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毒多
2018年6月23日 10:42
「自分だけで死ねよ」と新幹線のなかでおきた殺人事件が報じられたテレビに向かって言っていた。 言いながらそれを否定するものがボクの裡にあった。 ボクの裡なるそいつは言っている。 「おまえ、いつからそちら側の人間になったのだ」と。 “そちら側”とは殺された側。 そちら視線の理は社会の理である。 ボクは社会の理とは違う“こちら側”で生きてきたはずなのに。 「絶歌」を思い出す。 ボク
2018年6月20日 10:39
アドラーを紹介する「嫌われる勇気」という本があってちょっとまえにnoteでも取り上げた。 で、今回はその続編「幸せになる勇気」の読後感想も書いちゃおっと。 「幸せにある勇気」ではアドラー心理学はカウンセリングである、と紹介される。さらに教育もカウンセリングであるってね。 カウンセングとは、相談者の「自立」を援助することって書かれているのだけど、アドラーの言う「自立」とは、普段使われる、自分
2018年6月12日 11:41
いつか誰かに言われた言葉。ずっと、もやもやが遺っている。保留できないなんて自分でもわかっている。保留せずに何度も繰り返している失敗。一旦保留して、解るときが来るのを待て一旦保留して、周囲をみまわせ。一旦保留して、人の意見を聞け。一旦保留して、よくよく考えてアウトプットしろ。そうすれば、誰に対しても失敗も摩擦も迷惑もかけないかもしれない。でも保留なんてできない。するつもりもな
2018年6月7日 18:13
実はめちゃくちゃ我が強く自己中なことは自覚している。 そんなボクが、ちょっと「普通人」として振る舞ってみようと思ったのは7~8年前の同窓会あたり。 ちょうど子どもの成長にあわせた保育運動にも区切りがついたタイミングだった。 あ、普通人でないってのは、市民運動系の友人、被差別部落出身や在日コリアや被差別民、ホームレスなんかのそれまでお付き合いが深かった人。 で、「普通人」として振る舞うっ
2018年6月5日 17:31
最初に読んだのはいつだろう?奥付に2014年6月11日の第13刷とあるから4年近く前のことだ。「かなりいい本」というイメージがあったのだが、詳細は忘れていた。今回、友人に貸すと約束したので、ホントに「いい本」だったけと読み直してみた。本は「悩める青年」と「哲人」の対話という形式をとっていて、アドラー心理学を哲人が青年に伝授するという内容。読み直してみて、やはりいい本だと感じるが、多分以前