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実はすごく真面目?イタリア人ってどんな人?まとめてみた

非常識?気楽?イタリア人と付き合うと起こること5選

イタリアといえば、かつて「ヘタリア」があったように何となくヘタレで自由な気風がよく知られています。

もちろん土地や個性によって大きく異なるところもありますが、やはり日本の一般常識からすればズレまくっていて付き合いがあればイライラすることもあるかもしれません。

しかし、良し悪しとは表裏一体。見方を変えれば素晴らしく合理的で過ごしやすい環境でもあります。
あなたは、イタリアで暮らせる?暮らせない?

1、やはり時間はルーズ

日本人でイタリアと仕事の付き合いがあるとすれば、北部の人の方が多そうです。
そして北部は比較的時間を守るほうと言われていますが、それでも1分1秒でピリピリする日本人からすればルーズです。

イタリアでは友達と会うなら1~2時間は平気で遅れますが、それは無礼でもなく失礼とも思っていません。
どちらかといえば次の人との時間を守ることを理由に、今目の前の人と別れを告げることの方が無礼、と言えるほど今を大事にしがちです。

彼らにとって、守るべきは時間ではなく人付き合いであり、待たされる側も、相手の事情を考えて待つ懐の深さがあります。
街中にあるカフェで相手を待つ時も楽しみと考え、ゆったりできる気持ちがあれば、イタリアは最適でしょう。

待つ側としても「なんで時間に遅れたの?」ではなく「あなたのおかげで良いカフェに巡り合えた」と告げましょう。
あくまで慣れた人相手のことで、仕事ではわりと時間は守ってくれる人も多いでしょう。

2、郷土愛が高い

日本人は愛国心が高く、日本はすごいと褒めれば喜びますが、郷土愛は薄めです。

例えば東京の人は「東京なんて高いだけで好きじゃない」とか田舎でも「何もなくて人の住むところじゃない」など、あまり地元が好きじゃないか、あるいは好きであっても低く見積もって相手に伝えます。

少なくとも「日本は中国より劣っている」というほうが「千葉は埼玉より劣っている」と言われるよりも怒る人は多そうです。

イタリアの場合は反対です。国よりも地元のほうにアイデンティティがあるので、出身地を褒める/ばかにするほうがイタリアという国を褒める/ばかにするより効果が大きいです。

また、彼らは出身地のことを大変美化して伝えます。自分の地元はこんなにも素晴らしいところなのだ、と解説します。

日本人の感覚だと、イタリアで国を褒める行為は「アジアは良いところ」と言われるようなもので、地元を褒めることは「日本は良いところ」と言われるような感覚かもしれません。

イタリアに行ったら、とりあえずその人の地元を褒めておきましょう。おそらく5倍くらいにして地元の愛や紹介をしてくれるでしょう。

3、家族思い

イタリア人はマザコンだ。とよく言われますが、日本人の一般的感覚からすればマザコンに映る場面も確かにあります。

彼らは家族を大事にします。家族のために、と考えて行動することはよくあります。

マザコンというよりは家族という共同体意識が根強い感じです。
マンマのいうことを必ず聞くというより、家族の発展と盛り立てを頑張っていきます。

もし「家族/恋人が殺されるか、知らない外国人20人が犠牲になるか選べ」となったとき、あくまで一般的にですが家族や恋人を選ぶでしょう。

人は身近なほど大事にするようになっています。自分、自分の大切な人、大切な人の共同体(家族)、地域、地方、国…という順で外へ広がっていくでしょう。

しかし、国や会社というのはそれを捻じ曲げる力を持っています。人によっては、地元よりも国、家族よりも収入(会社)と、順序が変わることはよくあります。

本来ただの手段である存在が、いつの間にか目的になってしまいます。
家族を養うために違法長時間のキツイ仕事をして、いつの間にか自分がやらないと会社が回らないから。と目的がすり替わります。

イタリアでは、優先順位を変えることはありません。
家族を苦しめる国なら滅びてもいいし、恋人を苦しめるなら会社の存続なんてくそくらえです。

ちなみにイタリア人の選挙の投票率は異常に高いです。
国が好きなのではなく、自分や家族を苦しめるようなことはしないか、しっかり監視する目的で政治参加が活発です。

4、真面目

イタリア人に真面目さがあるのか。と言われるかもしれません。
それは、日本人の基準では「時間を守り仕事を果たして集団に貢献することが真面目」と考えるからです。

最近流行ったドラマ「VIVANT」の主人公はまさにその特徴をしっかり掴んだヒーローでした。

イタリア人には、時間を守る精神もなければ仕事はほどほどにし、家族や自分への貢献はあっても地球社会や国への貢献なんてあまり考えていません。
まるで正反対なので、イタリア人は真面目じゃない。と思われても仕方ないでしょう。

しかし、彼らはとても合理的で真面目です。
彼らの真面目の基準は「相手の幸せを守るために頑張って、家族や自分に貢献することが真面目」と考えます。

日本人が相手のために頑張ると「してあげた」となりますが、イタリア人が相手のために頑張ることは「自分へのご褒美」です。
自分が熱中できる機会を与えてくれて、ありがとう。というわけです。

日本では家族サービスと労働っぽく言われていることは、イタリアでは「ご褒美」です。
かわいい我が子や妻(夫)と関われてハッピーな時間です。

彼らは自分がハッピーになることしか考えていません。
恋人や家族、あるいは大事な友達が喜べば自分がハッピーになる。ということです。

もし目の前の人を幸せにしても自分が幸せを感じない場合、付き合いを辞めてしまいます。

相手を楽しませることで自分が我慢するということは、相手にとっては大変な失礼です。

それはつまり「我慢してお前を喜ばせてやってるんだ」ということですからね。

5、宗教家

イタリア人はとてもまじめなので、ほとんどがカトリック教徒です。
バチカンの発言は、一応イタリアからすれば外国なのに結構重く受け止めます。

バリバリの宗教の政治介入(しかも外国からの)ですが、カトリックの動向をよく見ます。

イタリア人は家族思いで自分本位なはずなのに、宗教のこととなるとものすごい熱心です。おそらく国という組織よりもカトリックという宗教組織のほうが発言力があります。

普段はローマをバカにする他の地域の人々ですら、カトリック聖都という点では一目置いています。

日本では国教の出番はほとんど葬式だけになってしまいましたが、イタリアでは日本の初詣や神社へのお参りと同じくらい日常に根付いています。

なので、イタリア人と軽く交流するときに政治と宗教の話は注意すべきでしょう。
特に宗教的な部分は日本人が「そんなことで?」と軽く考えるところでも、ブチギレポイントになることはあります。

日本で宗教イベントを成功させるにはカネが大事です。
いくら儲かるか、どれだけ恋人から金銭的に得られるか、どれだけお金を使えば相手を喜ばせられるか、という思考でクリスマスなどは成立しています。

日本では宗教はイベントであり、お金が必ず動かないと社会的に成功しない商業的な意味合いも強いです。

一方のイタリアも多少はそういう要素はありますが、基本的には真面目です。

飾り付けも集客してお金儲けのための派手なものだけでなく、多くが質素にちゃんと宗教行事として実施されます。

それは自国宗教がほぼ機能しておらず宗教が文化的に遠くなった日本と、1700年間くらい文化的に根付いているカトリックのおひざ元の違いでしょう。


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