17.初めての就職③ スタッフからの手紙
“人に迷惑をかけない”
そんな俺が店長になった。辞めたいと思ってたのに…… はぁ……。
そのとき俺は22歳。新社会人として入職してから、およそ1年半。当時その会社では、珍しいことではなかった。俺の同期2人もすでに店長をさせられていた。俺は異動が多くて1つの店舗に留まる期間が短かったから、運良く生きながらえていた。
俺が店長として配属された店舗は、うちの数ある店舗の中で、No.1の売上を誇る店舗だった。
――不安しかなかった。
そもそも俺は、この店舗で働いたことがなかった。
それまで異動やヘルプも含め、いろんな店舗で働いた経験があった俺だったが、比べものにならないぐらい忙しかった。取りきれなかった失客も含め、多いときには1日に80人以上の来客があった。それだけの来客を受付で対応しながら、売上管理やスタッフ管理をしなくてはならない。
社員は、特に店長にもなると、施術をする機会は極端に減り、受付で店を回すことがメインとなる。スタッフの休憩を回すタイミングも社員が決めなければならない。この店舗は『回転が命』と言われていたほど、回転の速さと効率を重視していた。この店舗には個室がなかったため、施術中のスタッフを含め全員の様子が見渡せる状態、いわば常に監視状態。何か不備や問題が発生すれば、すぐさま指示を出し対応できる。スタッフたちの動きもマニュアル化されていて、無駄を省くようにシステム化されていた。そういった体制はこの店舗特有のもので、それらを築き上げたのが、例の敏腕店長だった。
店長になってからは通常業務に加え、シフトの管理・作成、スタッフの研修、クレーム対応、キャンペーンの立案、月1の店長会議、店長会議の議題に対する回答や売上実績に対しての反省点や今後の取り組みについての報告など、することが特段に増えた。なにより責任者としての重圧が重くのしかかった。それまで普通にこなしていた通常業務でさえも緊張感が増し、疲弊するようになった。店長というのは、そういうものなんだろう。しかし、たかが入職して1年半、業務をひと通り覚えてこなせるようになった程度の俺。それまでにも責任者として勤務することはあったが、必要な組織構造にはめ込まれただけの、ただの数合わせに過ぎない。それっぽく仕事をこなしていただけで、中身は追いついていなかった。というのも、店長としてのノウハウやマネジメントのことなど、そういっとことはほとんど教わっていなかった。
俺が店長になるにあたって、最も不安だったのはスタッフとの関係。
バイトも含め、ほとんどのスタッフが俺より年上で、在籍期間も長かった。なにより、ずっとこの店舗で働いている。
店長の俺は22歳。入職して1年半。どこの馬の骨かも分からん若造が、店長として突如現れた。スタッフたちが、俺を測るということは容易に想像できた。そんなスタッフたちの視線が恐くて、毎日緊張しながら勤務した。緊張感、責任感、不安、そして迷惑をかけない、そういった心情と慣れない店舗での多忙さも相まって、テンパることも多く、スタッフたちにフォローしてもらうことも度々あった。
みんなに支えてもらっているという実感はあった。こんな俺のもとで一緒に働いてくれるということだけで、ありがたかった。申し訳なかった。そんな気持ちを抱きながら、迷惑をかけないよう、スタッフたちに気を遣いながら一心不乱に働いた。
* * *
――売上は下降線を辿った。
リラクゼーション業界にも繁忙期や閑散期というものがある。ざっくり言えば、7月〜9月頃が繁忙期、冬が近づくにつれて閑散期へと突入する。俺が店長になったのは11月、まさに閑散期へと突入する時期だった。閑散期に売上を安定させるための最大のポイントは、常連さんだ。それまでに常連さんをいかに増やすかが重要だった。
売上が下降した最大の要因はそれだった。数字を見ても明らかだった。俺が店長になる前、数年この店舗を支えていたベテランスタッフの退職や新店舗設立による異動が相次ぎ、それに伴い常連さんが離れていった。
常連さんにも「◯◯さんいなくなったのね」「前と人が変わっちゃってさみしいわ」と直接言われ、来なくなった常連さんもいた。
3回目の店長会議。
先月のうちの店舗の売上は、売上目標額に対して達成率91%だった。他の店舗と比較しても、閑散期ということも踏まえれば特別悪い数字ではなかった。しかし常務から、
「この店は売上落としちゃあかん店舗やから、分かってるか?」
と釘を刺され、血の気が引いた。
No.1の店舗では許されないことだった。
俺が店長になると同時期に、女性の新人のバイトスタッフが入ってきた。年上でもあったそのスタッフだが、思うようになかなか成長しなかった。出勤したときに手が空いていれば、まずそのスタッフの施術の研修をすることを日課にしていた。
「前にも言いましたよね」
「いや、もっとこうしてくださいよ」
「んーーー、もっとこう!」
「はぁ……まぁ、いいです、いいです」
研修後、後輩社員に、
「リーダーさっき研修のときイライラしてました?」
そう言われた。
「えっ、そう見えました?」
「はい、イライラしてるなぁって」
――自覚はなかった。イライラ? 俺が?
それまでにも、覚えるのが苦手なスタッフ、要領が良くないスタッフ、ミスの多いスタッフ、態度が悪いスタッフなど、周りがイライラするようなスタッフでも、俺はイライラすることはほとんどなかったし、イライラしたとしても表に出すことはなかった。
そんな俺がイライラ――
――こんな自分が嫌だ……
――こんな俺は俺じゃない……
――迷惑かけたくないのに……
自己嫌悪を抱くようになった。
俺はダメだ……
キャパオーバーだった。
――店長になって4ヶ月が過ぎたとき、俺は店長を更迭された。
自ら申し出た訳ではない。例の敏腕店長が、この店舗の店長として復帰することが決定した。
新店舗はオープン当初こそ話題性もあり繁盛したが、徐々に雲行きが怪しくなり、もはや誰を店長にしたところで復調は厳しい状況になりつつあった(のちに閉店)。運営の基盤は出来上がっていたし、敏腕店長が居続ける必要性はなかった。そこに居続けるよりも、元の売上No.1の店舗に戻すほうが得策だと会社は判断した。
単に俺の店長としての力量や適性などが問題ではなかったみたいだが、事実上は更迭。俺への教育も含めての配置転換だったようだ。
元々自信なんてなかったが、俺は完全に自信を失くした。そもそも、ずっと辞めたいと思っていたのだから。
仕事ができなくなる程ではなかったが、モチベーションはなかった。辞めたいという思いも以前より強くなったが、大人しく、真面目に、言われたことを純粋に聞き入れながら、ただただ一日一日を消化していった。
新店舗のときも厳しくて、恐ろしかったが、この店舗は敏腕店長の城みたいなもんで、より一層厳しく指導されるようになった。厳しさの中にも愛は感じたし、ムチばかりだが稀にアメを与えてくれるし、なにより敏腕店長が誰よりもきちんと仕事をこなすから、文句のつけようがなかった。新店舗で一緒に働いていたときもそうだったが、敏腕店長は、休憩も休日も返上することがしばしばあって、そんでもって誰よりもテキパキ仕事をこなしていた。そんな姿を見て「人間ってこんなに働いても倒れずにやっていけるんだなぁ。人間って強いんだなぁ。俺はまだまだ甘かったなぁ」そんなふうに思えた。
厳しさ(恐さ)と、時に理不尽なときもあって、そんな敏腕店長のことをよく思わないスタッフもいたが、俺は尊敬するぐらいだった。恐かったけど。
敏腕店長の叱責の仕方の一つに、尋問が永遠続くというものがあった。ミスなんかをしたとき、「なんでなん?」「なんでせえへんの?」「それはなんでなん?」というのが次の来客があるまでずっと続く。それもめっちゃ恐い。その叱責の仕方にも意図があるということはのちに分かったが、それでもとにかく恐かった。
毎日朝礼と終礼があった。そのときには毎日書いている終礼報告書の内容を連絡・指導する。
ポイントカードがあった。基本的には受付の際に、ポイント処理などをしてすぐにお客さんに返却するのだが、混み合っている場合や、処理に時間を要する場合には、施術終わりに担当スタッフが返却するケースもしばしばあった。その際は、ポイントカードにはお客さんの氏名も記載されていたため、バインダーにポイントカードを挟み、バインダーを裏向きにした状態で席に置く、ということを徹底するよう終礼で伝達があり、終礼報告書にも記載されていた。
翌日。開店時は、社員1人+バイトスタッフ1〜2人の体制が基本で、その日は俺と主婦のバイトスタッフ2人だけだった。俺の仕切りで朝礼をした。いつもならきちんと終礼報告書の内容を口頭で伝達するのだが、俺は伝達を怠った。終礼報告書は出勤時に読むよう徹底されていて、主婦スタッフが出勤時にきちんと読んでいるところを俺は確認していた。
開店と同時に来客があった。ポイントカードの処理に時間を要したので、施術後に返却するようバインダーにポイントカードを挟んだ状態で主婦スタッフに渡した。
――約10分後。敏腕店長が出勤してきた。
着替えを終えてスタッフルームから出てきた敏腕店長が、施術中の主婦スタッフの傍を通ったとき、ポイントカードが挟まっているバインダーに手を伸ばした。主婦スタッフは声は出さずとも「あっ」という表情をしたあと、「すいません」と曇った表情で頭を軽く下げた。バインダーを表向きに置いてしまっていたようだった。
すると、敏腕店長は鬼気迫る表情で、受付に立つ俺に詰め寄ってきた。
「何やってんの?」
敏腕店長はかなり憤っている。憤りが強いとき敏腕店長は早口になる。
「すいません、気づきませんでした」
「朝礼したんやんな?」
「はい……」
「じゃあ、なんでなん?」
「すいません、朝礼でちゃんと伝えてませんでした」
「なんでなん?」
なんで……。
「読んでたので大丈夫だと思いました」
「いや、間違えてるやん。なんでなん?」
なんで……。
「すいません」
「すいませんじゃなくて、なんでなん?って聞いてんねん」
敏腕店長は、いつにも増してかなり憤っている。
「すいません……。意識が低かったです」
「なんでなん?」
なんで……。
「気が緩んでました」
「なんでなん?」
なんで……。これ以上言うことないよ……。
「………」
「なんか喋ってくれる? 聞いてんねんけど」
「やる気がないからです」
べつにやる気がないわけじゃない。こんなこと言いたくない。
「なんでなん?」
なんで……。
こんなこと言いたくない――。言いたくないのに――。言ったらダメなのに――。
目頭が熱くなった。
「この仕事が好きじゃないからです」
そう言う俺の目から涙が溢れた。
「なんで泣いてんの?!」
「ほんとはずっと辞めたいと思ってました。店長だって本当はしたくなかったし、ずっと辞めたいと思ってました」
涙が溢れて止まらなくなった。涙をすする音としゃっくりの音が店内に響く。
まさか俺が泣くとは思っていなかった敏腕店長は、
「そうやったんや。とりあえずトイレ行ってき」
目を見開いて言った。さすがに動揺を隠せないようだった。
俺は涙をすすりながら店を出てトイレへ向かった。
俺はなんで泣いてしまったんだろう……。
トイレの個室にこもって考えた。怒られたから泣いたわけじゃない。悔しかった? なにが?
俺は就職してからこれまで、上司に仕事の悩みや不満を言ったことはなかった。もちろん辞めたいなんてことも。そんなことを言うのは迷惑をかけるから、言ってはダメだとずっと思っていた。それを言うことは、ただの逃げだと俺は思っていた。
仕事に限ってではない。俺はそれまでの人生で、自分の悩みや辛いことなど、ほとんど人に言わず生きてきた。そんなことを言うのは俺の役割じゃなかったから。言っちゃいけなかった。それが俺だから。
そんな俺が初めて真剣に口頭で悩みを打ち明けた。迷惑かけたくなかった。悔しかった。申し訳なかった。こんなことを言ってしまったことが。今まで積み重ねてきた自分が自分じゃなくなる気がした。悔しかった。こんな俺は俺じゃない。
そんないろんな感情が入り混じって涙が出たように思う。
涙としゃっくりが止まり、店に戻った。
「泣き止んだ? そのまま休憩行ってき」
打って変わって敏腕店長の口調は優しかった。
昼休憩のとき、スタッフルームで主婦スタッフと一緒になった。
「リーダーすいません。私のせいで……」
「いやいやいや、僕がちゃんと伝えてなかったんで、◯◯さんは気にしなくて大丈夫です!」
俺が笑顔でハツラツとした声でそう言うと、主婦スタッフの表情がゆがみ、両手で顔を覆ってうつむいた。
――あぁ、俺がちゃんとしていれば流すことのなかった涙と、抱くことのなかった自責の念……。
俺はダメだ――。
およそ2ヶ月後、俺は遂に仕事を辞める決意をした。
ただ、やはりできるだけ迷惑をかけないように辞めたかった。
退職の申し出をしたのは6月頃。4月に新卒の新入社員が2人、店舗に配属されたばかり。それまで俺の直属の後輩社員はみんな年上だった。新卒の後輩2人は男性で2歳年下、初めて年下の後輩だった。俺にとってかわいい後輩で、俺はよく面倒を見たし、厳しい敏腕店長に対してストレスを感じていることは想像できたから、それぞれご飯にもよく誘った。愚痴を吐かすために、本当は思ってないけど、あえて俺から敏腕店長の愚痴を喋ることで、後輩2人も愚痴を吐いた。
今すぐ辞めてしまうと、後輩2人にかなり負担をかけてしまう。だから、今年度いっぱいで辞めるということと、2人に余計なプレッシャーを与えたくなかったので、みんなには直前まで辞めることは黙っておくことを、俺から敏腕店長に相談した。
俺が辞めることを知っているのは、敏腕店長と本社のマネージャーのみ。吹っ切れた俺は、それまで以上に懸命に働いた。辞めるといっても仕事は仕事。敏腕店長から、業務のあれこれや店長としてのノウハウなども学び、吸収していった。
敏腕店長は基本的にムチが多い。稀に甘いアメをくれる。後輩から「店長がこの前、リーダーはもう私と同じぐらい仕事こなすからなぁ、って言ってましたよ」と聞かされた。
嬉しかった。
――退職まで残り3ヶ月のところで異動が決まった。
さらに、退職までの残りの期間、店長として勤務するよう指令が下った。諸々の事情でそうなったが、まさかの展開だった。
異動前、スタッフ一人一人に直接口頭で感謝を伝えた。
「◯◯さんには、ほんとにフォローしてもらってばっかりで助かりました。ありがとうございました」「◯◯さん、向上心がすごくあって、でも僕では教えれることがあんまりなくて、申し訳なかったです」「ありがとうございました」「申し訳なかったです」特に俺が店長時代に一緒に働いてくれていたスタッフには感謝と謝罪を伝えた。
店長時代に俺がイライラをぶつけてしまったスタッフに、
「いつかちゃんと謝りたいなって思ってたんですけど、あのとき僕、自分に余裕がなくて、〇〇さんにイライラをぶつけてしまって、本当に申し訳なかったです。敏腕店長が戻ってきてから、すごく上達して、伸び伸び働いてるところ見て、僕のやり方が間違ってたなって思いました」
想いを伝えると、そのスタッフは泣いてくれた。
異動前、最後の勤務。
最後の最後、敏腕店長に感謝を伝えた。閉店後、後輩と一緒に店を出る直前、気を利かしてか後輩はそそくさと先に店を出た。新店舗のときから約2年携わった敏腕店長と2人きりになった。
何を伝えたか覚えてない。照れ臭い気持ちと、語りきれないぐらいの感謝で、逆に、簡素でありきたりな謝辞になった。それだけで十分、それだけで――。
晴れやかな気持ちで俺は店を後にした。
それはきっと、あのときの涙があったから――。
異動して、残りの3ヶ月。その店舗のスタッフは、社員もバイトもみんな、俺よりも後輩だった。俺は、それまで培ったことを自信を持って発揮した。最後まで堂々と、自信を持って――。
いろいろあったけど、最後は、充実感に満ちたなかで社員としての責務を終えた――。
* * *
スタッフが退職するとき、人によってはスタッフ一人一人に手紙をくれることがあった。俺はもらった手紙をすべて、今でも大事に保管している。
俺が22歳のとき、俺が店長を経験した店舗で、そのときに一緒に働いた女性のバイトスタッフ。年齢は俺よりも10歳近く上で、バイトだが在籍でいうと1年ぐらい先輩だった。すごい大人というか、考えを持っている人で、俺よりも仕事や組織というものに関して考えを持っていた。終礼のときも、スタッフたちに対して俺よりも具体的に、且つ合理的に助言や叱責をする姿に、固唾を呑んだ。
店長だった俺は、スタッフたちの視線が恐くて、緊張しながら毎日勤務していた。そのなかでも俺が一番ビビっていたのが、そのスタッフだった。
そのスタッフは、俺が店長を更迭されて3ヶ月ほど経ったとき退職した。そのとき俺はまだ、自信を失ったままで、自己嫌悪を抱き、モチベーションもないままだった。もちろん、それを表には出さないようにしていた。
辞めることを本人から聞かされたとき、
「リーダーが店長のままだったら、もっと続けてましたよ」
そう言ってくれた。
その人が辞めるときにくれた手紙
『若いのによく頑張ってるなって思います。
リーダーのスタッフへの心遣いは、
本当に皆が救われていると思います。
まだまだやりたい事を精一杯できる年齢やし
体力もあるので、あまり他人に気を遣いすぎず
どんどんやっちゃって下さい。
大人はリーダーのそんな所につけこんでくるから
気をつけてね』
ありがとう 救われました
俺の心遣いや心情は、誰かにちゃんと届いているんだな
きっと、もっと周りを頼ってもよかったんだな
高校のとき野球部でキャプテンだったときにも似たような感覚はあったが、店長になってみて感じたこと、それは、上役なればなるほど“孤独”だということ。
俺のほうが年下であろうが、歴が短ろうが、不慣れであろうが、肩書きが“店長”である以上、周りは俺を“店長”として一線を引いて接する。“俺”そのものよりも、“店長の俺”を見て、“店長の俺”を評価し、“店長の俺”に対しておのおの感想を抱く。また、スタッフたちが“店長の俺”に気を遣ってくれているという実感もあった。
立場上、言いたくないことを言わなければならなかったり、批判される可能性を感じても強いなければならなかったり、叱るのが苦手でも叱らなければならなかったり。それらは本来の自分との解離。
そういった様々なストレスや責任が、孤独感を増幅させた――。
いや、違う――。
そう思い込みすぎた自分自身に、きっと問題があった。
ミスをすることの怖さ、迷惑をかけることの怖さ、人に嫌われることの怖さを、俺は知っている。
俺の脳に根付いている
――何が迷惑になるか分からない
――何で嫌われるか分からない
“人に迷惑をかけない”
人に何かをお願いすること、人に頼ること、人に甘えること、人の手を煩わせること、そういったことを“迷惑をかけてしまう”と俺は思う。
それが孤独感を増幅させた
きっと、もっと周りを頼ってもよかったんだな
そうは思うけど、人の性格や価値観を根本から直すことは簡単じゃない。考えすぎ、気遣いすぎ、そんなことは分かってる。でも……
“人に迷惑をかけない”
それが俺だから――
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