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【一日一言】新渡戸流「負けるが勝ち」前編(草稿)

●はじめに

二月九日 「負けるが勝ち」

愛するものを失うのを惜しむのは当然だが、愛してもいないものを惜しむのは人生で負けることである。
負けるだけでも好ましいことではないのに、負けを惜しんでいては負けの程度を一層大きくするだけである。

勝負事でも、勝つだけが目的ではなく、何事も潔くすることが目的で、これは人生においても同じことである。
負けても勝つ智恵を持つことが大切である。

負けて勝つ 智慧の力の 強さには 誰れも感心 するぞ韓信

PHP研究所 『[新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』
著者:新渡戸稲造 訳者:岬 龍一郎

れも感心かんしん するぞ韓信かんしん」です。

かの韓信ですら感心する、ということでしょうか。
この短歌、韻を踏んでますね(面白いかどうかは皆様方の判断に委ねます)。

韓信
前漢(中国王朝 BC206-8)の初代皇帝劉邦りゅうほうに仕えた将軍。
国の中で並ぶものがいないほど優れた人物という意味を持つ「国士無双」は韓信を評した言葉でもあります。

新渡戸先生は厳格で毅然とされている方というイメージが(少なくとも私は)あるのですが、こういう短歌も詠まれてたんですね。

そういう洒落た一面も持っていらっしゃるのかと思うと、新渡戸稲造氏という方は教養深く厳格でもあり、親しみやすさも持ち合わせた人格者でいらっしゃったのかなと推察するものであります。

●生きてれば「なにか」に負けることだってありますよね

「新渡戸先生はこんな短歌も詠むんだな」で終わるのもどうかと思われますので、所感を続けて述べさせて頂きます。

生きていて、いわゆる「勝負事」というものを体験する事はあるかと存じます。

それはギャンブルに限らず、学校での成績だとか、スポーツや格闘技武道においても恋愛においてもそうかもしれません。
社会に出れば出世争いなどがそういう側面を持っているように見受けられます。

いわゆる「負け」というものに固執し、くよくよしてしまうのが新渡戸稲造氏がここで仰っている「人生で負けること」ということかなと。

当然といえばそれまでですが、「勝負事」というものは勝つこともあれば負けることもあります。
「一生勝ち続ける」というのであれば、それはそれで結構な事かと存じます。

「負け」という結果に固執するだけで終わるのではなく、その結果をどう活かすかが、ここでいう「智慧」にあたるのかなと思ったのです。

後編では「負けたらどう考えようか」ということについて述べようと思います。
それから「勝負事そのもの」についても、もう少し述べようかと存じます。

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