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【一日一言】本年は大変お世話になりました「悔いることは改めることのはじめ」(草稿)

●はじめに

十二月三十一日 悔いることは改めることのはじめ 

いよいよ今年も終わろうとしているが、過ぎ去ったこの一年に何をすることができたかと静かに振り返ってみると、昨年と同じく、やはり後悔すべきことが多いのではないか。
しかし、悔いることは改めることのはじめなので、 来年の暮れには、まさか同じ後悔をすることはないであろう。
だから新しい年を迎えるにあたっては、新たな勇気と決心を持たなければならない。

徒に 過ぎし月日の しのばれて 殊更をしき 年の暮かな

『[新訳]一日一言 「武士道」を貫いて生きるための366の格言集』著者:新渡戸稲造 訳者:岬 龍一郎 より

今年最後の日ということで、新渡戸氏の『一日一言』からの引用をさせていただきました。
実際、この一節をあらためて読み感銘を受けたものでして。

「悔いたのなら改めたらいい」といいつつも「まさか同じ後悔を(来年の年末も)することはないよね」と、優しさと厳しさを兼ね備えたお言葉だなと思うんです。
氏の厳格ながらも人情味溢れるお人柄が偲ばれるというものです。

●「悔いることは改めること」

新渡戸稲造氏はキリスト教徒ですので、こういったフレーズが出てくるのは当然だとは思いますが、これは悔いる事なくして改める事などできないと考えられるのです。
そこから、「後悔すること自体は悪いことではない」ということになるかと存じます。

僭越ながら私見をここに記すとするならば、向上したいという「誠実さがあるからこその後悔」なのだと思うのです。
もっというと「伸びしろがある」と前向きに解釈してみても良さそうな気はします。

年の節目なので、こういった悔いるというか反省するちょうどいい機会ではありますが、その気になれば「いつでもどこでも」できることではあります。
十二月三十一日の一節として記されているものの、何時でもこういった心がけを持っていていいと思う次第です。

●同じ失敗はしないように

ただ、後悔して悔い改めたはいいものの、来年の今頃も同じような事で「悔いて」しまう、なんて事のないように、あらかじめこの一節で戒めている所も「流石だ」と思うのです。

とはいえ、私のような者は同じ失敗を何度も繰り返してしまうので、この件に関しては心臓がチクチクするような感覚をおぼえてしまいます。
それが新渡戸氏の「ねらい」だと思うと、可笑しくも有り難いような気がします。

●本年は大変お世話になりました

最後になりますが、本年はnoteで記事を書くという事をはじめて「悔いる」こともありましたが、それでも読んでくださるばかりかコメントで感想を書いて下さる方までいて、本当に嬉しかったです。

それに対して私のできることなどたかが知れているのですが、せめてこういった一節を取り上げることで、新渡戸氏の言葉から「勇気と決心」のおすそ分けができたらいいなと思う次第です。
それは、私自身が新渡戸稲造氏から多くの気づきと勇気をもらうことができ、「来年もやるぞ」と思う事ができたからです。

新渡戸稲造氏もそうですが、お釈迦様やnoteで投稿されている皆様の「言葉」から気づきを頂き、支えてもらえたことに深く感謝したく存じます。

よいお年を。
来年もよろしくお願い致します。

ここまで読んでいただきありがとうございます。 少しでもいい記事が書けるよう精進致します。 ※誤字・脱字等ございましたら、お手数ですがコメントにておしらせ頂けると幸いです。