【部活の話 〜俺はキャプテン向いてない〜 】
俺は高校生のとき、野球部のキャプテンだった。
“人に迷惑をかけない”そうやって生きている俺。
そんなヤツがキャプテンなんて向いてない。
中学のとき、ある試合で俺はセンターを守っていた。
「カキーン!」センターにボールが転がってくる。自分の元へ転がってくるボールを迎え入れるように、俺は優しくグローブを差し出した。
――ないっ!!
グローブに入っているはずのボールが消えた……。
俺はトンネルと化し、ボールは俺というトンネルを「ちょっと通りますよー」と言わんとばかり、颯爽と通過していった。その瞬間、ピッチャーが分かりやすく肩を落とすのが視界に入った。「やっちまった……」振り返ると、優しく迎え入れたはずのボールは俺を裏切り、遥か後方を逃げるように転がっていた。俺は走ってボールを追いかける。そのときの俺の背中は周りにどう見えていただろう。
守備が終わりベンチに戻ると「おいっ! 頼むわ、マジ!」同期のエースピッチャーからそう言われた。
“迷惑かけたくない”
その日をきっかけに、俺は守備に就く度に「俺のところにボール飛んでくんなよ」そう思うようになった。
俺は高校でも野球部に入った。
「俺のところにボール飛んでくんなよ」そう思いながら俺は守備に就く。そんな俺はキャプテンだ。
そんな精神性のヤツ、絶対キャプテン向いてないよ。
とある公式戦、キャプテンだった俺はレフトを守っていた。
負けてはいたが8回表の攻撃で5点差から2点差まで追い上げた。流れは完全にウチだ、熱気が俺たちを包んだ。
8回裏の守備、2アウト・ランナー2塁の場面。レフトを守る俺の元にボールが転がってくる。ランナーは三塁ベースを蹴り、ホームへと突っ込む。「俺がここで、このランナーをバックホームでアウトにできれば、完全に流れをウチに持ってくることができる!!」俺は気合い十分に、向かってくるボールを走りながら迎え入れた。
「すいません、通りまーす」
以前よりも、さらに精巧につくられたトンネル。またもボールは俺というトンネルを颯爽と通過した。その瞬間、相手ベンチからの歓声が聞こえた。「やっちまった……」さっきまで俺たちを包んでいた熱気は一瞬で消え去り、気まずさと不穏が俺たちを包んだ。
守備が終わってベンチへ戻るとき、俺はすでに号泣していた。
「なに泣いとんじゃ!!」監督に俺は怒られた。そりゃそうだ。まだ負けたわけじゃないのに……俺はキャプテンなのに……さらに号泣する。
チームの雰囲気は最悪。その雰囲気のままチームは敗れた。
“迷惑かけたくない”
* * *
俺は、勝ち負けに興味がなかった。
つくづく思う、そんなやつキャプテン向いてねぇ!
俺はピッチャーもしていた。サイドスローで球速は速くても100〜110㎞のヘボピッチャーだ。変化球は、とりあえず左右に回転掛けとけ!ぐらいのほとんど曲がらない変化球。自分でも何の球種か分かっていないそれを「見せかけスライダー」と「なんちゃってシュート」と俺は名付けた。
イーファースピッチといわれるボール、分かりやすく言うと「ふわぁ〜〜〜ん」とした山なりの超スローボールを時々投げていた。これが割と効果的で、このふわぁ〜〜〜んボールを投げたあと、100㎞程のヘボいストレートを投げると、空振りしたり、見逃し三振を取れることもあった。
俺の投げるボールはヘボいが、コントロールだけは良かった。フォアボールを連発して、チームの雰囲気が悪くなるのだけは嫌だった俺は、コントロールだけは良かった。フォアボールを連発して自滅することはないし、こんな遅いボールだから相手バッターはどんどん打ってくるため守備にリズムが生まれる、チームメイトからの評判もよかった。
俺は勝ち負けに興味がないし、こんなヘボいヒョロヒョロのボール、打たれて当たり前だと思っていたから、どんだけ打たれようが、どんだけ失点しようが気にしなかった。アウトにできたときは、ラッキーぐらいに思っていた。
ピッチャーをしているときは、遊びの延長という感覚で楽しかった。俺が打たれて点を取られることは誰のせいでもない、俺のせいだ。ましてや俺は勝ち負けに興味がない。
俺は思う――こんなやつキャプテン向いてねぇ。
俺のピッチングは同じぐらいのランクのチーム相手とは、ちゃんと試合になった。しかし、強豪チームが相手になると、1巡目はなんとかなるが、2巡目あたりから「あ、こいつ球遅いだけや」というのがバレるのだろう、対応されポコポコ打たれ始める。だが、俺は動じない。恥じることもない。こんなヒョロボール打たれて当たり前だ(ドヤっ)。
とある公式戦。俺はベンチスタート。
「肩つくっとけ!」監督からの指示で俺はブルペンで肩をつくる。そこへ後輩がやって来て「ピッチャー交代です」。
俺は驚愕した。グラウンドを見ると、1アウト満塁の状況だった。「え、うそやろ」そんな状況から登板するのは初めてだった。
マウンドに上がり、後輩ピッチャーからボールを受け取る。「すいません、あとお願いします」後輩は笑顔で俺にそう告げるとベンチへと下がっていった。
「うわー、まじかぁ」そう思ったのも一瞬だった。なぜなら俺は勝ち負けに興味がないし、打たれて何点取られようが何も思わない。
そんな俺が、1アウト満塁からマウンドに上がった俺が、その回を無失点に抑える奇跡を起こした。「嘘やろ!」恐らく1番驚いたのは俺自身だと思う。「っしゃー!」自然とガッツポーズが出た。
チームメイト、監督が手を叩きながら笑顔で俺を迎え入れ、一躍ヒーローになった気分だ。「俺って、実はすごいヤツなのかも。ふふっ」俺は優越感と自信に満ちた――。
――その試合、俺は8失点した。
その試合は公式戦だったので翌日、地元の新聞に掲載された。15―4でチームは敗れた。相手は甲子園出場経験もある古豪の高校だったし仕方ない。新聞を見た友達に「あ、15失点」と俺はいじられた。
違う、俺は8失点だ。
「いやいや俺は8失点やけん! 888888!」
必死に8を連呼した。
そしてまた「おい、15失点」
「888888!」
このやりとりがお決まりとなった。次第に、前触れもなく向こうから「888888」と言ってくるようになった。
やがて、周りにも広がりみんなが連呼する「888888」。その表情は笑顔だ。
「888888」
みんなが笑って唱える「888888」
――俺はあの試合8失点して良かったと思う。
こんな俺、キャプテン向いてないなぁ。
* * *
最後の夏の大会、一回戦敗退。
俺は試合に出ることなく終わった。元々の予定では展開によって、途中からピッチャーで試合に出る予定だった。しかし、その試合は今までで1番と言えるほど、めちゃめちゃいい試合だった。中盤まで0―0の投手戦で緊迫したまま試合が進み、最終的に0―1で敗れた。
試合の展開的にも、自分の実力的にも仕方なかったのかもしれない、それでも何らかのかたちで試合には出たかった。
キャプテンになってからは特に、辞めたいと思いながら続けてきた。そもそも俺には辞める勇気なんてなかったが、続けてこられた理由は忍耐だけだ。俺の我慢や苦悩は全く報われなかった。俺は野球部に入ったことを後悔したし、キャプテンなのに試合に出てないというオプションまで付いた。試合終了直後、ほとんどの部員が泣いているなか、キャプテンの俺は泣くどころか、怒りと後悔でいっぱいだった。
俺は、野球部だった事実と決別したかった。
試合後、部室に戻ると、グローブやスパイクなどの野球用品を後輩に全部譲った。みんなが余韻と解放感に浸っているなか、俺は誰よりも早く帰路についた。家に帰ると、すぐさまカバンやユニフォームなどの野球用品を部屋の押し入れへと追いやった。
俺は、俺の元から“野球部”を葬った。
翌日、学校に行くと「試合に出てるところ見たかった」とクラスメイトから言われた。同情してくれることが苦しかった。そのことについて触れられるのは嫌だったし、ネタにするにも時間が必要だった。明るく振る舞えず「しゃーない」と一言だけしか返せなかった、そんな自分が嫌だった。そんな自分は自分じゃない。
部活引退から数日後、顧問に野球ノートを提出した。練習試合も含め試合の後には反省などを書き記し提出することになっていた。最後は、これまでを振り返って、というテーマで書くことになった。
『キャプテンになってから毎日苦痛でした』『毎日辞めたいって思っていました』『僕ひとり、たくさん怒られて我慢してきたのに』『何もしてない同期、あいつらが試合に出て、僕が試合に出れなかったのは納得できない』『なにも報われませんでした』『部活も野球も嫌いです』『野球部に入ったことを後悔しています』
俺はそれまで、顧問に不満や怒りを伝えたことはなかった。でも、このときだけは抑えることができなかった。共に歩んできた同期すらも俺は否定して書き記した。
俺の器なんてこんなもん。俺なんかキャプテン向いてねぇ。最初から分かってたこと。
後日、顧問から返却された野球ノート、俺は開きもせずゴミ箱へ葬った。
俺はずっと立ち直れずにいた。それでも、最後の試合から2、3日後にはいつも通りの俺だった。表向きは――。
“お前って悩みとかなさそうやな”
――俺は自分のことを『秘密兵器』『永遠の秘密兵器』と名付けた。
部活を引退して約1ヶ月後、違う高校の、中学時代の友達に会ったとき、
「お前キャプテンなのに試合出んかったんやろ?」
笑いながらいじってきた。俺のキャラとしての宿命だ、仕方ない。
「そうなんよー。俺は秘密兵器やけん秘密にしとったんよ! 秘密にしすぎて永遠になってしもてね。俺は永遠の秘密兵器なんよ!! 逆にかっこよくない?」
意気揚々にそう言うと、友達は笑った。
そういう話題になったとき、俺は決まってそう言うようになった。でも、内心は濁ったまま。心からそう言えるようになるには時間がかかりそうだった。
俺は部活を引退してから、部活の話題を自ら話すことはなかったし、自ら部活に顔を出すこともなかったし、顧問だった教師とは極力関わらないよう避けた。とにかく部活のことを喋りたくなかった。
大人になった今では、
「もしあのとき俺が試合に出てたら、意味分からんぐらい活躍して甲子園行ってたと思うし、ドラフト4位ぐらいでプロ行ってたわ、絶対。まぁでも、たらればの話やから証明できひんわぁ」
なんてことを俺は言っている。
それでも、大人になった今でも野球部に入ったことが自分にとって、良かったのか、悪かったのか、分からないままだ。
明日いいことあればいいなぁ。
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