9.普通名詞の関係

 父の仕事は船乗りで仕事に出ると3〜4ヶ月程、家には帰ってこない。その間、家の事や子どもたちの世話は母がになう。我々に母が怒ることもあったけど、明るく優しい母だったから怖くはないし、母からだけの叱咤しったには慣れてくる。反発して言い返すことも多々あった。

 俺には5つ上の兄がいる。
 俺が小学校低学年のとき、中学生だった兄は反抗期へと突入した。
 兄は自分の思い通りにいかないことが、とにかく気に食わず、それを感情のままにぶつけてくるし、利己りこ的な要求を突きつける度に、あるいは母が叱咤する度に反抗してはよくキレていた。そして何より、ストレスのぶつけどころとして都合のいい対象が俺でもあった。父の仕事が休みで家にいる間は抑制されるのだが、父が仕事へ旅立つと、飢えた野犬のように牙を剥き出す。

 そんな兄が苦手だった。

 兄はキレるとよく物に当たる。
 母との論争のすえ、思い通りにいかなくてキレた兄は、唇を噛みながら玄関先に置いていたカラの水槽を蹴って破壊したり、家の内壁には兄が肘で殴って開いた穴がいくつかある。俺が機嫌を損ねたときは、時々それが俺に襲いかかった。
 俺が小5のとき、内壁の穴を見つけた父が「誰やこれ!!」とブチ切れた。俺はそのとき、父が本気で怒るのを初めて見たし、怒ったらめっちゃ恐いやん……そのとき知った。兄はだんまりを決め込み、みんなが息をひそめるなか「何か運ぶときにぶつけたんかな」母は言った。母は偉大だ。
 あるとき、兄からテレビ番組の録画を頼まれた。
 ちゃんと録画予約したつもりだったが、何かの手違いで録画できてなかった。これは完全に俺のミスだった。
 やばいやばいやばいやばいやばいやばい――。
 兄が帰宅する直前、俺はトイレにこもって息を潜めた。帰宅した兄に、俺に代わって母が説明をする。
「はぁ!?なんでなん!!」
 ドア越しに聞こえてくる兄の怒声。
 いつまでもトイレにこもってるわけにもいかないから嵐のピークが過ぎたところで、戦々せんせん恐々きょうきょうとしながら、ひとときの非現実空間から現実へのドアを開いた。
 ――その後どうなったかは、ご想像にお任せします……。

 親がいないとき、俺は兄によく使われる。もはや下僕。
「ご飯ついできて」
 メシを食ってる兄が、少し離れたところで座ってくつろいでいる俺に命令する。俺は返事すらせずに重い腰を上げる。
「どのくらい?」
「普通ぐらい」
 普通ぐらい……普通ぐらいの量を茶碗に盛って兄に差し出す。
「多いわ!!」多い分を炊飯器に戻しに行く。
 あるときは「多めで」と。
 多め……俺は多めにご飯を盛って兄に差し出す。
「少ねぇわ!!」再びご飯を盛りに行く。
 ――自分でやってよ。
 そんなことばっかり。兄のほうが近い物でも俺が取る。別のところから何かを持ってきたいときも俺が取りに行く。自分で取ってよ、自分でやってよ、そう思いながらも俺は兄の手となり足となり、機嫌を損ねないよう下僕として従順じゅうじゅんした。下僕の俺に拒否権はないし、これが『兄』にとっての『弟』の役割で、存在価値。

 5つ年が離れていると何をやっても勝てない。
 スポーツ、喧嘩、ゲームなど何をやっても兄に勝てずにいた。
 俺が小3のとき、兄とゲームで対戦していた(ちなみにプレステのワンピースグランドバトル)。何度やってもやはり兄に勝てずにいた。――が、勝った……。まさに青天せいてん霹靂へきれきだった。俺が弟としてこの世に生を受けてから苦節9年、俺は遂に『兄に勝つ』を成し遂げた!!!!
「よっっっっっしゃ!!」
 初めて勝った俺は、力強くこぶしを握り、体を震わせながら感情のままにめちゃめちゃ喜んだ。
 すると、負けたことと俺が喜んでいる姿が気に食わなかった兄は、唇を噛みながら目の前のテーブルを蹴り、リモコンを俺に投げつけてきた。リモコンは俺の顔面、目の近くを直撃。
 ――俺は泣いた。
 それ以降、ゲームで勝てそうになっても、わざと負けるようにした。

 兄と俺、元々2人部屋だった。
 小3のとき、俺は部屋を追い出され自分の部屋を失い、そして部屋に入ることも禁じられた。部屋にはテレビも、テレビゲームもあったが、入れなくなったことで俺はゲームができなくなった。見ねた親は、俺の分のプレステを買ってくれた。ということは、親が説得しても俺が部屋に入ることは叶わなかったみたいだ。兄用のプレステと俺用のプレステ、家に同じプレステが2つ、さらにいえば同じゲームソフトが2つあったりと妙な光景に。
 俺はゲームをするときリビングのテレビを使っていた。ひとりでゲームをしているとき、リビングに兄が居たことがあった。「何でそうするん」「意味わからん」「全然ダメやん」など、口を挟んでくる。それも否定ばっかり。
 ――うるさい。ゲームぐらい自由にさせてよ。
 家族みんなが共有するリビングのテレビ、ゲームに使える時間は限られているし、俺だって気を遣う。ひとりでゲームするときぐらい伸び伸びとしたい。
 兄が家に居るとき、ゲームをしないようにした。

 キャッチボールをするときは家の前の道路でする。山や田畑に囲まれた田舎なので車はほとんど通らない。道路の脇、片側は自宅のある敷地で、もう片側はカードレールがあり、その先は草が生い茂った土手になっていて、土手の先には田んぼが、田んぼの先には小さな川がある。
 兄の投げミスや兄のキャッチミスで土手や田んぼに落ちたボールでも、それを拾いに行くのは毎回俺の役目で、それもあって兄とのキャッチボールは億劫おっくうだった。
 あるとき、昼寝をしていたところを兄に起こされ「キャッチボールしようや」と俺に言う。昼寝してたし嫌だと断ったが、兄の口調に怒気が混じっているのを感じて断りきれず、渋々キャッチボールをした。ただでさえ億劫なのに、それに加え眠気もある状態で俺はキャッチボールをしていた。すると、俺が渋々やっているのが目に見えて気に食わなかった兄は、唇を噛みながら田んぼと川のほうへ向かって、おもいっっっきりボールを投げた。ちなみにそのボールは俺のボール、俺の所持品だ。「もういいわ!!つまらん!!!!」怒号を放ちながら家に入る兄。
 ――俺はベソをかきながら、ひとりでボールを探しに行った。
 それ以降、億劫なときでも、なるべくそういう態度を表に出さないよう心がけた。

「おもしろくない」「つまらん」「ノリが悪い」「冗談通じんな」そういった言葉で度々、兄からとうされた。
 兄と同じ空間に居るとき、俺は萎縮するようになっていた。なるべくそれを表に出さないよう心がけていたが「兄が苦手」「兄を避けたい」「兄に怒られないように」という感情は表に出ていたのかもしれない。兄に対して、その感情を完全に隠しきって明るく振る舞うなんて器用なことは、当時の俺にはできなかったと思うし、少なくとも伸びやかな気持ちではいられなかった。
 兄と俺、俺の同級生や年下の友達と一緒に遊んでるとき、兄は度々言った、

「◯◯君が弟やったらよかったのに」

 ――そっか。
 そんなこと、言われなくても感じてた。でも、いざ言葉にして具現化されると、こんな気持ちになるんだな。
 俺は、俺の友達の前でもよく兄に泣かされた。

 俺はとにかく兄が苦手だった。

 子供の頃の兄との楽しかった思い出は、本当に覚えていない。
 兄が帰宅する時間を把握して、帰宅するときにはなるべく何もせずに大人しくしていた。
 2階の兄の部屋のドアが開く音、階段を降りる音がしたら気を張って身構えた。俺に気にかけることなく部屋に戻ったときは、その度にあんした。
 家では、兄の存在にビビりながら、常に兄の気配や顔色を伺いながら過ごした。それでも防げない兄からの非難轟々ごうごう
 俺をむしばんだ恐怖心と傷心――そして、諦念たいねん


 兄は高校卒業後、東京の短大へ進学することが決まった。つまり実家を離れるということ。俺は心から喜んだ。兄の悪政からの解放――。さらに、兄の部屋は俺の部屋になる。
 その年の3月、兄は東京へ。
 俺は13歳、中学1年にして、やっと家での自由を手にした。――そんな気分だった。
 すべてはこの瞬間のために、諦念の先にあった解放感という快楽を味わうために、そして家で伸びやかに過ごすという“普通”が幸せだと教えるためにあったのかもしれない。そう思えば、あってよかったことのように思える。

 兄の怒声、兄の命令、兄の部屋のドアが開く音、兄が階段を降りる音、兄から発せられていたあらゆる音と気配が消えた家。

 毎日、伸びやかな気持ちで家で過ごせることが、こんなに嬉しいなんて。

  * * *

 高3のとき、当時人生初の彼女ができた俺は、ホワイトデー用に手作りクッキーに挑んでいた(けな気でしょ俺?)。そこへ、就職先の大阪から帰省していた兄が近寄ってきた。
「俺にもちょうだいや。俺も彼女に渡すわ」
 兄にも彼女がいたようだった。
 ホワイトデーすらりきなのは相変わらずだな、っと思いながらも、
「いいよ」
 と2つ返事でじゅだくした。続けて兄は言う、
「彼女できたんやろ?どんな子なん?」
 彼女との近況についてお互い話をした。ちゃんと会話らしい会話をしたのは、いつぶりだろうか。兄が帰省すると聞く度に、平穏にヒビが入るような気がして、兄に対する苦手意識は消えてはいないものの、そのとき少し距離が縮まった気がした。
 年を重ねるうちに、会ったときには少しずつ喋るようになった。年々兄も丸くなって、度々聞いていた兄の怒声や命令も、唇を噛む姿もすっかり見なくなり、兄に怯えることもなくなっていった。
 でも、決して仲が良いというわけではない。
 子どもの頃に好きだった歌や、好きだったシーンやセリフを大人になっても覚えているように、喜怒哀楽のいずれにせよ、心を動かした物事や出来事はずっと心に残るんだと思う。それも無意識的に。

 いまは年に1回会うか会わないかぐらい。昔みたいな関係ではないけど、別に好きでもないし、特に嫌いでもないし、あまり関心もない。大人になると兄弟はえんになるっていう例はよく耳にするし、うちもそれと大して変わらないと思う。

 それでも、
『兄』と『弟』
 2人の関係性に変わりはない。この先もずっと。ただその普通名詞に属する2人。言ってしまえば、それだけの関係でしかないのかもしれない。

 ひとつ言えるのは、
 過去は過去。今は今。

 現在、兄は結婚し2人の子宝にも恵まれ、順風じゅんぷう満帆まんぱんに人生を歩んでいる(ように見える)。

 よかったね、おめでとう。


 エッセイ

  作成中。不定期で更新。

〈目次〉
1.俺のプロローグ 〜迷惑をかけない〜
2.迷惑をかけないは迷惑をかけた
3.俺はそんなヤツじゃない①
4.部活の話 〜俺はキャプテン向いてない〜
5.上阪での失敗
6.今の自分は好きですか?
7.砕け散った好奇心
8.もしも俺が魚だったら
9.普通名詞の関係
10.何が迷惑になるか分からないから
11.初めての本気土下座
12.青鬼になろう
13.俺はそんなヤツじゃない②
14.教師にしばかれた話
15.初めての就職①  迷惑をかけないの力
16.初めての就職②  仕事を辞めれない俺が
                               店長になった
17.初めての就職③  スタッフからの手紙
18.初めての就職④  俺って
19.部活の話 〜悪い魔法使い〜
20.人類にラッコの本能を
21.失敗は成功の素(チャラ男風味)
22.勤労学生な生活①  不安
23.勤労学生な生活②  ルーティン
24.苦手は苦手でいい
25.勤労学生な生活③  4年間のあれこれ
26.やりがいを感じた話 〜残される側の悔い〜
27.分岐点は君がため①
28.分岐点は君がため②
29.分岐点は君がため③


 順番どおりに見てもらえると嬉しいです。

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