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「幸せになる勇気」と自殺志願と傾聴と

 アドラーを紹介する「嫌われる勇気」という本があってちょっとまえにnoteでも取り上げた。
 で、今回はその続編「幸せになる勇気」の読後感想も書いちゃおっと。
 「幸せにある勇気」ではアドラー心理学はカウンセリングである、と紹介される。さらに教育もカウンセリングであるってね。
 カウンセングとは、相談者の「自立」を援助することって書かれているのだけど、アドラーの言う「自立」とは、普段使われる、自分の生計にもって一人で生活すること、ではなくて、自らもっている理性(知性と感性)を自らの決意と勇気をもって発揮していくこと。それは他者の承認を得るための他者の価値観によるものではあってはならない。他者の価値観の承認とはつまり自己ではなく、他者の人生を歩んでいるものだから、というわけさ。さらに言ってしまえば、一般的な社会的・生計的な自立をしていても、アドラーがいう「自立」ができてない人なんざわんさかいるわけ。
 アドラーは教育やカウンセリングにおいて、他者の「自立」を援助するにあたって「叱っても褒めても駄目だ」というの。叱ってっていうのは説教でもアドバイスでも同じだと思うのだけど、たとえそれらに従っても、それは他者の言う人生であって、自身の決意と勇気をもって「自立」したことにはならないってね。
 「褒める」ほうも同様で、人は褒めると、他者に「褒められるため」に行動するようになる。それは自己の決意による「自立」ではない。まえにも書いたアドラーは承認欲求を否定しているということに通底するね。

褒められる = 承認欲求を満たしている = 他者の価値観・他者の人生 = orz

 さらに「叱る」「褒める」は上からの態度で上下関係により支配をしたいということから、上手くいかず、むしろ問題行動になって顕れるというわけさ。この本では、教育における子どもの問題行動としているけど、別に普通に大人でもありますね。
 会社で上司からの承認を得るために頑張ってしまう、みたいな、さ。
 これね、子どもの問題行動の第一段階の「称賛の欲求」っていって褒められること(他者の価値に従う)を目的にする問題行動なんだけど、承認が得られない(褒めてもらえない)と第二段階に突入します。「注意の喚起」ね。称賛されないなら、イタズラしたり騒いだりして、もう何でもいいから目立ってやろうとする。流行りの言葉いえば「かまってちゃん」かな、笑。まぁ、子どもだけじゃないよねってのは、うふふ、と誰かの顔を思い出しながら読んでいる人もいるかもしれない。
 それも叶わなければ、第三段階だ。それが「権力争い」。これは反抗期の子どもみたいな行動。親に罵詈雑言を浴びせ、親のいうことを無視し、親がタジタジとなればしめたもの、とにかく不従順で従わないことで権力を得ようとする。権力を得ることで承認させる。
 これで親がタジタジとならずに権力を奪わえなかったときに起きるのが第四段階の「復讐」。ひたすら相手が嫌がることをする。嫌がることを繰り返す。「ひきこもり」なんて例があがっていたけど、あれは親に対する復讐であるってね。これ別の視線からみると「子は親を救うために心の病になる」ってなりそう。
 で、その次にくるのが第五段階。「無能の証明」ってやつらしい。第四段階までやってもなんの承認も得られなかった。じゃ心を安定させるためにどうするか? もう「何かをすることをやめる」「自分は無能だと思いこむ」何もやらないことで安定しようとする。なにもやらないから承認されなくても当然なんだから、何もしない。

 承認欲求を満たすために自分が行動していくとこうなってしまうとアドラーはいうわけさ。
 第四段階・第五段階になるともう専門家の領域で素人(たとえば親)が何かできることはない。とはいえ「子は親を救うために心の病になる」では、親の病が治れば子の病も治るとしているんだけどさ。
 そのように親子関係ならばなんとかなるかもしれないが、これが他者だと、まあ難しいのかな。
 
 全てではないのだけど、カウンセリングを受ける相談者も「自立」ができてない5段階のどこかの段階にいるのかもしれない。もちろん「自立」ができていなくても、たとえば承認欲求が満たされて他者の人生を歩んでいたとしてもカウンセリングを受ける人は少ないと思うので、必ずしも「自立」ができていないことがカウンセリングに繋がるとは限らない。
 たとえ第一段階であるとしても、そこにいる自分に違和感をもちカウンセリングを受けることができる人のほうが、自身の能力を自身の決意で発揮する「自立」への一歩という気がしてならない。
 そうした相談者にカウンセラーは、敬意をもって叱ることも褒めることもせずにひたすら、発話を聞き「自立」に向けた援助をする、、、ということは、傾聴にも繋がると思うわけさ。

 さて、カウンセリングの相談者のなかには「自殺志願者」がいるかもしれないな。
 特に「第四段階」の「復讐」、、、イジメの相手に、会社に、組織に、恋人に、家族に、社会に復讐。ひきこもりではなく自殺によって復讐。自殺のニュースで原因を聞くたびに、なんとなくありそうな気がする。
 これは自らの意志による自殺ではなく、自殺させられている、になり自殺を阻止したくなるよなぁ^^。
 そして「第五段階」のすべての喪失感。たとえ最初は自己を否定することで承認を得ようとしていても、その状態が進めばほんとうの病になると本にも書かれている。病になればそこから自殺もあるだろう。そして第四・第五段階はは専門家の領域であると、はっきり書かれている。素人にはお手上げなのかもしれない。
 それでもできることがあるならば、敬意をもって受け止めること、自殺したいという気持ちも含めて全てを受け止めること。アドバイスも褒めるもなく友人として尊敬して受け止めること・・・
 アドラー的にはそうなるのだが、いやはや・・・ムズ・・・^^;

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