【 ダンマパダ 227 】どの道文句言われるんだなぁ…(草稿)
●はじめに
仏教、仏典につきましては以下のような見解で述べさせて頂いております。
何卒ご容赦賜りますよう願います。
●ダンマパダの227
こちらは、ダンマパダという仏典を中村元さんが現代語訳したものです。
その第17章は「怒り」です。
この章を通してお釈迦様は「怒るな」と伝えていらっしゃいます。
少し前にダンマパダ228について取り上げさせて頂きましたが、この227はその一つ前の一節です。
●この一節から学べること
この一節の意味ですが、「世の中にはいろんな人がいて、それぞれに好ましい所もあれば怒りをおぼえてしまう所もある」ということです。
どうしても人や物の「好ましくない所」に目がいきがちですが、そればかりに気を取られると「怒ってばかり」になってしまいます。
「好ましい所」にも着目するようにしてみたら、そんなに腹を立てなくても済むんじゃないか、ということです。
●どの道文句言われるんだなぁ
怒りをおぼえた時には、上記のように考えることで「怒りの炎」を鎮める効果が期待できますね。
ただ、私はこの一節からこのようにも感じました。
「非難される時は非難されるもんなんだな」と。
だから、「非難された」と腹を立てることもなければ過剰に落ち込むこともない、ということですね。
ダンマパダ228の記事では、「悪口陰口言われない人なんていないんだから気にしなさんな」ということを述べさせて頂きました。
本当は「人には好ましい所とそうでない所があるんだよ」という意味なんですが、私なりに感じた事を述べてしまいました。
●個人的に「刺さった」一節でもあります
私なんぞは「口は災いの元」と、余計な事は言わないようにする性格だったりもします。
こんな私は「何考えているかわからない」とか「自分の意見を言わないのはズルい」とか、そういうご指摘も頂いてきました。
書き出せばキリがないのですがこれくらいにしておきます。
「黙っていればいいわけでもない」ってことかと。
ただ、そういう事を言われたからといって好き勝手発言していいものでもないですね。
非難されて当然な言動というものはあるわけですから。
●「非難されない者はいない」
要はどんなに清廉潔白に誠実に生きていたとしても「非難される時は非難される」ということですね。
非難を過剰に恐れて「何もできなくなる」なんてことがないように、お釈迦様はこの一節を説いてくれたのかもしれません。
また、非難してきた人と一緒になって「怒りの炎」を燃やさなくてもいいよと仰ってくれているようにも思えます。
そう思うと私のような者は「有り難い」と感じるのです。
なんだか救われた気持ちになりました。
本筋からはずれてしまっているのですが、そういう解釈もできてしまうダンマパダは学べる所がたくさんあるので魅力的な仏典だと思う次第です。
ここまで読んでいただきありがとうございます。 少しでもいい記事が書けるよう精進致します。 ※誤字・脱字等ございましたら、お手数ですがコメントにておしらせ頂けると幸いです。