自分のみたものがすべて(what you see is all there is)

「なんで勉強しなければならないの?」抱いたことがある人も多いだろう。僕は小学、中学、高校と、この問の答えを探していたらあっという間に時間が過ぎてしまった。

「良い大学に入るため。」「将来良い職業につくため。」、「将来、苦労しないため。」、それは、僕に対してなされた答えである。これは外側に踊らされているようで、内側から勉強をしようという理由にはならないように思える。良い大学に違う手段で入ることができたのならば勉強をやめてもいいのか?、そもそも良い大学、職業ってなんだ?、勉強しなくてもいい良い職業があり、それを目指しているのなら僕は勉強をしなくてもよいのか?じゃあ、なんであんなに課題をたくさん出すのだ?学生時代、勉強していないうちの父親、母親も二人の子供を育てているぞ?

僕は結局、この問に答えを出すことができず悶々として、「なんで勉強しなければならないの?」という問いをひとまず捨てて勉強することにした。しかし、与えられたものを裁くだけのその勉強はつまらなかった。それにつまらなさを感じることなく、黙々とやっている人が理解できなかった。僕のゆがんだレンズにはその人たちの目が死んでいるように見えた。

つまらなさを感じた僕は、もう一度「なぜ勉強をするのか」を探し始める。すると、偶然にも良い出会いがあった。それはアリストテレスが出した、「人間は知を愛求する生き物である」という答えだった。そうだ。僕らは内側から湧き出てきた、知的好奇心というものに踊らされて勉強するのだ。僕はこれを知り、生徒の授業態度を事細かく指定する授業や、脳のキャパシティを超えて1日中教室に詰め込むような勉強、怒られながら否定されながらやる勉強が嫌いになった。そして、自分の抱えている命題をもとにする、読書や学校で教わらない文献を読むことが心の底から楽しかった。これこそが知の愛求だ。学業成績は振るわなかった僕であるがこの「知の愛求」を知ってからは日々が楽しく思えた。この感覚をわかってくれる人は僕の周りには乏しかった。このときに、この感覚を共有してくれた友は今でもよく連絡をとる。

大学に入ると僕の周りには今までとは一変して、「知の愛求者」たちが多くなった。彼らは「知らない」ことと、「知りたい」ということを結び付け、知るという行為や知るからなにかを生み出すという行為をする。内側から満たす「知りたい」という欲求を満たすために勉強をすることで僕は納得し、勉強が好きになった。

これに付け加えて、最近面白いことを学んだ。それは、タイトルにも書いた「自分のみたものがすべて(what you see is all there is)」である。これは行動経済学者としてノーベル経済学賞を受賞したダニエルカーネマンの言葉として有名である。これは、私たちのバイアスを説明する言葉だ。彼によると私たちはともするとあることの結論を少ない手元の情報や経験、そして直感によって判断してしまうのだという。カーネマンはそのわかりやすい例として、スタンフォード大学で行われた実験を紹介する。この実験は学生にある刑事訴訟の説明文を見せた後で、「被害者側から説明を受けた」、「加害者側から説明を受けた」、「両方から説明を受けた」グループにわける。そして、最後に判断をしてもらう。被験者は全員が説明文を読んでいるため、これは後に受けた説明がどのような影響を図るのかという実験である。この実験でわかったのは一方から説明をうけた二つのグループが両方から受けたグループに比べて自分の下した判断に対して自信が高かったということである。なぜならば、これは情報の少なさから混乱を経ることなく、情報の整合性がとれたからであると彼は言う。

少し長くなったが、僕が上に上げた「自分のみたものがすべて(what you see is all there is)」から見出す勉強をする理由は、「昨日の自分を乗り越えるため。」というものである。私たちは放っておけば、物事を少ない情報から結論付け、それに自信を持ってしまう。その情報は自らの持っている経験や直感なのだ。スヌーピーの言葉を借りれば、「手持ちのカードで勝負する」しかなくなる。所与性の追従者にしかなりえないのである。そういう性質がある私たちに必要なのは経験を増やす、つまり勉強をすることであることだと私は考える。僕がスヌーピーの言葉に付け加えたいのは、「手持ちのカードを増やす、なんらかの努力をしないとね。」ということだ。上のように手持ちのカードが多いことが、知的謙遜や惑いという「知りたい」の要因になるものをもたらしてくれる。そして、それはさらなる勉強へと僕らを導く。

知りたい思いで勉強し、多くを知ることによってまた、勉強したくなるという生涯勉強メカニズムの発生だろう。

僕はより多くのことを勉強したいと思う。「知りたいから。」そして、「新しい自分を手に入れたい」から、「自信がないから」勉強するのだ。それは何れも外側から来るものではない。

高校生の自分に言いたい。お前は、教師や周りの大人から何を言われても迷うな。迷うだけ勉強する機会を奪うのだ。知りたい感情の餌食になれ。勉強する理由がわからず、僕のように悶々としている高校生にも言いたい。君はずっと同じ君でありたいか。

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