【今の自分は好きですか?】
俺は専門学校・S校に入学してからずっと皆勤だった。
19、20歳の血気盛んな時期であるがゆえに学校をサボる人も多かった。昼休みにゲーセンのパチンコが当たり「俺このままおるわ」と、そのまま打ち続け学校をサボるやつまでいた。ゲーセンのパチンコで……。
そんな中で皆勤者は希少人種だった。皆勤であるからには、このまま卒業まで皆勤を目指すと俺は決めていた。それは“大人しくて真面目な人”としてふさわしい功績だ。
ところがどっこい
2年目の10月。
1限目の授業は午前9時10分から始まるのだが、起床して時計を見ると午前10時を回っていた。
「やってもうた……」完全に寝坊してしまい、1限目の授業を欠席せざるを得なかった。入学してからおよそ1年6ヶ月、卒業まで残り5ヶ月のところで無遅刻・無欠席が儚く消えた。惜しくも寝坊によって……。
すると、俺は壊れ始めた。
2年目の9月に就職の内定をもらっていた。就職さえ決まってしまえば、あとは単位さえ取れれば、もう学校に行く必要なんてないって思っていたし、それにもう皆勤を目指せないのだから――。
――俺は学校をサボるようになった。
朝、急げばギリギリ間に合うぐらいの時間に起きた場合、足掻くことなく堂々と遅刻するか、もしくは行かない。朝起きて、眠たい……めんどくさい……という感情が強い場合は感情に逆らわず眠り続けた。
気が向いたら派遣のバイトで日給がいい夜勤のバイトに入り、朝帰りをしては学校に行かず自宅で眠った。
度々、俺のガラケーにバイブ音とともに学校の電話番号が表示されたが、俺は一生無視し続けた。登校した際に、担任から呼び出され「ちゃんと学校に来なさい」とご指導頂いたが、「もう就職決まってるし」「単位取れればよくない?」「っていうか俺より来てない人もいるでしょ」と心の中で訴えながら、機械的な「はい」と「すいません」を繰り返し発した。
なおも俺のサボりは続いた。
これまでの人生で、行くことすらしないという完全なるサボりをしたのは初めての経験だった。
そして、俺はその頃から髪を伸ばし始めた。元々はどちらかというと短髪の部類だったが、前髪は目にかかるぐらいの長さでセンター分け、横髪は耳たぶよりも長く、えりあしは後ろえりに掛かるぐらいの長さになり、トップには軽めのパーマまでついた。
学校終わりには、クラスメイトとスロットやパチンコに没頭した。
前々から“大人しくて真面目な人”そうあり続けることに疲れを感じてはいたものの、皆勤という蝶番によって保たれていた。それが、就職内定によって揺らぎ始め、皆勤が潰えるとともに壊れたドアから怠惰が勢いよく駆け出した。
皆勤だったときの俺、そして“大人しくて真面目な人”の俺とは、あからさまに変わっていったが、それからの自分のほうがラクに過ごせた。
サボりという名の“現実逃避”だったのか、もしくはそれが“本当の自分”なのかは分からない。
俺っていったい……。
そんな俺の変貌ぶりをみて、クラスメイトたちからは、調子に乗ってるなどと以前よりもいじられるようになった。
卒業するときの寄せ書きには、
『あんま調子乗んなよ』
『就職決まってから調子に乗ってました。誰もが分かるぐらい調子に乗ってました』
『家はちゃんとカギをかけましょう!笑』
『オイ!チャラ男!』
『内定もろてヤンキーになったのには参りました』
『君はジャグラーを仕事にするべきだと思います』
『タバコばっか吸ったらあかんで。死ぬで』(タバコは吸ってねぇ!)
そういったメッセージが連なった。
“大人しくて真面目な人”としての痕跡はメッセージには残らなかった。俺が役割として課してきたそれと、皆勤が潰えるまでの1年6ヶ月よりも、最後の5ヶ月の俺のほうが、みんなの中の俺なのだろうか……。
悪い気はしなかったし、むしろ嬉しかった。確かに、最後の5ヶ月のほうがいじられることが多くなったし、クラスメイトたちとの距離も縮まっていった感覚はあった。
俺っていったい……。
極め付けは担任からのメッセージだ。
『就職が決まってから乱れてしまいましたね。
やってみないとわからないこともあるけど、
やってみてどうでしたか?
今の自分は好きですか?
自分を大切に』
――担任よ。最後ぐれぇ、もっと明るく送り出してくれねぇか。
確かに最後は乱れたけどよぉ、それまでの俺を褒めてくれてもいいんじゃねぇか。
はなむけの言葉にしちゃあ、ちょいと悲しくねぇか。おいっ。
“今の自分は好きですか?”
分かりまへーん。
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