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完璧主義 vs 完璧じゃない主義...? Part1

テーマ:#グラデーションのその中へ 第1回

前回の自己紹介記事で4つのテーマを挙げさせていただきました。

記念すべき本論第一回目は軸となるテーマである「グラデーションのその中へ」に関する議論です。「完璧主義」と「完璧じゃない主義」の間にある無限のグラデーションへdeep diveしたいと思います!!


1. すぐそばにある完璧主義 vs 完璧じゃない主義

皆さんの身の回りには「この人、完璧主義だなぁ…」と感じるような方、いらっしゃいますか?あるいは自分自身に対して、「完璧でありたい」あるいは「完璧になれない自分が許せない」といった感情をもつことはありますか?おそらく少なくともどちらか、多くの方はどちらも経験されたことがあるのではないでしょうか?

一方で今、完璧主義とはかけ離れた概念が多く、特にビジネスの場で浸透してきているという感覚もお持ちではないでしょうか?「アジャイル」「Fail fast」「ピボット」「心理的安全性」…、といったものです。これらの言葉にどういう印象をお持ちでしょうか?伝統ある大企業にお勤めの方は、会社がこの考え方をなかなか受け入れてくれないことに歯がゆさを感じる方もいるかもしれません。一方でスタートアップ界隈から頻出するこの言葉に一種の胡散臭さを感じている方もいるでしょう。これを「完璧じゃない主義」と名付けます。

ビジネス以外の場でも遍在しています。例えば家庭生活。やっておかなければならなかった家事を忘れた。それを「なんでやらなかったの!!!」とブチ切れるのか、「しゃーない。忘れることもある。」で済ませるのか。このようにみると、「完璧主義」と「完璧じゃない主義」の二項対立は日常のそこかしこにあるといえます。

かく言う私も過去、純度100%の完璧主義者的な考え方でした。個人的にはだからこそのストレス、難しさ、報われなさを感じて悩んでいました。今は完璧じゃない主義の存在を知り、限りなくそちらに近い考え方になっています。この詳しい話は別の機会に譲りますが、この考え方の変遷が今回の二項対立の間のグラデーションを考えるきっかけとなりました。

2. そもそも「完璧主義」とは

そもそも完璧主義とはなんなのでしょうか?というわけでwikipediaの「完璧主義」の項の一部を引用します。

心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。このような思想を持ったものや、そのような心理状態の者を完全主義者、もしくは完璧主義者(英: perfectionist)と呼ぶ。
この多角的特性は、最も概念化されているものであり、多くの正の面と負の面があるとして心理学者らに理解されているその程度(時間に対する気配りや周囲への迷惑を顧みない状態等)によっては、精神医学では精神疾患のひとつともされることも多い。不適応な完璧主義者は、世間の人々が達成できない理想を成し遂げることに駆り立てられている人である。適応した完璧主義者は、自分のゴールにたどり着くことをモチベーションとしている。最終的には、完璧主義者はそれを行うことに喜びを見出すのだが、しかしその目標を達成できなかった時には抑うつに陥ることが多い。

Wikipedia「完璧主義」より

面白いことに心理学的には負の側面があるものとして理解されているんですね。世の中のあらゆる場面で完璧であることが礼賛され、多くの方が完璧を目指しているにもかかわらず、です。なぜ完璧を目指すことには負の側面があると分かっていながら多くの方が目指してしまうのか?についても考察の余地がありそうで、この切り込み方も面白そうですが、今回はここには深入りしないことにします。(個人的には、資本主義の仕組みと学校教育の仕組みに、ヒントがあるのではないかと考えています。)

3. 「完璧主義」と「完璧じゃない主義」の間に

で、です。私は「完璧主義」or「完璧じゃない主義」の間に無限のグラデーションがあると考えています。「あの人は完璧主義だ」「このビジネスには完璧が求められる」ではなく、「あの人は比較的、完璧主義よりのパーソナリティだ」「このビジネスには(完璧ではなくていい場面もあるが、)比較的完璧を求められる場面が多い」でしかないと思っています。

一言で言い切ろうとすると二項対立に陥ってしまうのですが、本当に言い切れるんですか?ということです。問いたいのは以下の3つです。

  1. 100%完全に「完璧主義」が求められる相手は本当にいるのか?

  2. 完璧主義的なものと接するときも、場面によっては完璧主義があまり求められない時もあるのではないか?

  3. その完璧主義的なものも、そのもの自身や周辺環境の変化に応じ、完璧性をどこまで求めるかが変化するではないか?

つまり、二項対立で片付けるというのは一種の思考停止であり、その間にある無限のグラデーションを無視しているように感じるのです。この無限のグラデーションへの解像度をあげることで、前述の「歯がゆさ」や「胡散臭さ」から解放され、自分が望む「完璧度」と、周囲が望む「完璧度」が一致させられるのではないか、というのが私の主張です。

4. 必要な「完璧度」は時と場合によって変化する

今あえて「完璧度」という言葉を便宜的に用いました。どこまでの完璧さが求められるのか?あるいは好んでいるのか?の指標として0~100%の間を行き来する指標です。「便宜的に」と言ったのは、グラデーションを表すうえで0~100の間を一次元的、単線的に行き来するだけで表し切れるのか?という懸念は拭い切れないためです。しかしただでさえ空虚に陥りやすいこの議論が机上の空論に終始してしまわぬよう、変数をあえて少なくしたいと思います。ご容赦ください。

この「完璧度」は一定のものではなく、時と場合によって変化するものだと考えています。例えば私自身。昔は完璧主義者だったのが、ほぼ完璧じゃない主義者に変わったとお話ししました。100%→5%くらい大幅に好みの完璧度の変遷があったわけですね。例えばビジネスの場において、具体的にどういったファクターが変化をもたらしうるのか?について例を挙げてみましょう。

  • 取引先がどれだけ強い立場にあるか?demandingか?

  • 事業開発フェーズの違い(構想期~PoC期~商用化期~商用期)

  • 些細なミスが命取り(人の生死に関わる、法律違反等)となるか?

  • 上司のパーソナリティ(どれだけ失敗を許容する人間か)

  • 失敗したときに次善の策を講じやすいか?

つまり、取引先の立場が強ければ強いほど、事業開発フェーズが商用期に近ければ近いほど、些細なミスが命取りになればなるほど、上司が失敗を許容しない個性の持ち主であればあるほど、次善の策が考えづらければ考えづらいほど、高い完璧度が求められます。その逆であれば低い完璧度でも大丈夫、となります。

5. あえて二項対立から始めてみる

このように考えてみるとグラデーションを考察するうえでは、逆説的に両端が何なのか?をハッキリさせるが大切なことが分かります。これは当然といえば当然で、色のグラデーションを作るときも”緑”と”白”とか両端の色から構想しますよね?ということで「完璧主義」と「完璧じゃない主義」の間のグラデーションを考える時もあえて両端、つまり二項対立から始めたいと思います。

完璧主義 vs 完璧じゃない主義

上記のスライドが「完璧主義」と「完璧じゃない主義」をあえて二項対立させたときの比較表です。

Part1はここまでにして、次回はこのスライドを詳しく解説するところから始めます。次回は以下URLよりご覧ください!

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