【俺のプロローグ 〜迷惑をかけない〜 】

 エッセイ

  作成中。毎週更新します。

〈概要〉
“迷惑をかけない”それを意識しすぎるあまり自分が分からなくなることがある。
「もっと自分を出したい」って思うけど、迷惑かけないように、不快にさせないように、顔色伺い同調しながら、その場その場で自分を変えながら関わってしまうため、結局自分を出せない。
本当の自分って何なんだろう。
もっと自分の考えや思い、いろいろな発想や想像を表に出したい。どうしたらもっと自分を出せるだろう……そうだ、エッセイだ!
自分らしく生きるために、自分を思う存分晒け出すことをテーマに、器用なようで不器用な、不器用なようで器用な私の人生を綴ります。

〈目次〉
1.俺のプロローグ 〜迷惑をかけない〜
2.迷惑をかけないは迷惑をかけた
3.俺はそんなヤツじゃない①
4.部活の話 〜俺はキャプテン向いてない〜
5.上阪での失敗
6.今の自分は好きですか?
7.砕け散った好奇心
8.もしも俺が魚だったら
9.普通名詞の関係
10.何が迷惑になるか分からないから
11.初めての本気土下座
12.笑われるを知る
13.俺はそんなヤツじゃない②
14.教師にしばかれた話



 毎週更新していきます。

 順番どおりに見てもらえると嬉しいです。

【俺のプロローグ 〜迷惑をかけない〜 】

“人に迷惑をかけない”
 それが俺の生き方。
「夢」や「目標」そんなものはない。ないというより分からないというほうが正しい。分からない“人に迷惑をかけない”そうやって生きているから。

“人に迷惑をかけない”
 人の顔色、感情の変化、人間関係などあらゆることにアンテナを張る。
 人の発言の意図や裏側を考える。
 時と場合、環境や立場が変わると俺は変わる。その場での自分の立ち位置、自分がどう振る舞うべきか、自分の役割は何かを考え自分を変える。その時々で俺と関わった人たちの、俺への印象はそれぞれ違うかもしれない。
 1番楽な方法は何か? それは無言でいることだ。無言でいる自分に慣れてもらうことだ。そうすることで空気と化し、存在を消すことができる。周りが俺のことを気にかけることは無くなる。

“人に迷惑をかけない”
 何が迷惑になるか分からない。
 究極の方法は何か? それは人に会わないことだ。
 俺は人を誘うことが苦手だ。自分のためにわざわざ時間を割いてくれている――申し訳ない気持ちになる。休みの日はひとりで過ごすことも多い。

 ただ、こんな俺だが暗い人間ではない。むしろ明るく陽気に生きてきた。
 その証拠に中学を卒業するとき、クラスメイトからの寄せ書きには、
『めっちゃおもろかった』
『高校でもおもろいままでおってね』
『たくさんのボケをありがとう』
『高校でもボケろよ』
『中3で初めてクラス一緒になったけど、そぉとぉおもしろかったです』
『君は最高でした』
 そんな言葉が並ぶ。嬉しかった。
 ただ、それが自分のキャラであり、そういう自分でいることが、自分の役割だと思っていた。そして、その役割を全うすることが“人に迷惑かけない”方法でもあった。
 俺は明るかった。自ら率先してボケたり、バカをしたり、そんなふうに人の目につくよう振る舞った。そんな俺は、いじられることも多かった。周りからのいじりに、時には乗っかり、時にはツッコミ、時にはいじり返す。
 中学生のいじりは雑なものも多い。
 あるとき、クラスメイトの1人が俺の筆箱を教室の端へ投げた。
「うぉおい!」俺は明るくツッコむ。
 床に落ちた筆箱を、たまたまそこにいた別のクラスメイトが拾い、ゴミ箱に捨てた。
「おいーーー!」俺は元気よくツッコむ。
 ゴミ箱の中を覗くとチョークの粉が大量に入っていた。
 ――腹が立った。
 俺は、チョークの粉まみれになった筆箱を手に取り「もぉぉ!」と笑顔で言うだけだった。
 傷つくことも、腹立つこともあったが、感情のままにそれを言うことはない。それが俺の役割だから。そんなキャラだった俺は、みんなと仲が良かったし楽しいことのほうが多かった。
 中3のとき、親しい友達に「俺もう高校なったら、このキャラ辞めるわ!!」と嘆いたことがある。楽しかったが疲れていた――そんな自分でいることに。
 その友達は寄せ書きに、
『高校でも今のキャラでおれよ』
 と書いていた。

 卒業式の数日後、クラスの集まりがあったが、俺は行かなかった――。


 高校でも俺は陽気なキャラだった。そのキャラでいることは楽しかった。
「お前って悩みとかなさそうやな」
 あるとき友達にそう言われた。そもそも明るく振る舞っていたが、周りにはそんなふうに見えているのだと認識したことで、より一層強靭なものになった。さらに拍車が掛かり、テレビで見たギャグをマネしたり、自分で考えたギャグを披露したり、とにかく俺は明るかった。
 高校生活では“悩みがなさそうな人でいること”それが俺に求められている役割。そして、そうすることが“人に迷惑をかけない”方法でもあった。
 こんな俺が野球部でキャプテンになった。“人に迷惑かけない”そうやって生きている俺が――。
 先輩が引退する少し前、部室でキャプテンと副キャプテンと3人になったことがあった。
「お前がキャプテンするしかないやろ」
 2人からそう言われた。俺も薄々そう感じてはいた。
 田舎の小さな弱小校、俺の同期は5人、1学年上の先輩は7人しかいなかった。俺は新チーム結成当時から怪我をするまではスタメンで試合に出ていたし、部活のときの俺は普段のただ明るく振る舞うだけの自分とは違い、おちゃらけ要素は激減する。部活は真面目に取り組んでいたし、先輩や顧問に怒られないように気を張っていたから、ちゃんとしている印象はあったかもしれない。それに、他の同期たちは面倒見がいいほうではなかった。
 俺がキャプテンになるのは所詮、消去法だ。顧問や同期、後輩からも諭された俺はキャプテンになった。
 本当はめちゃめちゃ嫌だった。

“人に迷惑をかけない”  
 キャプテンになっても変わらない。

 野球部は声を出す。声が出てない!活気がない!などと顧問から怒られることがある。俺は誰よりも声を出した。みんなの分もカバーして怒られないように、誰よりも声を出し続けた。

 キャプテンの俺は部活に行く前、体育教師だった顧問のところへ練習メニューについて話を聞きに行かなければならない。俺はいつも、重い足取りで教官室へ向かい、そそくさと教官室のドアをノックする。「はぁい」その時々で抑揚の違う顧問の返事に、気を揉みながらドアを開ける。2人だけの空間で、自分のこと、部員のこと、チーム全体のこと、部活に関係ないことなど、あらゆることで俺は度々説教をくらい、時には憤慨される。俺はそれを他の部員にはそのまま言わないし、言うときは「こう言ってたわー」「そう言ってたから気をつけてなぁ」と、ゆる〜く伝えるだけだった。

 グラウンドに散らばったボールをみんなで回収していたとき、顧問にはチンタラ集めているように見えたようで、近くにいた俺に「おい! お前言わんか」と。
「うぉおおおおい! 早く集めろよぉおおおおーー!」
 俺は怒鳴った。グラウンドに響き渡る声量で怒鳴った。自分なりに精一杯怒鳴ったつもりだった。
「そんなんじゃあかんのじゃ!!」
 顧問は俺に怒号を放ち、もっとちゃんと怒れと説教をした。
 俺はダメだ――。人を怒れない――。キャプテンは怒れないとダメなのか――。そもそも怒りが湧かないし、そんなに怒ることなのだろうか――。
 俺はキャプテンも、部活さえも、辞めたいと思うようになっていった。
 そもそも向いてない“人に迷惑をかけない”そうやって生きている俺だ。

 体育会で生きた経験がある人には分かると思うが、体育会ならではの理不尽なしごき、後輩をいびりたいだけの無駄なしごき、そういったことが度々ある。それが伝統になっていたりもする。俺はキャプテンになってから、それらのほとんどを撤廃した。『人にされて嫌なことを人にしない』園児でも知っているそれを俺は実行しただけで、歴代の先輩たちは、なぜそうしないのか疑問に思っていた。
 そしてなにより、俺は野球が上手くなかった。俺より上手い後輩がたくさんいた。そんな俺が後輩たちに何かを強いたり、嫌がらせみたいな仕打ちできるわけがない。実力が劣るキャプテンの言うことなんて聞かないに決まってる。
 顧問が見ていないところで、練習をサボったり、ふざけている後輩たちがいても、キャプテンの俺も同期たちも怒ったりしない。だって、俺たちよりも上手いから。仮に、俺ひとりがどれだけ正論で叱責したとしても、数と力には勝てない。
 俺は後輩たちとも明るく陽気なキャラで接した。後輩たちが俺をいじることもあったが、それに俺は乗っかり、ツッコむ、そして一緒に笑う。なんでも許した。きっとこんな俺をナメていたと思う。生意気な後輩たちと絡むのは面白いことも多かったが、憎たらしく思うことも、プライドが傷つくこともあった。
 ――仕方なかった。
 実力もない、引っ張ることもできない、俺はそんなキャプテンだから。

 部活は毎日憂鬱だった。
 そんな数々の葛藤や苦悩を、他の部員やクラスメイトは知らない。
 “お前って悩みとかなさそうやな”
 俺のおでこは以前よりも広くなっていた。

 高3の夏、最後の大会で俺たちは一回戦敗退。
 終わり良ければ全てよし! そう思いながら、そのために我慢してきた。しかし、俺は試合に出ることなく終わった。全ての苦悩や我慢が、全く報われないまま終わった感覚だった。試合が終わった直後、俺は泣けなかった。
 試合後、球場から部室に帰ると、俺は誰よりも早く部室を出て帰宅した。俺はその日の内に、グローブやスパイクなど、部活で使っていたあらゆる物を自分の元から消した。
 ひとつ、驚くことがあった。
 試合で負けて終わった直後、後輩たちが泣いていた。まだ来年もある後輩たち、生意気だった後輩たちが――。
 それが唯一、良かったと思えたことだった。
 時々、ふつふつと浮かんできていた憎たらしいという感情は、シャンボン玉のように弾けた。
 やっぱ俺はこいつらが好きだ。

 翌年、後輩たちは最後の夏の大会で県ベスト8に進出する。それは我が母校、27年ぶりの快挙だった。

   * * *

 ――卒業式の後、最後のホームルーム。
 生徒一人一人が順番に教壇に立ち、クラスに向けて挨拶をする。
 俺は教壇に立ち、
「みなさん卒業おめでとう」
「お前もやっ!」
 担任がツッコむ。クラスメイト、教室の後ろで見ている保護者たちが笑う。
「最後に保護者の皆様、この度は・・・」
「誰が言うとんやっ!」
 担任がツッコむ。みんなが笑う。
「そんな3年間でした(笑)」ペコリ。

 俺は高校を卒業した。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?