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どこかの町の高田
2024年6月3日 22:25
さて、なにから書き始めればいいのでしょうか。今は初夏。強くなり始めた日射しが、あらゆるものを彩度高く染め上げています。風は花の香りを含み、海は鼓動のように浪を高く打ったのです。ことば、というものについて考えます。ことばは自身や自身の大切な人を守るための盾として用いられることもある一方、自身や他者を傷つけるためのナイフとして用いられることもある。とはよく言ったものですが、さて、詩の言葉とはどちら
2024年3月18日 23:39
春がやってきました。そちらはいかがお過ごしでしょうか。私はさむさあつさに翻弄されながらも、街中から溢れかえる生命力に喜んでいます。季節とともに、私自身が変わっていく実感があります。さながら、春はダンスのような季節だと思います。冬の瞑想の時期を終えて、さあ、考えていたことを行動に移して、全身で世界を感じる時がきた、と胸を躍らせています。桜はいつ咲くのでしょうか、はやく咲いてほしいと思う反面、
2024年3月18日 20:41
夜になると、沈んでくるものがあります。こころとからだの奥底に、澱のように沈んでいくこれはなんでしょうか。あまりおおく沈んでいると苦しいですけれど、私にとっては重心のような、必要なものであるような気がします。それにしても、今日は沈みすぎています。まるで私がひとつの錨となったみたい。こんな日に思い出すのは誰の詩でしょうか。どんな文章でしょうか。私はひとつひとつ点検していきます。今、先の段落から
2024年3月17日 22:11
まっしろなワードの画面、またはノートブックを前にすると、期待と緊張でピリッとします。それは畏れにもちかい感覚で、いちめんの積雪を前にした朝のようでもあります。書くということは、彫り出すことにも似ていると思います。新雪のかたまりを彫っていって、いずれ美しい像が顕れると信じ、不可能にも思える挑戦に手を伸ばす。言葉で語り尽くせる範囲など限られているかもしれないのに。しかし、そうして彫り出したもの
2024年3月15日 23:33
たいせつなものを、持っていきたいと思っても、すべてを持っていくことは難しく、私たちはただ旅人のように発っていくだけだ。と思ってしまうのは、いま私が旅の途上にあるからなのでしょうか。ずいぶんと春めいてきました。あたたかな夜と花粉、快さとむずがゆさの二律背反、これが私の春です。 ずいぶんと、たくさんのものを捨ててきたように思います。とるにたらないものも、たいせつなものも一緒くたに。そして、忘れな
2024年3月14日 19:12
こんばんは。ただいまの時刻は18時16分です。「こんにちは」と「こんばんは」の間の時刻ですがそれに相当するあいさつの言葉はありません。空が暗くなったので、こんばんは。私は今日はなにを話しましょうか。しかしここでは血の滲むような文章をいくつも目にしてきました。本気で、命をかけて書かれたと思われることばたちを目にしてきました。あたまの下がる思いです。 そうです、これは私の指標ですが、必然から書か
2024年3月14日 02:07
さて、なにから話し始めればいいのでしょうか。私はすこし体調がわるく、いまは深夜一時半、部屋の中はゴミだらけで、スピーカーからは跳亜さんによるカネコアヤノさんの『抱擁』のカバーが流れています。私の夜は満ちたりています。私の夜はうつくしい。 今日は、キーツの詩を読みました。たくさんの死者たちが私の周りにあつまり、うつくしい組み鐘(チャイム)を創っている。そして世界のありさまというものも、またひとつ