寧夏でのある一日。小エンと僕。
【今夏、中国寧夏、ホームステイ先でのある一日】
前日から泊めさせてもらっているエン(エンさんは日本語が流暢な僕と同い年の中国人)さんのお爺さんの家で7時に目が覚めた後、やがてエンさんも起きてきた。すると、「おはようございます。」と言った次の言葉は、「昨日シャワーが水しかでてなくてすみません。」というもの。何でも、お湯を暖かくするのを忘れていたため、水しかでなかったようだ。エンさんはそれを気にしていたらしく、何回も僕に詫びた。しかし、僕はそのことに対して、何ら思っていなかったため、謝るエンさんに逆に申し訳なく感じた。そして、エンさんは十二分に気遣いが出来る優しい人であると再認識したのであった。
エンさんは「中国の朝ごはんを食べましょう。」言って、僕を朝の寧夏の街に連れ出してくれる。街にはところどころに商人がいて、物を売っていた。エンさんが途中移動式の屋台のようなもので売っていた食べ物を見て、「あれは汚いから食べないほうがいい。」と言っていた。現地の人が避けるほどであるから、日本人が食べるとどうなるのだろうと思いながら通り過ぎたり、路上に綺麗にならべられて売っているスイカを見て日本では見られないからと写真を撮らせてもらったりと、朝の寧夏は移動するだけでも一つの観光地を訪れたような気分になった。
着いたのは、ラーメン屋さん。大きく佇むビルの中に入っており、現地では有名な店らしい。拉麵のラーとは伸ばすという意味があるとエンさんに聞き、その店も料理人が実際に厨房で麺を伸ばしている様子をみることができた。付け合わせの野菜だけ選んで、後はエンさんにお任せ。すべて、彼がやってくれたので僕は席で待つだけだった。エンさんが持って来てくれたのは辛味の入ってないラーメン、付け合わせの野菜、ゆで卵。食べ方も現地流。酢と辛味を少し足して、ゆで卵をスープのなかに入れて、付け合わせの野菜はスープのなかに入れることなく、ラーメンを食べる箸を休めるときに食べる。
まず、麺がモチモチしていておいしかった。そして、付け合わせの野菜の味もラーメンの少し辛いスープだけ食べていたら飽きてしまうのを防ぐ機能的な役割と、それ自体の食材としてのうまみがある。本当においしい。どちらもペロリと平らげた。
そして、次に向かうのは現地の市場である。その道中、エンさんと自分の大学の話や普段運動をどのくらいするかといった話をする。そうしているうちに、公園に設置されているピンポン台でピンポンをする老人が目に入る。エンさんは「中国では家にピンポン台を買わなくても、公園でできるからいい。」ということを話してくれた。さらに、「ダクト飯さんもやってみますか?」と、思ってもみない提案。このような機会は二度とないかもしれないと、僕は「いいんですか?やりたいです。」と答えた。エンさんはすぐに、老人たちのもとへ駆け寄ってくれ、交渉をしてくれた。老人たちはすぐに承諾してくださり、僕は中国の公園でピンポンをすることになる。中国の老人は長年やっているからか、すごく上手で、球の変化などをおりまぜてくる。下手な僕にも合わせてくれて、フォアハンドのラリーをしてくれるというサービス精神もあった。結局僕は総勢5人くらいの老人に相手をしてもらい、最後にその人たちから「中国へようこそ」と笑顔で言ってもらった。エンさんに「ダクト飯さん人気です。」と笑いながら言われて、「ありがとうございました。貴重な経験ができました。」と言うと、「あの老人たちが優しくてよかったです。」とエンさん。僕もそのように思った。このような草の根の交流ができたのは、エンさんと僕を受け入れてくれた老人のおかげだろう。感謝するばかりであるし、暖かみを感じ、そして中国の公園という場所でするピンポンは素直に楽しかった。
市場につくと、エンさんは親御さんにお使いを頼まれていたようで様々な食材を買っていた。その中には日本にはない食材も多くあった。また、エンさんは市場でも電子決済を使っており、ここでは中国のキャッシュレス化を肌で感じたのであった。食材を買い込むと10時半くらいになっていたので一旦家に帰る。家へ向かう途中で、エンさんが寧夏で庶民の味として親しまれているミルク味のアイスを買ってくれた。その日は暑く、日差しが強かったので相当おいしく感じたのであった。
家につくと、エンさんのお父さんとお母さんが笑顔で出迎えてくれた。そして、スイカを出してくれた。みずみずしくておいしかった。そして、エンさんと午後の打ち合わせをした後は、昼ごはんが出てきた。大きなお皿に入っている羊肉とジャガイモの炒め物、豚肉を煮込んだもの、そしてキュウリ、トマト、すべて山盛りに盛られていた。僕が料理の写真をとっているとお父さんがうれしそうな顔をしてくださった。料理はすべて、お父さんの手作りらしい。そして、いただく。どれもおいしい。羊肉は臭みがないし、豚肉も柔らかい。そして野菜も甘味があっておいしい。たくさん食べた。途中、ご飯がなくなりそうになったところで、お母さんがご飯を持って来てくださり、その計らいに対して「お母さんっていいなあ。」とも心から思うのであった。
食べ終わると、午後からは博物館に行こうとエンさんは言った。博物館では他の中国人とも合流するらしい。まだそれまでに時間があった。だから、少し休憩をして、どこかに立ち寄ってから博物館に行こうと言われた。エンさんは僕に、「いつも勉強している図書館があるんですけど、そこに行きませんか?」との提案。僕は、本が好きなので、「ぜひ、案内お願いします。」と言う。「では、今から一時間ぐらいこの家で昼休みをとってからいきましょう。」とのこと。僕は、エンさんのお母さんが作られたパパイヤとレモンとハチミツを混ぜたジュースをいただきながら、中国のテレビを見せてもらう。もうすぐ一時間がたち、出発しようとなったときにここでアクシデント。急な腹痛に襲われたのである。
トイレに10分くらい籠って、なんとか難を逃れる。トイレからでると、エンさんと両親は僕の体調を心配してくれて、「薬のみますか?」といってくれた。僕は、その気持ちをありがたく頂戴しながらも、日本から持って来ていた下痢止めを飲んだ。
そして、家をでる。なんとか、腹痛も治まり、よかった。しばらく歩くと寧夏の図書館についた。エンさんはいつもここで朝早くからよる遅くまで勉強しているという。一般利用客として、カードなども作ることなくセキュリティチェックだけをすると入ることができた。中に入って広がっていたのは老若男女設置している学習机から人があふれるほどの勉強をしている人がおり、床に座って勉強している光景であった。また、毛沢東関連の本は二つの本棚をつかってぎっしりと並んでおり、中国の図書館に来ているという感覚を受けた。他にも、アダムスミスの本やイギリスのタイムスも置いてあり、想像以上に言論空間が保たれているのであるということを感じた。図書館でエンさんと書籍に夢中になって、これを読んだことがある、ないなどの話をしているとあっという間に時間は過ぎた。外国の図書館に一般利用者として入るという突然の発想によって、中国には大勢の人々が勉強していること、また図書館はどのようなものかというありのままの姿を見ることができたので良い経験となった。
やがて、僕らは博物館に足を運んだ。中国人のソウさん、ズーさん、ワンさん、そしてズーさん(彼らは日本語を話すことができないため、意思疎通は英語である)の家でホームステイをしていた古川さん、ワンさんの家でホームステイをしていた上西さんと合流。
博物館は寧夏が歩んできた歴史が広くまとめられていた。エンさんは「その土地に言ったら、僕はまずその土地の博物館にいくべきだと思う。」と言っていて、その通り寧夏というものを知るのには絶好の場所だった。僕が博物館のなかでも印象に残ったのは、抗日、日中戦争の歴史が綴られているところに中国の仲間たちと入ったことである。当初、ワンさんは戸惑っていた。なぜならば、強いナショナリティがぶつかり合い、険悪な雰囲気になることをためらっていたためだ。しかし、僕、そしてエンさんは入ろうと言った。そして、僕らは全員、その中に入ることができた。そこには「抗日」といった文字や、「anti japan」と言った文字が見受けられたが、エンさんはためらわずにモニュメントの解説を続け、そして僕はワンさんと歴史問題について話し合うことができた。南京大虐殺をめぐる話などをしたが、結局のところ僕らが仲たがいすることはなかった。
両国の立場というものを理解する。目を瞑ることばかりが重要ではないということを感じたのであった。僕らはそこに行った後も当然友達だ。
博物館の見学を終えた後は、日本人のためお土産物を買いにスーパーに連れて行ってくれるという。道中、肘の皮がめくれていた僕の肌を心配して、ズーさんがソウさんの持っていたフードと帽子を僕に貸すよう促してくれた。彼女は他の人にも終始気を使っている様子で非常に優しかった。ソウさんも嫌な顔ひとつしないで貸してくれた。
そして、中国人の皆さんの案内のもと、スーパーというよりも大きいデパートへ着く。そこで食品のお土産を買いたい僕らに対して、エンさんはお菓子の解説を日本語で事細かにしてくれて、ソウさんは長い間籠をもっていてくれて、ズーさんは「これは辛いけれど、大丈夫?」などと心配をしてくれる。また、ワンさんは長時間、荷物番をしてくれた。僕らはそのおかけで、スムースにお土産を買うことができた。また決済のとき1元がなかった僕に、ズーさんはさりげなく1元を出してくれた。4人のやさしさに心温まる、デパートでの時間だった。また、デパートでソウさんに「なぜ中国は電子決済がこんなに発達しているのか?」と聞くと、ただ一言、「critical」とだけ返ってきた。人口が多く、そして現金の持ち運びが危険な国は必要に迫られているのであるという風な意味が集約された言葉であり、とても印象に残った。
次に行ったのは、KTVというカラオケボックスだ。そこでは、新たに韓国人の2人と中国人の2人と合流した。僕らが入ると、料理と瓶ビールが大量に部屋に持ち込まれ、それで「Happy new year!」という掛け声とともに乾杯をして、カラオケが始まる。このカラオケでいったい何回乾杯をしたことだろう。とにかく、楽しかった。乾杯をすることは朋友の証である。
そして、僕も恥ずかしさを必死にこらえながら、KPOPグループKARAの歌をつたない韓国語で歌う。すると、韓国のサニーと言う女性がつたない僕と一緒に歌ってくれた。その後、彼女とはよく話すようになり、チング(友達)になることができたのだった。
カラオケのなかで特に印象に残ったのは、ワンさんと上西さんがテレサテンの「時の流れに身をまかせ」を日中両国語でデュエットしたことだ。二人の歌声は綺麗だった。またそれに、日中のコラボというのが相まって場のボルテージは最高潮に達した。
その後もカラオケは日中韓様々な歌を歌い、大盛り上がりで終わったのだった。
すっかり酔っ払ったエンさんは、中国人相手にしても日本語を話してしまうという不思議な酔い方をしていて、面白かった。また、その後も同じ宿泊先に向かう前に、エンさんのお父さんとお母さんの家に出向いて、お別れのあいさつをする。お別れの挨拶のときに、エンさんのお母さんにたくさんのお菓子を頂いた。何から何まで、もらってばかりで少し申し訳なく、そしてそれ以上に感謝の気持ちと家族の暖かみを感じた。最後に満面の笑みでエンさんと僕との写真をお母さんは撮ってくれた。
僕らは再び宿泊先である、エンさんのお爺さんの家に移動する。エンさんは昨日のシャワーの事をまだ気にしてくれているようで、「昨日は水しかでなくてすみませんでした。」と何度も僕にいった。酔った状態でも優しいから、エンさんは本当に優しい人だ。
こうして、朝から夜まで、濃密な日は終わったのであった。結局、この日僕らは3万歩以上歩いていた。しかし、その疲れはなぜか心地よいものであった。恐らく、啤酒と数々の優しさに癒されたのだろう。
終わり。
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