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因島への思い

ポルノグラフィティのファンには、いつか行ってみたい場所がある。
そこが

広島県因島

 
である。
ファンにとって、因島は聖地である。

 
 
ポルノグラフィティは1999年にアポロでデビューした。
メンバーのアキヒト、ハルイチ、シラタマは全員が広島県因島出身であり
アキヒトとハルイチが高校時代の同級生で
ハルイチとシラタマが保育園、小中学校が同じである。

 
ポルノはMステ初登場時から因島出身であることを公言しており
1stアルバム収録一曲目から、歌詞に因島の地名や場所を歌詞に織りまぜていた。

 
・土生港(Jazz  up)
・青影トンネル(Aokage)
・折古の浜(狼)

 
この三箇所は特に聖地of聖地だ。
ファンは曲を聞き、歌いながら因島に思いを馳せるのだ。

 
 
 
だが、因島は遠い。

調べてみたら我が家から約7時間かかる。
いっそ韓国や台湾の方が近い。

 
行きたいと思いつつ、なかなかに金額と時間がかかるのがネックだ。

ポルノのファンクラブに入会していても因島に行ったことがない人ももちろんいるし
入会していなくても因島に行ったことがある人もいる。
リピーターのファンもいる。

ネットによると、島民約30000人の島に、年間500人のポルノファンが因島に訪れるらしい。

 
 
15歳の時にポルノと出会い
高校時代にポルノグラフィティに熱狂的にハマり
17歳でポルノライブデビューを果たした私は
大学時代にプレミアムライブに行った。

当時、c1000タケダのCMにポルノグラフィティ本人が出演しており
ドリンクについている応募券を複数枚送ると
抽選でプレミアムライブにご招待という企画を行っていた。

 
私は炭酸が苦手なのでわずか二口分しか送れなかったが見事当選し
高校時代の親友をライブに誘った。
なお、次に行われたポカリキャンペーンプレミアムライブは何口も何口も送ったが当たらなかった。
本当にc1000タケダの時はついていた。

 
プレミアムライブは東京であり
私はデートのように気合を入れたお洒落な格好で東京に向かった。
友達は特別ポルノの大ファンではなかったが
私が日頃からポルノポルノ騒いでいたし
親友(私)をそこまで駆り立てるポルノの存在が気になっていたらしい。
親友にとっての初ライブはポルノグラフィティだった。

私、姉、親友と
私を含めて私がライブに誘った大切な人達は
ポルノグラフィティでライブデビューを果たすのだ。

 
C1000タケダは整理券番号順にライブハウスに通され、最初は真ん中よりやや前ぐらいの位置だったが
隙間を見つけては前へ前へと図々しく移動し
最終的に前から6列目くらいまで行けた。
スタンディングライブだったのである。
私の人生初のスタンディングライブもポルノだった。

それからポルノのライブに10回くらい参戦したが
後にも先にも
スタンディングライブはここだけだったし
至近距離でポルノを拝めたのもこれだけだ。

 
初めてのライブが横アリ三階席だったので
二回目のライブが狭いライブハウスというのはあまりにも恵まれた環境で
生演奏生歌生メンバーに私はギャアギャアし
メンバーの名前を叫び 
あっという間の幸せタイムだった。

 
 
ライブが終わった時にハッとした。
果たして、特にポルノファンというわけではない子が、初ライブではどんな感想を抱くのだろうか。
親友はポルノをシングル曲位しか知らないレベルだった。

親友「すごいね。ライブって楽しいね。パワーがすごい。」

 
私「でしょ!?でしょ!?でしょ!?」

 
親友「特にアキヒトさんが歌って動きまくって息切れないのがすごい!私もあれくらい体力つけたい!筋トレ頑張ろう。」

 
どうやら親友にとって一番ライブで印象的だったのは、動き回って歌いまくるアキヒトさんらしい。
そうか……ファンにとっては見慣れているが
確かに初めて見た人はアキヒトさんのあの動き回る姿に驚くかもしれないな、と私は思った。

 
 
 
 
そのプレミアムライブから数年後、私は大学四年生になった。
卒論も無事に書き上げ、大学の友人と卒業旅行で熱海に、サークル仲間と箱根に、そして人生初の一人旅で、因島に行こうと思っていた。

もしも人生初の一人旅なら因島しかない

と謎の決意をした私は
大学生活最後の思い出を作ろうと思ったのだ。 
すると、高校時代の親友が私にこう言ってきた。

「私もともかと卒業旅行行きたい。因島行ってみたい。」

と。
 
 
 
話を聞くと、親友は大学時代の友人と卒業旅行で京都に行くので
その後にそのまま因島行きに合流するという。

いやまぁ、西日本だし
方角的には確かに京都から広島は行きやすいが
因島よ!?
ポルノファンならまだしも
広島観光ならまだしも
因島よ!?

 
私は親友に話し、私がまず初日に因島に一人で行き、二日目から合流して原爆ドーム等に行かないかと話した。
別の友達との京都旅行は京都旅行で大切にした方がいいし
一旦友達と帰宅した方が良いのではないか、と。

 
だが、親友は京都まで行くならそのまま広島に合流した方が手っ取り早いし
旅行最終日に京都現地解散でも構わないと主張した。
確かに時間やお金を考えるなら合理的だ。
そして私は私でサークル仲間と卒業旅行で箱根に泊まった時、電車が遅れて後から合流した挙げ句に、最終日に途中から抜け出して、神奈川の友達と会う……というなかなかのことをやってもいた。

人のことを偉そうに言える立場ではなかった。

 
 
 
ということで
因島に一人旅で行く予定だったが、成り行きで高校時代の親友と卒業旅行で広島旅行(因島込み)に行くことになった。
特別ポルノファンではない親友と、プレミアムライブだけでなく、因島にまで行くことになるのだから奇妙だった。

 
私は一人で新幹線に乗るのは初めてだった。
親友とは西日本で待ち合わせのため、ドキドキしながら東京駅から新幹線に乗り込んだ。 

 
 
 
親友と落ち合い、広島県に着いてから
私達はバス停を目指した。
ネットによると、自転車で因島を巡ったり、レンタカーで因島を巡る方もいるようだが
自転車はなかなかに体力勝負だし、天候に左右される。
私も親友も免許はあったが、運転には自信がなかった。

だから、安全パイでバスで因島を目指すことにした。

 
 
運転手の方に、因島まで行くか尋ねるとそうだと言われたので
大荷物を持ってバスに乗り込む。
広島旅行は二泊三日の予定で、因島と原爆ドーム、宮島に行く予定だった。

「ポルノグラフィティのファンかな?」

 
運転手のおじさんは、気さくに話しかけてくれて、私は「はい!そうです!」と元気いっぱいに答えた。
バス出発前から嬉しくなった。

 
 
バスはほどよく人が乗り込み、駅を出発する。
因島まではバスに揺られてなかなかに遠い。
私達はバスに乗りながらペチャクチャ喋り、窓から見える景色にワァワァ騒いだ。
今から念願の因島に行けると思ったらハイテンションだ。
そんなハイテンションの私が、「おや………?」と途中で気づいた。
財布をガサゴソする。
バスの料金はガンガン上がり、私は財布を見て、青ざめた。

万札しか、ない………。

 
小銭は用意していたが、バスの料金は思っていたより高く、小銭だけでは支払えなくなった。
かといって万札は車内で崩せない。 
以前、地元バスでも同じ失態をやらかし、「規則ですから。」と言われて降りたいバス停で降ろしてもらえず、駅まで行くからそこで支払えと言われた苦い過去を思い出した。

 
親友に尋ねたが、親友も同様で
バス代は自分の分だけで精一杯だという。
しまった。
万札だけではなく、どこかで適当にもっと崩しておくべきだった。
そんなやり取りを聞いていた、私の前に乗っていた女性が後ろを振り返った。

「これ、よかったら使ってください。」

 
両替ではない。
その手には、バス代が握られていた。
地元の方なのだろう。
私が降りたいバス停までの料金を把握していた。

 
「そんな…!?受け取れません!」

 
私は断った。
バス代は数百円単位ではないのだ。

 
「因島まで、せっかく遊びに来てくれたんでしょう?」

 
女性はなおもお金を差し出す。
「いえいえ、受け取れません。」と私は首を振り、断り続けた。
そんなやり取りを、運転手の方も気づいていた。

 
 
ちょうどそのやり取りをしてから数分後、郵便局の前にバス停があり、バスは止まった。

「お姉さん、バス待ってるからさ、ここで両替してきたら?」

 
バスに乗っている人達もそうだそうだと言い
私はお言葉に甘えてダッシュで万札を両替してきた。

 
「ご迷惑おかけしました。お陰で両替できました。」

 
と私が言うと、みんなが笑顔でよかったね、よかったねと言ってくれた。
前の席に座っていた方にも「ご好意ありがとうございました。」とお礼を告げた。
「郵便局があって本当に良かったですね。」とその人は微笑んだ。
郵便局のバス停から、目的地はまだまだ先である。

 
 
私と親友は目を合わせた。 
あり得ない、と思った。
目的地に着く前に広島や因島の人の優しさに触れ、バスの中で私は涙ぐんだ。
なんて優しい人達だろう。

 
だから、ここで育ったポルノもみんな優しいのか…

 
私は早くもそんなことを思った。

 

 
乗客はどんどん減っていき、「お姉さん、もうすぐあの青影トンネルだよ。」と運転手の方は教えてくれた。
私は無理矢理写真を撮った。
走行中はなかなかに難しい。
わざわざ教えてくれるなんて、なんて優しい運転手の方だろう。

 
なんやかんやありながらも、第一目的地のプラザオカノに到着した。
昭仁さんの親戚がやっている写真屋さんだ。
親戚の方はなるほど、昭仁さんにどこか似ていて、そこでしか聞けない話を教えてくれたり
メンバーの写真に囲まれた部屋に通してくれたりした。
プラザオカノもまた、ファンにとっては絶対に立ち寄りたい聖地なのだ。
私はそこで、昭仁さんの写真が入ったストラップを購入した。

 
プラザオカノの後は水軍城や本因坊秀作のお墓に行った。
ヒカルの碁ファンとしては本因坊秀作のお墓もおさえたい。
この二箇所はポルノ関係なく、ただの観光である。

 
 
泊まった旅館では、美味しい魚料理を振る舞われた。
さすが島だ。魚が新鮮で美味しい。
旅館の方も優しかった。
因島はいちいちみんな優しくて、幸せな気持ちになる。

 
 
因島二日目は折古の浜に行った。
キレイな海だ。
関東の海とまるで違う。
何枚も何枚も写真を撮り、はしゃぎ、海を見ながらしゃべり、次のバスを待った。
バスで島移動だと、待ち時間がネックになる。
やはり自転車や車の方が便利だろうと
親友と話し合った。

 
・新藤フルーツ(晴一さん実家)
・美容院(Tamaちゃん実家)
・メンバーの母校
・ペーパームーン(ファン集いの喫茶店)
・土生港

 
と、一通りファンが行くべき場所に行ったり、見た後、いよいよ原爆ドームを目指すことにした。 

 
 
「瀬戸内の海は今日もきらきらと光っている」とポルノは歌っているが
確かに瀬戸内の海はキラキラと光っていた。
あまりにもきれいな海や島の景色に
私は離れがたい衝動に襲われたが
旅行の予定ではこれから原爆ドームなのだから
そんな悠長なことはできない。

名物のはっさくゼリーを買い
私と親友は原爆ドームへ向かった。
なお、はっさくゼリーは想像以上に美味しくて
もっと買っておけばよかったと悔いるほどの絶品である。

 
 
原爆ドームの後は定番のお好み焼きを食べた。
我が家のお好み焼きは大阪風なので、広島風は初めて食べた。
そもそも、広島に初上陸したのが今回の旅だ。
私も親友も初広島である。

 
今までは因島モードだったし
親友を付き合わせてしまったが
今度は広島モードにならねばいかん。

 
広島三日目は宮島に行った。
フェリーなのにJRなのが面白い。
海なし県民の私と親友はいちいち海にはしゃいで、写真を撮りまくった。
やはりこちらも関東の海と全然違う。
海の中の赤い鳥居は美しく、厳島神社も流石の風格である。
鹿がたくさんいたのも面白かったし
初めての紅葉饅頭がめちゃくちゃ美味しくて
私は土産を大量に買った。

 
大学四年生の最後に、広島県でたくさんの思い出が作れて幸せだった。

 

 
 
 
その後、社会人になった26歳の時、彼氏と広島県に旅行に行った。
人生二度目の広島県である。
彼は尾道市が大好きで、前回は行けなかった尾道観光をした。
尾道ラーメンを初めて食べたり
尾道の街並みや猫を眺めたり
なるほど彼が尾道に惹かれるのは分かる気がした。

尾道には尾道の良さがあり
私は帆布のバッグをそこで購入した。
今でも現役である。

 
尾道の後は、宮島に行った。
確か二泊三日の旅で、原爆ドーム、尾道、宮島のコースだった。
因島は位置的なこともあるし、彼はポルノファンではないので、因島には誘いにくかった。
せっかく広島まで来たのに因島まで行けないのは無念で仕方なかったが
前回行けなかった尾道にも行けたので
これはこれで満足だった。

 
次の因島こそ、念願の一人旅だ!
と私は燃えていた。
一人で色々なことにチャレンジしてきたが
一人旅は未経験のままだった。

 
 
 
  
…因島に行ってから
私は何故か辛いことがあると、因島が異常に恋しくなった。
何故かは分からない。

故郷は今いる県だし
第二の故郷は母親の実家の福島県だ。 

それは揺るぎないのだけど
第三の故郷のような場所が因島だった。

 
 
今まで全国様々な場所を旅行してきた。

まだ47都道府県は制覇していないが
北海道、沖縄、九州、そして本州各地を
私は旅してきた。
それぞれにそれぞれの良さがあったし
また行きたいとも思うし
まだ行っていない県には行きたい。

 
その気持ちも本当なんだけど
何故か仕事や恋に失敗して消えたくなりたい時は
私は因島の人の優しさや景色やご飯の美味しさが恋しくなった。

 
例えば大きな病気にかかり、余命一ヶ月なら、私は因島に行って海が見たい。
例えば退職したなら、まずは因島に行って海が見たい。そして、リセットしたい。

 
そんな例えばの話を、私は20代からずっと描いていた。
たった一度、人生で2日間しか行っていない因島に
何故ここまで惹かれるかが分からない。
ポルノの故郷ということももちろんあるが
故郷云々ではなく
私は因島に流れる空気感や景色に惚れたのだろう。

 
 
 
仕事が忙しくなると、旅行費用が貯まる分
なかなか時間がとれなかった。
片道7時間がなかなかに、ネックだ。
私は土曜日勤務もあるし、なかなかに三連休休みはない。
有給も取りにくい職場だった。

 
いつかまた因島に行きたい…
いつかまた因島に行きたい………

そう願いながら
初めて因島に行ってから、10年以上が経過した。

 
 
 
2019年、ポルノグラフィティデビュー20周年を迎えた。

当時、一緒にプレミアムライブや因島に行った親友は結婚し
旦那さんとしまなみ海道をサイクリングしたらしい。
送られてきた写真の中には、ポルノグラフィティのパネルもあった。
しまなみライブのパネルだ。
 
 
瀬戸内の海の写真やパネルの写真に、私は因島への思いを更に強めた。
ちょうど2019年は仕事がハードで、安定剤の量が増え、心身ボロボロになっていたから
余計に私は因島を欲したのだろう。
それに加え、20周年イヤーのポルノは、去年様々なイベントをバンバン行っていた。
ポルノファンはポルノ愛や因島愛を更に強めたのが2019年だった。

 
 
去年Twitterデビューをし
私は様々なポルノファンと繋がった。
ファンは因島に何度も行き、人によっては移住をしたりもしていた。
私が因島に行った時から10年以上が経ち
ファンが行くべき聖地は更に増えまくっていた。

 
更に、私は去年知ったのだ。
私が今一番好きな作家である湊かなえさんが

因島出身

であると。

 
 
「告白」から大ファンで、湊さんの小説を片っ端から読んでいる割に、湊さんが因島出身だと知ったのが去年なのだから、ちゃんちゃら可笑しい。
ドラマ「Nのために」のロケ地が因島だったり、因島をイメージしたと知り
私はいてもたってもいられなくなった。

 
ポルノグラフィティ、そして湊かなえさんファンとして
何が何でも因島に近々行かねばならない。

 
  
 
私の職場は、2月が一番仕事が忙しくない。

しまなみライブのパネルは2020年3月いっぱいまで土生港に飾られるらしかった。
今ならば、運転が好きになったのでレンタカーで島巡りもありだ。
自転車もありだろう。

カレンダーをめくると、2月と3月に三連休があった。
狙い目だと思った。
3月も仕事はまだ忙しくない方だった。

 
2月、もしくは3月に因島に行こう! 
まぁ、現実的には3月かな。
それまで仕事を頑張ろう!!

 
 
そんな風に思っていた、2020年2月1日。
忘れもしない、あの日。
仕事が終わり、帰る前に私は上から呼び出され

むちゃくちゃな人事異動か、三月末の離職を迫られた。
答えは三日以内に出すように求められた。

 
 
私の仕事人生が、終わった瞬間だった。

 
 
 
 
………因島に行こう。因島に行くしかない。

もう私には、何もなくなってしまった。
未来がなくなってしまった。

 
退職だろうが、仕事を続ける気だろうが
どちらにせよ3月に因島に行く予定だった。
いっそ退職が決まったからこそ
私はもう因島に行くしかないと思った。

 
辞表を出す前も、出してからも
人間の醜さを毎日毎日見てきて
私はひどく疲れた。本当に疲れていた。

 
ひたすらに瀬戸内の海が見たいと思った。
因島に行って、リセットして、それから次の人生を考えようと思った。

 
 
 
だが、2月の時点で既に、ダイヤモンド・プリンセス号ではコロナウィルスが蔓延し
海外も日本も、未だかつてない恐怖のウイルスにおののいていた。

「まぁ………10年以上働いたんだし、旅行でも行ってきなさいよ。人生これからよ。」

 
と、主任から言われた時、「コロナウィルスで転職も旅行も上手くいかないんじゃないですかね。」と私はストレートに返した。
疑心暗鬼だった。
 
人事異動の件は、私を辞めさせるように一部が仕組んだことは見え見えだった。
その一部はおおよそ予想はたっていた。
憎しみや悲しみや不安や怒りで
私はいっぱいで
その人達に睨みをきかせた。

 
サービス残業、休日出勤、パワハラ、モラハラ。
それに耐えて
利用者のため施設のために尽くした結果が

このザマか。

 
笑うしかなかった。

 
 
 
因島に行きたかった。
因島に行きたかった。

だけど、有給休暇に入った3月頃には、旅行どころではないくらいに、日本の状況は悪化していた。
マスクも消毒液も手に入らず
連日ニュースは暗いものばかりで
私は因島行きを諦めるしかなかった。

 
「時間もお金もあるのに、なんで因島に私を行かせてくれないのよ、神様………。」

 
私は泣いた。
悔しくて泣いた。
ベッドでドンドンと、拳で何度もシーツを叩いた。

 
あんな優しい島の人達に迷惑はかけられない。
今の時期に旅行に行ったらポルノファンの質を下げる。
ポルノに迷惑をかける。
そんなこと、絶対にできない。やっちゃいけない。

 
瀬戸内の海を思い浮かべては
私はジッと自宅にこもった。
私が因島のためにできることは、今は行かない、という選択だけだった。

 
 
 
 
 
 
はっさくゼリー等を購入してから3年間ぐらいだろうか。
お店からは「また来てくださいね。」というあたたかなメッセージが毎年届いた。

因島に行けない期間も、私は因島を思っていた。
因島も私を待っていてくれた。

 
 
2020年になり、因島でグッズが販売された。
いくつか購入したが
折古の浜の砂入りのキャンドルとINNOSHIMAのTシャツが特にお気に入りだ。

 
今でも転職前に因島に行きたい気持ちは変わらない。

国はGo  toキャンペーンを始めたし
ルール上は旅行に行ってもいいのだ。

 
だが、今でも毎日コロナウィルス感染者はいて
年内のイベントはほとんど全てが中止になっている。
3月から私は他県に行っていないが
そういった人は多数派だろう。

 
日本は海外に比べたら、重症化や死亡率はまだ高くない。
だが、もし感染したら、ニュースで個人情報がバラされ、村八分にされ、家族に迷惑をかける。
転職にも響くだろう。
派手に報道されていないだけで、コロナ感染者は仕事や家等を失い、人によっては自ら命を絶っている。

社会的死を思うと
Go  toキャンペーンで旅行に行く気分には
とてもじゃないがなれない。

 
時間もお金もあるのに、悔しくて仕方ない。
転職したらしばらくは余裕がなくて遊びどころではないのだろうから
また因島が遠くなってしまう。

 
 
 
因島に行きたいな。
因島に還りたい。

あのキラキラとした海を眺めながら
因島の空気に触れたい。



 





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