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子どもの頃の思い出

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私の書いた記事のうち、主に高校生までの思い出に関するものをまとめたものです。但し、続き物については大学以降のものもこちらに収録しています。
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記事一覧

ゲームで詰んだと思っていた話

私はクイズやパズルなんかが好きだが、ゲームでそうした謎解き要素のあるものに初めて触れたのは『ゼルダの伝説 夢をみる島』だったと思う。ゲームボーイ本体もカセットも兄弟で共用していて、更にそのカセットは中古で買ったものだったことを覚えている。当時のゲームなら新品だと紙の説明書もあったものだが、カセットだけ買ってもらったと思う。

起動するとかなり進んだセーブデータがあったから、兄弟の一人が操作し、残り

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自身の感性を頼りに

以前別の記事で、中学生の頃の部活は友人からの誘いで入ったということを書いたが、今回はその部活の話を掘り下げてみる。

入部して暫くの間は、ほとんどの間を球拾いで過ごす。休憩時間や、ローテーションで使える僅かな間だけ練習をする。中学生になって初めて触れた球技なのだから、そういったことはよくある話だろう。そして、3年生が引退し、練習出来るようになる時間が増える。1年生の冬頃には、自分自身のスタイルを考

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一人称

日本語にはたくさんの一人称がある。私、僕、俺、ウチ辺りはよく耳にするだろうし、おいら、某、儂といった古風なものや、女性だと自己の名で呼ぶ例もある。ここまで一人称が多彩な言語は珍しいという。記事を書くときは、フラットな目線で読めるよう、"私"という一人称を用いて記載しているが、今回は私自身が使ってきた一人称について綴りたい。

私が産まれたとき、母子手帳上の性別は男と記載された。余談だが、母子手帳の

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英語が得意でなくなったきっかけ

教師の言葉の影響力というのは存外に大きい。私は、とある教師の言葉がきっかけで英語が得意でなくなった。その教師だけのせいではないが、これは教育に関心のある私の戒めにもなるエピソードだ。
私は中学生の頃、それなりに成績も良く、いわゆる五教科と呼ばれる国語、数学、理科、社会、英語はオール5だった。相対評価であったことも関係あるだろう。その中でも、私の得意科目は数学と英語という認識であり、中学三年生の夏に

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仮病で学校を休んだ話

私は所謂5教科だと社会が苦手だが、実技科目はほとんど苦手だ。何故か音楽は得意な方だが、体を上手く使う必要のある科目は大抵苦手だ。
中学1年生の冬、家庭科では裁縫関係で何かを作るという内容の授業だった。私は単純作業は嫌いでは無いが、不器用で細かい作業が苦手だった。だから、その家庭科の授業が嫌で、ある日、熱があるからと学校を休んだ。次の週も、その次の週も家庭科がある日だけ休んだ。
流石に母は訝しんだよ

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祖母にも雪を見せたくて

祖母にも雪を見せたくて

これは私が小学校低学年か中学年ぐらいの頃の話。
今でも私は九州に住んでいるが、九州だと山の方でなければ雪は滅多に降るものではない。当時私の住む町でも、積もる程の雪が降るのは60年に一度、積もるといっても1cmあれば多い方といったレベルだ。
そしてある冬に、父の運転で雪の積もった所に行く事になった。足の悪い祖母は家に残ることになり、両親と私含む姉弟で出掛けることになった。

道中は省くが、父は車を走

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仮初の登校班長

仮初の登校班長

どれぐらいの人に伝わるか分からないが、私の住んでいた地域では、小学校に「登校班」という制度があった。同じ地区に住む児童を、5人~10数人の班に分け、上級生がその班の先頭と最後尾で監督しつつ引率するという制度だ。私が下級生の頃は、登校するときに道すがらにある赤や黄色、青といった様々な色のボタン(金属鋲)を踏みながら歩いていた。色と大きさで点数を決めていたが、その結果は帰ること頃には忘れている。登校の

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美術の授業で覚えていること

美術の授業で覚えていること

私は手先が不器用な方で、図工だの美術だのの授業はどちらかと言わなくても苦痛な部類だった。少なくとも何かの賞を取ったこともないし、先生から良い評価を受けた記憶もただ一度しかない。今回はその一度の記憶を綴る。

それは中学生の頃。何年生だったかは覚えていない。投影図法について学び、投影図法を使って絵を描いてみようという授業だった。私はキャビネット図、つまり、縦・横・奥行の比率を1:1:0.5で描く図法

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手話の思い出

手話の思い出

これは私が小学4年生の頃だっただろうか、私の住んでいた地区の公民館で手話を教わる機会があった。当時恐らく有名だっただろう歌謡曲に合わせ、その歌詞を手話で表現しよう、といったものだった。とはいえ、当時の私はその曲を初めて聞いたので、全然耳馴染みがないものであった。

週に1度だったか2度以上教わっていたのか覚えていないが、その曲を表現することをゴールとして、初めは五十音の手話である「指文字」を覚えて

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教育実習での思い出

私は大学で教員免許を取得した。そして、教員免許の取得には大抵、教育実習が必要となっている。教育実習では単に教壇に立つだけではなく、昼食であったり、部活動であったりと、生徒と関わる時間はたくさんあった。その中で、生徒と話したことの中で覚えていることがある。

私は、朝の会で「完全数」について話した。奇しくもその日は6月28日。それならこれをテーマにするしかないと選んだのだ。ただ、話の内容としては、完

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教育実習生との思い出

これは私がまだ生徒だった頃の話。私は引っ込み思案な方で、人生で教育実習生が来ていたことは何度かあるが、交流を持とうとしたのは高校2年生のときだけだったと思う。その実習生は、確か理科か化学の担当だった。というのも、その実習生とそれっぽい会話をしたことを覚えているからだ。

覚えている会話は2つ。当時は、化学で酸化還元反応について学んでいた。だから、1つ目はそれに関する会話だ。私は訊ねる。
「一酸化炭

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クラブ活動

クラブ活動

小学校では、4年生以上になると時間割に「クラブ活動」が登場する。4年生の頃のクラブ活動の思い出はあまり残っていないが、5・6年生の頃のクラブ活動のことは覚えている。

小学4年生ぐらいの頃に、マンガ雑誌で読んだのか、将棋の駒の動かし方を知った。それで、昼休みに将棋で遊んだこともある。それをきっかけとしてか、私は小学5年生の頃のクラブ活動で将棋クラブを選んだ。6年生の数が多く、毎回クラブ活動で6年生

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グミ

グミ

「グミ」と聞いて何を思い浮かべるだろう?大半は、お菓子のグミなのではないだろうか?某ゲームでは回復アイテムとしてグミが使われている。
私は違う。「グミ」といえば植物のグミであり、その木に生る茱萸(グミ)の実のことを思い出す。
私の実家は山の方にあり、実家の勝手口から数歩。そんな場所に茱萸の木があった。実が生るのは夏だっただろうか。さくらんぼに似た見た目だが、少し細長く色は赤というよりは少し薄く、黄

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カンニングをしようとした話

カンニングをしようとした話

これは私が中学生の頃。私は社会や実技科目が苦手で、定期テストを乗り越えようと、カンニングをしようとしたことがある。

今のようにネット環境も無く、コピー機なんかもありふれてはいなかった。その為、カンニングの手段として思い至ったのは、カンニングペーパーを作ることだった。カンニングペーパーも、そんなに大きいものは仕込めないだろう。そこで、私は消しゴムのカバーと消しゴムとの間にカンニングペーパーを差し込

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