【 ダンマパダ 133 】ことば(草稿)
●はじめに
仏教、仏典につきましては以下のような見解で述べさせて頂いております。
何卒ご容赦賜りますよう願います。
●ダンマパダの133
こちらは、ダンマパダという仏典を中村元さんが現代語訳したものです。
「ことば」の力を日々実感するものでして、だからこの一節を取り上げてみようと今回思いました。
●そうならないに越したことはないけど……
この一節では「怒りのことば」について触れていますが、それが外に「放たれる」と特定の対象のみならず、放った本人や「世界そのもの」にその影響を与えるのではないかと思うんです。
もちろん「怒るな」とか「我慢しろ」と言いたいわけでもないのです。
仏典では「怒るな」とはっきり述べられていますが、それは「怒らないならそれに越したことはない」という意味では同意です。
「怒らなくて済むもの」に対して「怒りを感じなくて済むようになる」方法論らしきものが仏教にあるのは確かです(他の宗教や倫理学、心理学、道徳などにもそれはありますが)。
●そこにある「怒り」だとか諸々
ただ、フタしたり捻じ曲げたりもせず「ありのまま」に内観したならば「怒り」などといったものはあります。
むしろそういうものも認めて「それはどこからくるのか」だとか「より望ましいものをみるように軌道修正する」といった「アラーム」みたいな運用もありだと思います。
感情は様々なことを教えてくれます。
●鳴らした音は相手にも自分にも響く
「怒り」のみならず「悲しみ」や「絶望」、「喪失感」など、そういう感情は私たちに「大事な気づき」を教えてくれるものとしては「必要なもの」という見方もできます。
「痛み」が身体の不具合や危険を報せるようなものだと思うんです。
そのうえで、そういった感情から「解放」されたなら、その心は「自由」へと近づくことができると思っております。
「ことば」というのは、ポジティブネガティブかかわらず「フィードバック」の機能があると思います。
●小さな「ボソッ」に意識を向けてみる
人様に対することばを「観察」すると自身が意識していなかった「内面の色や質感」を間接的に自覚することも可能だと思うのです。
それは誰かを対象に放ったことばのみならず、なにげない「ひとりごと」や「つぶやき」にも見出すことができるのかなと。
声に出さなかったとしても「心のなかで」の「つぶやき」なんかもそうですし、むしろ普段は見逃しがちなそれが「重要なメッセージ」を含んでいると感じたりもします。
「口に出さなければいい」「聞こえなければ平気」「頭の中だったら何言ってもいいでしょ」というのは、間違ってはいないとは思います。
「これ言ったら傷つくだろうなぁ」と配慮するからこそ「頭の中で」つぶやくだけに留めようとするのでしょうから。
●反響、増幅、拡散
ただ、ことばというのは自身に(良くも悪くも)フィードバックしてしまうので、それに伴うものを「強化してしまう」おそれ(もしくは効果)があります。
憎しみを口の中で嚙み潰したとして、「それ」を外に出さなかったのは「頑張った」方だと思います。
ただ、心や身体のなかで「その念」が反響し増幅していき、「憎い」が「憎い憎い憎い」と、叩いた鐘がその音波を増幅させて拡散されるように「なにかしらのかたち」で自らを振動させダメージを与え、そのまま外に広がっていきます。
●ことばを操ってみる
故意であれ過失であれ、一度鳴らしてしまった鐘が音を出すのは、ある意味仕方のないことだと思うのですが、その鐘が音を増幅して拡散しないように「鐘を鎮める」ことは可能だと思います。
鐘じゃないですけど、ドラムのシンバルがそれ以上音を出さないように触って抑えることもできるのですから、(まったく同じことでもないのですが)「音波の振動」を抑えることもできるのではないかと。
または、「ごめんなさい」「失礼しました」「ありがとう」といった「音の振動」でそれを「中和どころか好転させる」というのも、方法としてありだと思うのです。
●伝えたいことば
これは(口に出すのがいいのはその通りですが)思う(念じる)だけだったとしても、「一定の効果」は望めると思います。
ただ、本当に謝罪なり感謝を伝えるのであれば「ことばで伝える」必要はあるでしょうね。
他にも手紙やテキストでそれを送ると「受け手のなかで振動する」ので、それも(場合によっては)有効かと存じます。
そういう意味では、文字なりテキストはいわばCDやmp3ファイルのようなもので、それを読む受け手はオーディオやパソコン、スマホのような「再生装置」みたいな働きをする、といったイメージです。
●最後に
あれこれ思いつくまま述べさせていただきましたが、「ことば」というのは(たとえるなら)美味しい料理をつくりだす包丁にもなるし、人を傷つけてしまうナイフにもなりえますね。
「ことば」というものは、荒々しいのもどうかと思いますが、丁寧だったらそれでいい、というわけでもないと思います。
私自身、適切に用いていけたらいいなと思います。
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