一人称

日本語にはたくさんの一人称がある。私、僕、俺、ウチ辺りはよく耳にするだろうし、おいら、某、儂といった古風なものや、女性だと自己の名で呼ぶ例もある。ここまで一人称が多彩な言語は珍しいという。記事を書くときは、フラットな目線で読めるよう、"私"という一人称を用いて記載しているが、今回は私自身が使ってきた一人称について綴りたい。

私が産まれたとき、母子手帳上の性別は男と記載された。余談だが、母子手帳の性別欄は男、女、性別不明の3つの性別が記載されている。生後すぐでは見た目で性別が確定できない例があったからだそうだ。
とにかく、男として生まれ、周りも自然と"男の子らしさ"を求める。だから、物心ついた時には"僕"という一人称を使っていた。"僕"という一人称は目上の人相手に使っても失礼がないし、男性にとっては無難な一人称の1つだろう。実際、私も中学を卒業するまでは"僕"という一人称をずっと使っていた。

転機が訪れたのは高校2年生の頃。私含めて男子は24人居るクラスだったが、私以外の全員が一人称として"俺"を使っていた。その中で1人だけ"僕"を使うことはなんだか劣等感があった。だからといって、"俺"という一人称を使える程、私は私自身の男らしさに自信がなかった。"俺"という一人称は、一般に男性が同格や目下だと思っている相手に対して使うものだとされる。また、それ以外でも距離を縮めたい相手に使うこともあるだろう。何となくそういう使い分け方を学んでいた私には、"俺"はどうしても手が届かないように思え、"僕"ですら私自身の男らしさが足りているのか自信がなくなってしまった。結果、しばらくの間私は一人称を使わなくなった。主語を省略して伝えていたのだ。

だが、それも長続きはしない。日本語は語順や省略などをしやすい言語ではあるが、一人称を全く使わずに会話するのは難しい。"俺"も"僕"も使いたくない。そう思い悩んだ末、私は1つの答えに辿り着いた。私は、一人称として"自分"を使うようになった。性別を感じさせない一人称という逃げた選択ではあるが、どこかしっくりきたのだ。

そのように思い悩んだ後、他のクラスの人と関わったとき、一人称に"僕"を使う男子や、同じく"僕"を使う女子も見掛けた。私は周りの雰囲気に流されて、別の一人称を使うことを選んだが、たとえ少数派になろうとも我を貫ける人も居る。ただ、それ以来、公的な場を除けば私はずっと一人称として"自分"を使っている。この方が"自分"らしいという確固たる自信を胸に秘めながら。