【一日一言】新渡戸流「負けるが勝ち」前編(草稿)
●はじめに
「誰れも感心 するぞ韓信」です。
かの韓信ですら感心する、ということでしょうか。
この短歌、韻を踏んでますね(面白いかどうかは皆様方の判断に委ねます)。
新渡戸先生は厳格で毅然とされている方というイメージが(少なくとも私は)あるのですが、こういう短歌も詠まれてたんですね。
そういう洒落た一面も持っていらっしゃるのかと思うと、新渡戸稲造氏という方は教養深く厳格でもあり、親しみやすさも持ち合わせた人格者でいらっしゃったのかなと推察するものであります。
●生きてれば「なにか」に負けることだってありますよね
「新渡戸先生はこんな短歌も詠むんだな」で終わるのもどうかと思われますので、所感を続けて述べさせて頂きます。
生きていて、いわゆる「勝負事」というものを体験する事はあるかと存じます。
それはギャンブルに限らず、学校での成績だとか、スポーツや格闘技武道においても恋愛においてもそうかもしれません。
社会に出れば出世争いなどがそういう側面を持っているように見受けられます。
いわゆる「負け」というものに固執し、くよくよしてしまうのが新渡戸稲造氏がここで仰っている「人生で負けること」ということかなと。
当然といえばそれまでですが、「勝負事」というものは勝つこともあれば負けることもあります。
「一生勝ち続ける」というのであれば、それはそれで結構な事かと存じます。
「負け」という結果に固執するだけで終わるのではなく、その結果をどう活かすかが、ここでいう「智慧」にあたるのかなと思ったのです。
後編では「負けたらどう考えようか」ということについて述べようと思います。
それから「勝負事そのもの」についても、もう少し述べようかと存じます。
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