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【ダンマパダ 23】無常の幸せ(草稿)
●はじめに
仏教、仏典につきましては以下のような見解で述べさせて頂いております。
何卒ご容赦賜りますよう願います。
●ダンマパダの23
23 (道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。
これは無上の幸せである。
こちらは、ダンマパダという仏典を中村元さんが現代語訳したものです。
その第二章は「はげみ」で、「怠りなまける」ことなく「つとめ励む」ことを説いています。
●怠けず励むとは
私などは「なまけるな」とか「つとめ励む」とか言われると、「24時間営業で汗水垂らしていないとダメなのか」などと極端なことを考えてしまいます。
ですが、これはいわゆる「自己をととのえる」ことを「おろそかにしない姿勢」について述べている、と解釈してみると合点がいきます。
なぜならお釈迦様は「自らを痛めつけるような苦行」に異議を唱えていた方だからです。
だからといって際限なく自分を甘やかすというわけでもなく、「中道」を歩む在り方を説いています。
スッタニパータ 778
「賢者は、両極端を離れ(※)、感覚器官の対象を熟知し、貪ることなく、非難されるようなことをせず、見聞することに汚されない。」
※ 快楽主義もしくは苦行主義といった偏った態度を離れることで、仏教的には中道を指す。
とはいえ、自分の言動について「常に」注意をはらうとなるとそれは大変なことのように思えます。
ですから、こう考えてみたらいいのかもしれません。
それは、目的地をめざす時に地図をみながら「現在地」を把握しておくようなイメージです。
その行為それ自体には「苦行」も「怠惰」もないと思うのです。
●「安らぎ」が「無上の幸せ」
冒頭一節中に記述されている「安らぎ」ですが、中村元氏の書籍にてこのように記述されています。
サンスクリット語でニルヴァーナ(nirvāṇa)という。
「涅槃」と音写する。
最高の理想の境地であり、仏道修行の最後の目的である。そこでは人間の煩悩や穢れがすべて消滅している。
先日「「利得」と「安らぎ」さあどっち?」とあえて二択で問いかけをさせて頂いたのですが、「最高の理想の境地」といわれると「なんだかすごくいいもの」に感じます。
その選択自体、結局「自分自身が」選択するものであり、二択ではなく三つ目四つ目の選択もありえますし、そもそも「選択しない」ことも可能ではあります。
いずれにせよ、「最高の理想の境地」すなわち(ここでは)「無上の幸せ」をもとめるのかどうか、さらにいえば「自分はどう在りたいのか」について思いを巡らせてみるのもいいのではないでしょうか?
なぜなら「私という車」の運転者は私ですし、貴方の人生は貴方のものですから。
●余談ですが
「私個人の意見」としては、「涅槃」を目指す余生を過ごしたいと考えております。
とはいえ、特定の宗教(仏教含む)や思想に固執することなく、やはり「執着しない在り方」を実践したい(そういえば仏教でもそれを説いていますね)という気持ちもあります。
それも「執着ではないか」といわれたらそれまでですがね。
ここまで読んでいただきありがとうございます。 少しでもいい記事が書けるよう精進致します。 ※誤字・脱字等ございましたら、お手数ですがコメントにておしらせ頂けると幸いです。