5.上阪での失敗

 高校を卒業して、大阪にある専門学校に進学した。

 高校生だった当時、元々は就職希望だったが、学校にある求人票を見てもやりたいと思うものがなかった。そもそもなりたい自分も、やりたい仕事も分からなかった。“人に迷惑をかけたくない”そうやって過ごしてきたから。
 むしろ、高校生の段階でやりたいことが見つかっている人のほうが珍しいんじゃないかなって思う。

 毎年、大手の自動車製造会社4社から、うちの学校に各1名ずつの募集があって野球部からそこへ就職する人も多かった。俺もそのレールに乗ろうとも思ったが、元々飽きっぽいし、車や機械にも興味がないし、そんな俺だからそういった仕事に興味が湧かなかった。
 野球部だったし、体力を使うような仕事がいいかなぁって、自衛隊や消防士も考えたが、毎日訓練とか集団行動とか、もうウンザリだなぁって思ってやめた。
 進学は毛頭ない。勉強は全然好きじゃなかったし、赤点ギリギリで乗り切ってきた俺は、勉強を頑張ったことがほとんどない。進学は無理、高校卒業してまで学校はもう嫌、大学で4年間なんて考えられない。

 就職希望の同級生たちが一人、また一人と進路が決まっていくなか、ダラダラと求人票を眺める日々が続いた。
 何でみんなそんなにトントン進路決めれるんだ……。一緒によくつるんでいた友達、お前たちまで……。
「あ〜みんな、俺を置いていかないでくれ」「もう、いっそのこと誰か俺の進路決めてくれ」心からそう思った。

 進路が全然決まらないなか、学校で開かれた進学ガイダンスで、ある専門学校の説明を聞いた。そこは、大阪にあるスポーツトレーナーやインストラクターを養成する系の専門学校だった。パンフレットの表紙にはスポーツウェアを着たお姉さんが笑顔でテーピングを巻く姿が写っていた。
 なんか楽しそう、運動自体は好きで今まで野球やってたし、デスクワークはしたくないし、2年間でいいし、県外に出てみたいし、っていうそんな理由と、進路がなかなか決まらない焦りも後押して、俺はその専門学校への進学を決めた。
 別に何の熱意も情熱もない。それでも親はすんなり受け入れてくれた。

 そんな感じで、俺は大阪の専門学校・S校に通うことになり一人暮らしを始めた。一人暮らしといっても、2年の間家賃も生活費も親が出してくれた。俺は親のスネを、骨も無くなるぐらいかじり尽くした。感謝。

 人生で初めて、知り合いが1人もいないクラス。全員初めて出会う人たち。
 俺は、地元ではよくいじられたりして明るく過ごしてきたから、大阪でもやっていける自信があった。
 俺がまず考えていたことは『嫌われた終わり』ということ。もし、この知り合いが誰もいない空間で嫌われたら『煌びやかな俺の大阪ライフ』として綴られるはずの物語は、『悲劇の大阪』として改編することになってしまう。とりあえず『嫌われないこと=迷惑をかけない』を心がけることにした。

 まずはよく観察する。ましてや周りのほとんどが近畿の人たち、テレビでしか見たことない近畿の人たちばっかりだ。いざ目の前にすると、声量、明るさ、ノリ、地元とはまた違う勢いに圧倒された。
 クラスメイトそれぞれのキャラクターであったり、ノリであったり、何で怒ったりするのか、そういったことを観察した――ひとりで大人しく――。

 ――気づいたら俺は、ひとりだった。
 そうやって過ごしてるうちに、どんどんグループが出来上がっていき、慎重になりすぎた俺は完全に出遅れた。
 自ら積極的に話しかけることはないし、すでに出来が上がっているグループに今さら入っていくのは、邪魔になるかもと思って入れなかったし、人が会話してるところに入っていくのは、誰かの話す機会を奪ってしまうかもと思ってなかなか入れなかった。
 学校が終わると、クラスメイトたちが複数で賑わっているなか、俺は真っ先に教室を出て独りで帰路についた。

 何が迷惑になるか分からないから、とにかく邪魔をしないように心がけた。
 地元では、積極的に絡んでも、人の会話を邪魔しても、ふざけても、そんな俺をツッコんだり、いじったりしてくれる友達がいたのに――。それが俺の役割だったのに――。

 次第に俺は“大人しくて真面目なやつ”そんなレッテルを貼られた気がした。ここでは“大人しくて真面目な人”でいることが自分の役割で“人に迷惑をかけない”方法になった。
 高校のときはテストでよく赤点を取っていたし、赤点を取るか取らないかで生きてきた。そんな俺がテスト勉強をするようになった。ここでの俺は“大人しくて真面目な人”だ。
 勉強の仕方がよく分からないので、とりあえず書いて覚える作業に徹した。その甲斐あって、真面目に取り組む人が少なかったのもあるが、どの教科でも大体クラス上位に入った。席が隣だった人には「カンニングさせてほしい」と頼まれたこともあった。そんなときは快く、答案用紙が見えやすいようにしてあげた。
 次第に『真面目』『かしこい』『勉強ができる』それが定着していき、それが当たり前のように周りは思っていたと思う。違和感を感じていたのは俺だけだ――。
 俺は高1のとき、数学のテストで8点を取ったことがあったが、俺は恥じらいもなく堂々と見せびらかしていたし、むしろオイシイと思っていた。ただ、下には下がいるもんで6点と4点の友達がいて、そいつらとお互いをバカにしあって笑い合った。
 ――そんな自分はここにはいない。

 地元での自分とは、まったく違う自分。それが自分の役割で、迷惑になってないのなら、それでいいって割り切っていたけど、正直寂しかった。休みの日も1人で過ごすことがほとんどで、幸いにも地元の友達が何人かこっちにいたから、会うとしたらその人たちだけだった。  
 夏休みや冬休みに入るとすぐさま、砂漠で水を求める遭難者のように地元へ帰省した。

 地元では、いじられたりして明るく過ごしてきた。地元ではいじってくる友達がいて、ツッコんでくれる友達がいて、笑ってくれる友達がいて、そんなふうに俺の扱いを分かっている友達が何人もいて、そんな関係性を築けていた。それが当たり前と思っていたけど、当たり前ではなかった。
『当たり前』にするために必要なのは『継続』だ。
 地元では、小学生のときのキッカケがあって俺はいじられキャラ、おちゃらけキャラとして確立していった。俺はそれを意識してずっと続けたことで、俺も、周りも、それが『当たり前』になった。その『当たり前』に苦しんだことも事実。
 自分自身でつくれる当たり前がある。キッカケとタイミングも大事だと思う――最初が肝心。もし最初に失敗しても変えればいい。変えたことによって、周りは戸惑うかもしれないけど、継続すればそれがまた当たり前になる。変えた結果、自分から離れる人もいるかもしれないし、なかなか理解されないこともあるかもしれない。それが嫌だから、1人は辛いから、傷つきたくないから、偽りの当たり前、取り繕った当たり前、不本意な当たり前、そうやってできあがってしまう当たり前もあるんだと思う。
 法や規則など変えられない当たり前もあるが、自分でつくれる当たり前がある。キッカケを自らつくるのか――。拾いにいくのか――。

 上阪当初、失敗してクラスメイトと馴染めずにいたそんな俺も、色んなキッカケがあって少しずつ打ち解けていった。

   * * *

 1年目の秋頃。
 授業開始の直前、クラスメイトからガムを渡された。
 えっ、いま!? 戸惑ったが、紙に包まれていない状態のガムだったので口に入れるしかなかった。授業中にガムを噛むのは初めての経験。
 ――まぁバレないように噛めば大丈夫だろう。

 授業の冒頭、担任の熱い説教が始まった(内容は覚えていない)。
 当時の担任は女の先生で、目力の強い迫力のある顔つきで、怒るとその目力と迫力は倍増し鬼面と化す。
 担任の説教に教室は凍りついていた。

「あんた、ガム食べてるやろ」

 ビクッ!!
 ――バレた。やばい。死んだ。

「あんた何考えてんの」 

 ――やばい。死ぬ。鬼面こわっ。

 1番うしろから2列目の席に座る俺に、みんなが視線を向けている。「えっ、あいつが!?」そんな視線に肝を冷やした。ここでの俺は“大人しくて真面目な人”だ。そんな俺が授業中にガムを噛んで激怒されるなんて、そんな未来誰も想像していなかったろうに。
 ――やばい、どうしよう。
 凍りついていた教室は、もう溶けそうにない。
 俺は咄嗟に口を開いた。

「……すいません、魔がさして」

 ドッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 へっ?

 教室は爆笑に包まれた。

「魔がさしたちゃうねん、出しなさい!!」
 担任までもが、笑いながらそう言った。鬼面も外れている。
 へっ?
 俺は呆然とした。
 ガムの件もそれで終わり、その前から凍りついていた教室が一変し秋晴れとなった。まさに起死回生。緊張と緩和。
 少し前にテレビでその言葉を聞いて耳に残っていたのが咄嗟に出た。だが、別に笑いを取ろうと思って言ったわけじゃなかった。
 授業が終わると「あれはおもろかったわ」「やるなぁ」クラスメイトから声をかけられた。普段の俺のイメージとのギャップも相まってのリアクションだろう。
 ハプニング的ではあったが、それをキッカケに、普段大人しくて真面目に振る舞っている俺がそういうことも言うやつだと、周りはなんとなく認識した。


 ーーそれから時は流れ、新春の候。
 ある授業で出席確認の点呼のとき、名前を呼ばれたタイミングでクラスメイトの1人が教卓の前に立ち、1発ギャグを披露した。毎週とはいかないが、その授業のときそれが恒例になりつつあった。そのクラスメイトに唆されるかたちで他の何人かも教卓の前に立ち、それぞれ1発ギャグを披露するようになった。
 そして、ついにきた。
「いけいけ!」
 俺に! 俺に振ってきやがった!!
 以前の『魔がさした事変』の影響もあってのことだろう。
 ――うっわ、まじか。
 めちゃめちゃ嫌だったが、ここで逃げるわけにはいかない。俺は黙ったまま席を立ち、教卓の前へ向かった。
「えぇ!?」
 先生は声を出して驚く。そりゃそうだ、俺にそんな印象はなかったはずだ。クラスメイトたちもザワついている。『魔がさした事変』はあったものの、あくまでも俺は“大人しくて真面目な人”だ。
 その授業でクラスメイトが最初に披露したギャグが「網の上で焼かれているお餅の気持ち」というものだった。俺はそれをモチーフに「食べられる枝豆の気持ち」というギャグをかました。実は、いつか無茶振りがくる可能性を危惧して用意しておいたのだ。ただ、ギャグにしては長いし、キレも悪いし、全然面白くない。できることなら披露しなくていい人生を望んだが、それでも今ここで無茶振りに応えられないよりはマシだ!
 俺は意を決し、不安と緊張でテンパりながら「食べられる枝豆の気持ち」を披露した。
 さやに包まれている3粒の枝豆を、父・母・息子(本人)という設定で、1人ずつ食べられ、さやの外へ飛び出ていくというギャグだ。

「あ、お父さんおはよう。え、お父さん!お父さん!?」
「ポンっ!!」
「お父さぁーん!!」
「え、お母さん!お母さん!?」
「ポンっ!!」
「お母さぁぁーん!!」
「えっ、あっ、あっ、あーーーー」
「ポォォーーンッ!!」

 ドッ!!!!!!!!!!!!

 ウケた。
 でもそれは、普段の俺とのギャップによって生まれた笑いだ。
 事実、別の機会にその枝豆のギャグを披露させられたことがあったが「全然おもろないやん」と一蹴された。いま自分で振り返ってみても、くっそおもろない。もう、振られても絶対しないから!!
 自分の席へ戻るとき「すごーい」「いいやん」「おもろいやーん」と先生もクラスメイトたちも、笑顔とまばらな拍手で俺を讃えた。おもしろかったことを讃えているのか、勇気を讃えているのかは分からなかったが、ひとまずやりきったことに胸を撫でおろした。
 それをキッカケに、普段大人しくて真面目に振る舞っている俺がそういうこともするやつだと、周りはしっかりと認識した。俗にこれを『枝豆の乱』と呼ぶ。
 このギャップウケのポジション、これはこれでオイシイかもな、そう思うようになったが、俺はそのクラスメイトから無茶振りをされるなかの1人となってしまい、頭を抱えることにもなった。
 みんな死んだんかなって思うぐらい、大すべりしたこともある……。ムチャブリコワイヨ……。

 “大人しくて真面目な人”を基本軸に、いろいろなキッカケを拾いながら、その当たり前はちょっとずつ変化し、クラスメイトたちと馴染んでいった。

 2年目に入ると、遊び盛りの学生たちを狙っているかのようにS校の近くにはパチンコ屋が数件あって、クラスの男子9割がパチンコやスロットをするようになった。そして俺も――。以前はいつも独りで帰路についていた俺は、学校が終わるとクラスメイトと一緒にパチンコ屋へ足を運ぶようになった。
 俺が一人暮らしをしていたマンションは、学校から近かったこともあり、2年目の秋頃からは何人かでウチに集まり、鍋パやタコパをしなからゲームをして、そのままうちに泊まることも多くなった。

 上阪当初こそ失敗したものの、自分の役割を確立しながら着々と馴染んでいった。

 それでもなぜだろう……。
 ――その都度訪れる徒労感は……。
 ――消えない孤独感は……。
 馴染んでいるはずなのに――。
 楽しめているはずなのに――。

 その感覚は、地元にいたときにも時々あった。
 俺は高校で進路を決めるとき、地元を出たいという思いが漠然とあった。それは、地元での自分と決別したかったからだ。そのことに気づいたのはもっと大人になってからだったが、地元を離れてみても俺は結局変わらなかったんだ。俺はただ、求められている役割を自分に課して過ごしていただけだった。それは、迷惑かけたくないから――。嫌われたくないから――。そして自分の居場所を失いたくないから――。そのために必死だったんだ。地元でも、地元を離れても――。

 俺は地元では明るく、いじられキャラ、おちゃらけキャラとして過ごしてきた。そんな俺だったから、わりと友達も多かったし、わりと誰とでも絡むことができて、誰とでも仲が良いほうだったと思う。だが、誰かに悩みや不安を話すことも、自分の考えや思いを話すこともほとんどなかった。それらは自分の役割とかけ離れたものだったから。そんな俺のことを、どんなやつか知ってる人なんていない。「よく分からん」「独特よね」「変わってる」特に高校時代、そういう声もちらほらあった。俺は友達が多かったわけでも、誰とでも仲が良かったわけでもなかった。俺はただ、誰にも嫌われてなかっただけだ。
 何年かぶりに数名の高校の同期と集まったときがあった。
「お前って誰と仲がいいん?」
 唐突なその問いに俺は言葉に詰まった。それと同時に心がチクっとした。少なくともそれを聞いてきた友達は、そう思ってないことは確かだろうな。
「う〜ん、誰やろなぁ。まぁみんなやな」
 何かから逃げるように、俺は笑いながらそう答えた。

 地元を離れて、地元とは違う役割で、地元とは違う自分になったはずなのに――同じだった。俺は自分に求められている役割を全うしようとしただけで、それが常に受け身で、その都度周りに合わせるという方法になっただけだった。
 無茶振りされたときはそれに応え、パチンコに行くときは一緒について行き、ウチに集まろうと誰かが提案したらそれを受け入れた。俺はただ求められるがまま適応していただけだった。
 S校のクラスメイトたちと馴染んだはずだったが卒業して以降、SNSで繋がっている程度で連絡を取り合ったり、個人的に会ったりする人はいない。

 卒業しておよそ5年後、同じクラス同士で結婚したカップルの結婚披露宴に招待してもらった。久しぶりに会うクラスメイトたちと序盤こそ近況や思い出話などで談笑したが、中盤に差し掛かる頃には、俺は独りで席に座り時間が過ぎるのを待っていた。挙げ句の果てに「全然喋らんやん」と、ツッコまれてしまった。
 ――俺は独りで困惑していた。
 この人たちのなかでの俺の役割は“大人しくて真面目な人”だったし、この人たちとの接し方は受け身でしかなかった。だから分からなかった――。この人たちとの、それ以外の接し方が――。それ以外の役割が――。
 俺は、みんなが談笑しながら賑わっているなか、ただただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。


 俺は地元を離れてから、時々悩むようになった。

 ――自分ってなんなんだろう。
 ――本当の自分ってなんなんだろう。

“人に迷惑をかけない”
 俺に自分なんてあるのかな――。


 S校の卒業アルバム。
 クラスメイトによって自主作成されたクラスのページ。俺の写真の横には「枝豆」の文字と枝豆のイラストが添えてあった。

 俺ってなんなんだろう――。



 エッセイ

  作成中。毎週更新します。

〈目次〉
1.俺のプロローグ 〜迷惑をかけない〜
2.迷惑をかけないは迷惑をかけた
3.俺はそんなヤツじゃない①
4.部活の話 〜俺はキャプテン向いてない〜
5.上阪での失敗
6.今の自分は好きですか?
7.砕け散った好奇心
8.もしも俺が魚だったら
9.普通名詞の関係
10.何が迷惑になるか分からないから
11.初めての本気土下座
12.青鬼になろう
13.俺はそんなヤツじゃない②
14.教師にしばかれた話
15.初めての就職①  迷惑をかけないの力
16.初めての就職②  仕事を辞めれない俺が
                              店長になった
17.初めての就職③  スタッフからの手紙



 毎週更新していきます。

 順番どおりに見てもらえると嬉しいです。

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