【何が迷惑になるか分からないから】

 うちの小学校では毎年、学習発表会という行事があって、それは学芸会みたいなもので各学年ごとに舞台上で劇をしたり、ダンスをしたり、調べ学習のことを発表したりする。発表会の当日には、保護者や町の教育委員の人も観覧に来るような年に一度の行事。
 小学3年のとき『さんねん峠』という童話の劇をした。俺は主役のおじいさん役になった。
 本番3日前に総練習があって、開会から閉会までの流れを通し、全校生徒と教員たちの前で実際に劇を披露した。
 ――そのとき俺は、セリフのミス、動きのミスを犯してしまう。
 はたから見ている人には分からない程度のミスだったが、舞台上にいるクラスメイトたちは俺のミスに気づいていた。
 劇を終えて教室に戻ると、
「ほんと最悪」
「1年生でもちゃんとやってんのに」
 そんな声が、クラスの女子たちから聞こえてきた。同じ空間にいた俺に、直接言ったのかは分からなかったが、明らかに聞こえる声量だった。俺は怖くて女子のほうへ視線を向けることができなかった。

 その日をきっかけに、女子たちからの扱いは明らかに変わった。
 発表会の本番はミスなく無事に終えることができたが、それは変わらなかった。

 ――俺は、女子たちから虐げられるようになった。

 虐げられたといっても、暴力的な過激なものではない。
 俺がやることなすことに対して「意味わからん」「なんでなん」そういった罵詈雑言が聞こえてくる。
 グループをつくる状況になったとき、俺と同じグループになることを露骨に嫌がり、露骨に避けようとする。 
 クラスみんなで遊ぶとき、例えば鬼ごっこでも、俺が鬼になると女子はあからさまに冷めた態度を取り放棄する、もちろん俺も女子を追わない。
 授業のなかで、どうしても相手に触れないといけない場面があったりして、俺が触れると、俺に触れられた部位をなぞり「呪いや〜」と他の人になすりつけ合いが始まる。

 女子たちから、そういった扱いを受けるようになった。もちろん俺から話かけることも、近寄ることもなくなった。

 うちは田舎で、ひと学年10人程しかいなくて、クラスメイトはみんな幼なじみでずっと一緒だった、そしてこれからも。そのなかで、そういう扱いを受けるのは辛かったし、同じ空間にいることが辛くても、逃げ場はなかった。
 同学年の男子や上級生・下級生との関係は、それまでと変わらなかった。俺は明るくて、やんちゃだった。同じクラスの女子がいないところでは、それまでと変わらず明るく、やんちゃに、楽しく過ごした。それはきっと防衛本能として、そうしていなければ耐えられなかったんだと思う。一種の“現実逃避”でもあり、救いでもあったが、いっそのこと全員から嫌われていたなら、不登校にでもなって逃げることもできたかもしれない。そのほうがラクだったかもしれない。逃げたい気持ちはあった。一度だけ、学校に行くのが嫌で休んだことがある。
 俺が自分から言ったのか、担任が言ったのか覚えていないが、親にも心配された。兄からは「お前、女子にいじめられとん」と嘲笑されるだけだった。

 劇でのミス、それも本番ではない。それがきっかけで俺はそういう扱いを受けるようになった。直接的に誰かに危害を加えたわけでもない。ちょっとしたミスで、迷惑をかけてしまったことで、そういう扱いを受けるようになった。ミスをすることの怖さ、迷惑をかけることの怖さ、人に嫌われることの怖さを知った。

 そして、

“何が迷惑になるか分からない”
“何で嫌われるか分からない”

 そんな感情が根付いた気がした――。


 ただ、この出来事はあって良かったと思ってる。俺にとってこの出来事は、人生のターニングポイントでもあった。


 子どもの頃は勉強ができる人よりも、運動ができる人のほうが強い立場になる風習があったように思う。俺は後者だった。俺は学年で1番走るのが速かったし、運動神経も比較的良かったし、すぐ調子に乗るし、負けん気も強かった。そんな俺はクソガキだった、特に小学校低学年のときは。
 いわゆるガキ大将タイプで、俺についてこい的に上からものを言うし、嫌味もバンバン言ってたと思う。それも男子に対してだけで、そもそも基本的に女子と絡むのは苦手で、恥ずかしいというか、積極的に絡んだりはしなかった。
 小2のとき、当時俺がよくからかっていた4学年上の女子がいた。「ばーか」「きもー」などと挑発しては、追いかけられながらケタケタっと嘲笑っていた。それを周りも笑った。ある日、その人から好きな人を聞き出すことに成功した俺は、しめしめと、それをみんなに言いふらしまくった。「お前ふざけんな!!」当然その人は激怒したが、俺はケタケタっと嘲笑うだけだった。――本当に最低なクソガキだ。なぜその人は俺に好きな人を教えてくれたのか――。本当に最低なクソガキだ。
 俺は、人を傷つける側の人間だった。
 そんなふうに調子に乗った俺にいじられたり、からかわれたりして、嫌な思いをした人や傷ついた人は何人もいたのかもしれない。俺は当時自分がそういうヤツだった自覚はあるが、具体的なことはほとんど覚えていない――。

 ――やった側とやられた側、記憶の濃淡は違う。

 自分が経験した悲しいできごとや傷ついたできごとはわりとしっかり覚えていて、同情を買えるように述べることもできるくせに、自分が逆の立場でのことはほとんど覚えてないなんて、都合のいい人間だなってつくづく思う。そんな自分に時々嫌気がさすし、クソだなって思う。大人になってから、例えば恋愛で彼女と別れたとき、彼女が悲しんだり、泣いたりすると、あるいはそれが想像できてしまうと、俺はその人を差し置いて幸せになっちゃいけないんじゃないかなって思う。恋愛に限らず、関わっている人すべてそうだ。
 俺の周りにも、立場や権力を利用して人を傷つけてたヤツが今は結婚して子どももいたりして順風満帆に生きているのに対し、傷つけられた側は世間に馴染めずもがいている例がある。その傷つけられた側は自分が抱えてる悩みや苦痛も、人の悪口も一切言わない誰よりも優しい人。傷つけた側はその自覚すらないと思うし、知ったところで自分を正当化するだけだと思う。俺は世の中クソだなって思う。俺だってそのクソだ、特に子どもの頃のことが多いが昔のこととはいえ、その自覚があるし、相手の気持ちを考えれば俺はクソでいい。俺は幸せになっちゃダメなヤツなんじゃないかなって時々思う。せめて、クソな自分のクソを埋めれるぐらい人の役に立てれば、もしそれができたなら、あらゆる後悔や罪悪感も浄化されるのかな。

 俺が女子から虐げられるようになったのは、劇でのミスがきっかけではあったが、それはあくまできっかけで、もしかしたら俺の普段の振る舞いや態度も原因の1つだったのかもしれない。そうだとしたら、俺がそうなったのは当然の報いで、因果応報だ。
 もしクソガキのまま成長していたら、人の気持ちも考えない、人の痛みも想像できない、ただのクソ野郎のままだったかもしれない。そういうふうに想像できてしまうからゾッとする。


 ――虐げられた生活は数年続いた。
 徐々に薄れていき、小6になったときにはほとんど無くなっていたが、それでも女子たちと仲良くなったわけではないし、壁は感じた。
 気づいたら俺は、いじられるようになっていた。きっかけは、はっきり覚えていない。何か言われても、乗っかって言い返すようにしたことで、それがウケたり、言い合いになったりして盛り上がったり、そういったことの積み重ねで女子との壁は薄くなっていった。――楽しかった。

 次第に俺は、いじられキャラ、おちゃらけキャラとして確立されていった。いじられているときは特に、高いテンションで応じた。体が細くて、テンションが高かったので、女子からは江頭2:50やエスパー伊東、融合してエスパー2:50などといじられたりした(お二人の存在には感謝しかありません)。いじられたときは、全力で乗っかり、マネをしたり、ツッコんだり、いじり返したりして笑い合った。――楽しかった。

 小6のとき、女子からあだ名を付けられた。
 俺のあだ名は『じい』。
 劇でおじいさん役をしたことが由来だ(小1と小3で2回おじいさん役)。奇しくも、虐げられるキッカケにもなった『じい』。しかし、そう呼ばれるようになった頃には、もうそこに嫌味は含まれていなかった。女子たちとの距離を遠ざけた『じい』は、今度は女子たちとの距離を縮めてくれた。
『じい』と呼んでくれる。絡んでくれる。そして、笑ってくれる。
『じいさん』『じじい』『くそじじい』状況によって変わった。俺も「うっせーばばぁ」などと、いじり返したりて笑い合った。――楽しかった。


 中学になっても、俺へのいじりは変わらなかった。
 同じ小学校の女子たちによって、それが広がっていった。あだ名も『じい』のまま。元々やんちゃで明るかったのも相まって、俺はいじられキャラ、おちゃらけキャラとして確立されていき、小学生のときよりもさらに荒々しいいじりによって研ぎ澄まされていった。
 小3のときの劇でのミス以前から、女子と喋るのは苦手だったが、虐げられたことでますます苦手になった。それが、いじったり、いじられることによって女子とも絡めるようになったし仲良くなった。仲良くなったといっても、基本的にはいじったり、いじられたりの関係。何か語り合ったりみたいな、会話という会話はほとんどしていない。それは男子も女子も。楽しめているはずなのに、時々徒労感や孤独感を感じることがあった。

  ――それでよかった、それでいい。

“人に迷惑をかけない”
 何が迷惑になるか分からないから――。
 何で嫌われるか分からないから――。

 迷惑かけるぐらいなら、嫌われるぐらいなら、どれだけいじられても構わない。好かれなくたっていい。いじられること、明るい自分でいること、それが俺の役割で、それを全うすることで、みんなに迷惑をかけずに、嫌われずに、生きていける。俺は俺の役割を全うするんだ。――やがて、俺も、周りも、それが“当たり前”になった。
 それに嬉しかった。俺の振る舞いに対して、みんなが笑ってくれること、楽しんでくれることが。だから、みんなが笑ってくれるように、いじりやすいように、ツッコミやすいように、自ら率先してボケたり、バカをしたり、そんなふうに人の目につくよう振る舞った。
 体が細くてホラーマンなどと言われたり、ビンタされたり、筆箱をゴミ箱に捨てられてチョークの粉まみれになったり、腹が立つことや嫌な思いをするときがあってもそれを表には出さず、明るく乗っかり、時にはツッコミ、時にはいじり返して応じた。楽しいことのほうが多かったけど、ずっとその自分でいることがしんどくて、このキャラを、役割をやめたいと思うこともあった。それでも自分の役割を全うした。

  ――それでよかった。

 中学卒業のときの寄せ書き、
『めっちゃおもろかった』
『高校でもおもろいままでおってね』
『たくさんのボケをありがとう』
『高校でもボケろよ』
『中3で初めてクラス一緒になったけど、そぉとぉおもしろかったです』
『君は最高でした』
『じいさん高校でも頑張ってやあ』
『長生きしてね』
『じい じい じい じい じい じい』
 みんな普段はそんなこと口に出さないけど、数々の嬉しいメッセージ。
 俺はこれでよかったのだと思えた。


 元々はクソガキだった俺。
 中学のときはまだ、その感覚も完全に消えたわけではなかった。俺もよく人をいじった。みんなが俺を遠慮なくいじったり、遠慮なくツッコんだりしてもらうために、俺からいじったりして、けしかけることもしばしばあった。そんなふうに『いじり』に“意図”を持つようになった。だが、俺は調子に乗りやすい一面もあって、そういったなかで調子に乗ってしまい人を怒らせたこともある。ただ、そういうとき俺は謝るようになったし、反省して同じことをしないよう心がけるようになった。かつての俺のままなら、ケタケタ笑って面白がっていただけだったと思う。
 いじりに意図を持つようになったことと、反省するようになったことで、いじるとき、いじり返したとき、いじった後など、相手の反応や表情を伺うようになった。
 それもあってか、小学のときのことはほとんど覚えていないが、中学以降で俺が人を怒らせてしまった出来事はわりと覚えている。


 俺がいじったことで学んだこともあるが、いじられるようになったことで、嫌ないじりや傷つくいじりも身を持って経験した。
 容姿や人間性を否定をするようないじりは、気持ちのいいものではない。言い方や内容によっては傷つく。それでも対応するが、しつこいヤツがたまにいる。俺は不快に思う。
 真剣に取り組んだことや、真面目な言動や振る舞いに対して、いじってくるヤツがたまにいる。俺は不快に思う。
 普段そんなにいじってこないくせに、その場に女がいる状況のときだけ、やたらいじってくるヤツがたまにいる。俺は不快に思う。
 後輩がいる前で、バカにしたようないじりをするヤツがたまにいる。俺は不快に思う。さらにいえば、自分は人をいじる立場だと、強い立場だと、見せつけたいがために、いじってくるヤツがたまにいる。俺はそういうヤツが嫌いだ。
 よく人をいじるくせに、自分が人からいじられると、あからさまに怒るヤツがたまにいる。俺はそういうヤツが嫌いだ。
 身体に痛みを伴ういじり、例えばビンタやつねる行為でも2、3発ならリアクションを取りながら、笑って応じることもできるが、しつこくされるとしんどい。それに痛い。それを分かった上でしつこく続けるヤツがたまにいる。俺はそういうヤツが嫌いだ。
 いじられることで、そのやりとりを見て、周りが笑ってくれたり、場が盛り上がったりすると、いじられ冥利に尽きる。2人っきりでもいじってくる人もいる。2人っきりでも楽しければいいし、関係性や内容によっては不快には思わない。たまに、2人っきりの状況でもやたらいじってくるヤツがいて、完全にそいつのストレスの吐き口で、そいつの自己肯定感を上げるためのオモチャでしかないと感じることがある。俺はそういうヤツが嫌いだ。

 いじりを楽しめる許容は人によって違うし、表向きは明るく振る舞っていっても、内心はどうか分からない。そのときの状況や関係性によっても違う。冗談のつもりでの言動でも、それが冗談だと伝わらなければ成り立たない。それは関係性と表現の仕方が重要だと思う。冗談は冗談だと分かりやすく表現しなくてはならない。
 冗談やいじりのつもりでも、容姿や人間性を否定するような発言を不用意にしてはいけない。そもそも『人にされて嫌なことを人にしない』。
 同じワードでも表情や口調、状況が変わると受け手の印象は変わる。例えば、真顔で眉間にシワを寄せて低い声で「うざ」って言うのと、目を大きく見開いて明るい声で「うざ」って言うのとでは印象はそれぞれ違うし、2人きりでそれを言うのと、数人でわいわいした状況でそれを言うのとでも印象はそれぞれ違う。
 言葉や伝え方って、とてもデリケートだと思う。

 俺は小・中・高、特に中学のとき、よくいじられていたがいじめとは思っていないし、いじめではないとはっきり言える。それは関係性があったから。俺はいじられることを自分の役割にしていたから、どれでも許容範囲内。それにほとんどの人は、俺がいじり返しても怒ったりしなかった。だから、どんないじりでも深刻な雰囲気になることはなかったし、笑い合えることがほとんどだった。周りは、そんな俺のリアクションや、罵倒し合うことさえも、楽しみの1つとして期待していじっていたように思う。なぜなら、みんな笑ってくれていたから。一部例外もいたけど、そんなみんなのことが俺は好きだったし、みんなと仲が良かった。
 それぞれ自分のなかにある様々な負の感情、まだまだ精神が未熟な少年期がゆえに、それは本能的で、且つ不安定で、それのぶつけどころや対処の仕方が分からず、それは時に『いじり』として、場合によっては『いじめ』として表面化されるのかもしれない。みんなが俺をいじってるとき、笑っているとき、その時間はいわゆる“現実逃避”であると共に、大人になる過程で負の感情との向き合い方や対処の仕方を学ぶことにも繋がったのかもしれない。
 俺はしんどくても、みんなが笑ってくれることが嬉しかった。その瞬間が俺にとっての“現実逃避”だったような気がする。


 大人になった今でも、幼なじみの女子たちとも仲が良くて、俺にとって大切な友達だ。それぞれと2人で飲みに行くこともある。幼なじみのなかでも、連絡を取って、そんなふうに絡んでいるのは俺ぐらいだ。
 今でも『じい』と呼ばれている。
 会ったとき、
「久しぶりに名前で呼んでみてよ、say!」
 なんて言ったりすると、
「えー、無理」
「もう、じいはじいやもん」
 そんなふうに言われる。
「えーもぉー」
 って俺はツッコむけど、本当は嬉しい。


 過去は過去。今は今。

 ――劇でのミス
 ――虐げられた思い出
 あれがあって良かった。


 それでも根強く残る

 “何が迷惑になるか分からない”
 “何で嫌われるか分からない


 エッセイ
 
  作成中。毎週更新します。

〈目次〉
1.俺のプロローグ 〜迷惑をかけない〜
2.迷惑をかけないは迷惑をかけた
3.俺はそんなヤツじゃない①
4.部活の話 〜俺はキャプテン向いてない〜
5.上阪での失敗
6.今の自分は好きですか?
7.砕け散った好奇心
8.もしも俺が魚だったら
9.普通名詞の関係
10.何が迷惑になるか分からないから
11.初めての本気土下座
12.笑われるを知る
13.俺はそんなヤツじゃない②



 毎週更新していきます。

 順番どおりに見てもらえると嬉しいです。

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