見出し画像

日日自炊自足【4月6日の夕食 と 思考回路を開拓せよ】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

・鯛 みたいな魚のみりん干し
・牛肉 蓮根 人参 の煮物(味付:ラカントS 醤油 酒 みりん)
・玉ねぎ を電子レンジでチンしたものに田楽味噌とコチュジャンをかけたもの
・納豆 キムチ

確実に本とか読書が「DNK」だった。
(補足
D・・できない
N・・苦手
K・・嫌い)

いろいろな事情が重なり、本を読み始めて5年がたつ。

今年2月に思い立って記録を始めてみると、そこそこ読んでいることに驚いた。
記録が続けられたら、DNKだったわたしがどうしてこうなったのか、を書いてみたいと思う。

こうなった というのは実は「克服した」とか「好きになった」とかそういうことではなくて、「読めるようになった」という認識でしかない。

「好き?」と聞かれれば「い~・・やぁ~・・?」と返すだろうし
「読書が趣味なんだ?」と聞かれればきっぱり「いいえ」と答える。

ただ、手元に本がないと慌てて図書館に予約を入れているし、読んでいただけの頃よりも、読んだものを記録してみると圧倒的に趣味感が出て、自分でも「おや?これはもしや・・」となっているけれども、納得はしておらず

「そもそも趣味って何なのよ?」という定義にまで遡る。
我ながら面倒。そして頑固な脳みそを持っているんだなと思う。

そもそもわたしには「趣味」と言える明確な何か、があったことがない。
今でいう「推し活」をしていたこともあるけれど、それだって「受け取ること」であって、自発的にするもの(それが趣味と呼ぶべきものなのでは?)との区別があった。
趣味がないこと、それは決して悪いことではないのだけどでも
それがあると・・人との会話が楽そうだな、と思う。

なぜなら趣味がないことを納得してくれない人に、何度も出会ったからだ。
わたしは自分が「そういうタイプの人間」なので、どんな人(例えば趣味のない人や下戸←どちらもわたしです)にも楽しみはあるはずだと思っているし、不幸だとは思わないのだけど
「そういうタイプの人間」に不幸という言葉を使ってひとかたまりにしてくる人がいて、そのたび律儀に傷ついた。

「そういうタイプの人間」を不幸だとひとかたまりにする人は、相手が何が好きで何が嫌いで・・肩書やら性別やらそんなことがはっきりわからないと、会話が持てないのか な?(想像です)

だから長らく
趣味と言えることがあったら、そんな思いはしなくて済むだろうと思ってきた。
だけど、趣味って・・・無理矢理作るものでもないんでしょう?

なーーーんて言って50年。
そろそろ今までとは違った思考回路を開拓したいじゃないか。

無理矢理作るものじゃない、で行き止まっていたことを


ちょっとずつ寄せてみる
にしてみるのはどうだろう。

好きな本や好きな作家はまだいないけれど
好きな本屋ならある。
本を読む、それだけが「趣味」ではない は ず。

だから5月21日


「文学フリマ」というものに行ってみようと思う。

https://bunfree.net/

50歳初心者のわたしですが、文学フリマの楽しみ方があったら教えて下さい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?