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【知らぬが仏】「知らなければ良かった」のだろうか?(草稿)

●はじめに

「知らぬが仏」 日本のことわざ

不愉快な事実を知れば、腹が立ったり悩んだりするが、知らなければ平静な心でいられる。
また、本人だけが知らずに澄ましているさまを、あざけって言う言葉。

故事ことわざ辞典」より

「知らなければよかった」
そんなことございませんか?

●「ねぇなんでなんで」「いや…」

「学ぶこと」や「知ること」は人間社会で生きていくうえで必要なことです。
当然、教育の重要性も言わずもがなですね。

ただ、知識を積み重ねていくと、どんどん疑問が湧いてきます。
幼少時代を振り返ると、もしくは幼いお子様と接していて、幼く無垢な子ども達は様々なことに疑問を持ちます。

その疑問をぶつけられて答える大人の立場からしたら、「なんでそんなことまで聞くの?」といささか困ったことになったりもします。

「なんで空は青いの?」「虹ってなんで7色なの?」とか、空をみれば質問が矢継ぎ早に飛んできます。

そう言われてあらためて考えてみると、(すでにそういう知識がある方もいるかもしれませんが)その子どもが理解できるように説明できるのかと頭を抱えてしまいます。

「それは光の波長がね「光のハチョウってなに?」波長っていうのは光の波が「光なのに波なの?」いや海の波とは違う「どう違うの」いやそれは…」

それこそ教授とか専門の方でしたらうまく説明できるのでしょうけどね。

●迷宮の闇

そんな子どもも、周りの環境によっては自ら学習意欲を持ち色々調べたりするようになるかもしれません。
それ自体は喜ばしいことかと存じます。

ですが、その程度の差は人によるかもしれませんが、ネットや学校で知識をつけていっても、いずれは「壁」に突き当たります。

空の色について「光の波長」で科学的に説明できるのかもしれませんが、そもそも「色」ってなんなんだろう、とか、「青」とは万人にとって「私と同じ青」なのだろうかとか、哲学的な疑問にまで及んでしまったとしたら、その「疑問の迷宮」に出口はあるのでしょうか?

「知りたい」という欲求にまかせ知識を集めますが、その知識がさらなる疑問を生み出します。
それが故に科学が発展し、現代人がその恩恵を受けているのは事実です。

ですが、果たして私たちは「すべてをしる」ことはできるのでしょうか?
松明片手に洞窟に踏み入りますが、進めば進むほどその闇はより深くなるように思えるのです。

その洞窟の真っただ中で途方にくれてしまった、なんてことになったら「こんなに踏み込まないでキリのいい所で引き返せば良かった」と後悔するかもしれません。

「知らなければ良かった」というのはそんな心境に似ているように思います。
中途半端な知識が「無明の闇」をさらに濃くします。

●照らすもの

ならいっそのこと何も知らずに生きていくべきなのでしょうか?
おそらくそれは人間社会で生きていくのであれば無理かと存じます。

「知の迷宮」を彷徨ったあげく「無明の闇」に怯えるなんてことがなくなるにはどうすればいいのでしょうか?

最近「一隅を照らす」という言葉を知りました。

「空の色が青い理由」だとか「色を感じるのはなぜか」とか、そういう知識があるからダメということでもないのですが、そういう「知」とはまた違った「智慧」といったものはあるのだと思います。

科学的な知識とは異なる大切なものは確かにありますし、それは日々の生活のなかで培われていくものかなと思いました。

こちらの記事に感銘をうけた次第です。
今後も「愛」というものについても学んでいきたい所です。

高見様、いつも心が洗われるような記事を拝読させて頂きありがとうございます。

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