。