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【落書きnote】「あたりまえ」と言われればそれまでの「気づき」(memo書き)

●はじめに

以前より自身を内観(瞑想などで)することを日常に取り入れておる私ではありますが、その際に「身体にも意識をむける」ようなこともしていました。

それは、寝る前やひとりで過ごしている時など「一定の環境」に限定せず、日常生活のなかでも「身体に意識をむける」という事を習慣化するようにしておりました。

そんな日常と、最近の「とある経験による気づき」がリンクしたような感覚をおぼえたので、「できるかぎり」言語化してここに残しておこうと思います。

●身体を使って学ぶたのしさ

最近、記事を書いていて「知識ってなんだろ」と考えることが多く、幸いなことに、その記事に感想をいただく機会に恵まれました。

そういった交流や経験と考察がない交ぜになって出てきた「ある認識」。

それは、「知る」ということはテキストや数字を知るのみでなく、「身体を通して」知りえるものもあると、あらためて認識したのでした。

身体的な「体験」を通じての「知」というものは言語化が非常に難しく、かといってムリに言語化するようなものでもなく、でもそれは心身含めた「すべての私」に残っている「なにか」なのです。

●「頭」だけじゃない

心動かされると、「目頭が熱くなる」という感覚をおぼえます。
それは慣用句そのままですが的を射た表現です。

落ち着くと「腹が据わる」感覚をおぼえます。
それはそのまま慣用句です。

あとは「足取りが軽い」とか「腕がなる」とか。
身体の表現が心の状態を示しているのです。

私などは考えるときは「頭(脳)」でモノを考えていると認識しがちなのですが、自身をよく観察してみると意図せず脚がブラブラ動いていたり指を机か何かにトントンしていたりすることに気づきます。

その様子はまるで「身体全体で考えている」と思えるのです。

●「気分」への対処 そのほんの一例

「なんとなく気分が晴れない」ということもあります。
そんな時「なぜか」と頭で考えてみても見当もつかないです。

ですが、それは身体に注意をむけると一瞬で「なぜか」がわかります。
「なぜか」を「知る」のではなく「わかる」という感覚です。

大抵「眠い」「疲れてる」「空腹」といったところです。

悩みの原因がすべてがそれらに当てはまるというわけでもないのでしょうが、私の場合大体それらを解消することで、曇っていた心が晴れ間を見せるかすっかり快晴となるのです。

ただ、それは私が単純なだけかもしれません。

●気づいたことを忘れるかもしれないので

そんなわけで、私は頭だけでなく身体も、それも頭と身体を分けて考えるのではなくそれらを含めた「私すべて」に注意を向けるように心がけようと、認識を改めるのでした。

とはいえ、私などはしばらくすると、こういうことを忘れるような気がしますので、そうなっても支障がないようにここに残しておきます。

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