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人間がひねくれる経緯?

一言で言えば 疎外 抑圧 の二つだと思いますが、
もしも遺伝とかそういうものの影響の方がやはり高い、とすれば
それは元々…という事になるかもしれません。

僕は抑圧は人生の初期~中期で感じたことはありませんが、
それはハッキリ言って今が一番抑圧されてるぐらいです。
一方、疎外(感)は割と、
人間関係ではなく社会的に、比較的感じて育ったと思ってます。

どこらへんかと言えば、
身長、体格、体力、腕力にまつわるもので、
中学生ぐらいから気付くというか勘付くというか、という感じです。

体力腕力というのは運動とか練習トレーニングの分もあるので
その時に気持ちがあればまた違うでしょうが、
体格とか身長、というのは、なりそうでどうにもならない部分です。
(生活に体力や腕力で弱いからと困ったことがない。)

体格や身長で何に疎外感を感じるかと言えば衣類です。

大きい方はいくらでもあるんですが、
細いとか小さいというのは意外と制限されるか
大きい方の倍のコストが付く。

時代的に別にそんなに服を求める…という訳でも無いですが、
見に行っても合うものが無いんだからそう見に行きたいと思わない。
現在から振り返ればこの辺りから
身だしなみや常識の欠落に近付いていくコースです。
(生活パターンにも関連があるにはある。)

その次に身長、
アルバイトとかすると160㎝前後が社会の標準ではないことに気付く。

これは地域性があるので少し補足しますが、
私の地域ではそんなに背の高い人はいません。
男性標準の約175㎝ってどこから出てきた?…っていうぐらい、
165㎝前後が
学生時代から現在に至るまで周囲街中を見ても多いと思います。
・・・むしろ小型化してるんじゃ?…っていうぐらいです。
因みに自分は低い方ですが、
家族血縁親類には普通に170~180前後も幾人かいます。
だから遺伝的にすごく低い…って訳ではないです。

それで、もうかなり昔九州福岡に旅行に行った時、
駅周辺で道行く人を見ていると男女ともみんな
背が高く恰幅もいいという、そんな人ばかりが通行するので
これ絶対人種違うわ…と思ったりもしました。

それが標準で社会が構成されて、世間と意見が合う筈がないと。
だから、今にして言うなら体育会系が各業界で重宝されるのは
精神以上にその標準的な肉体の特性があるからで
やはり仲間意識を持ち易いからだろうと思います。
(だから敵にしたくないというのもあるかもしれませんが。)

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まあそんな感じでアルバイトの話に戻ると、
冷蔵庫や冷凍庫が割と上までしっかり使うようになっていて、
そうすると手が届かない、届き難いという事が起こる。
また或いは品物を最上段に並べるという作業、これが速やかに行えない。
時と場所によっては視界不良。

これは空間の前提がどの辺りを標準にしているか、という事になって、
普通はそれに文句を言ったり違和感、
不快感を持ったりもしないのかもしれませんが、持つ訳です。
そしてその内思う、
「これ、低い身長の方がむしろ高い金額じゃないと割に合わんろ?」
「そもそも背の高い人雇いや、高い人。」

これ、実は遥か昔はそういう条件で募集出来たみたいなんですが、
例えば容姿端麗とかも別に良かったそうなんですが、
男女雇用機会均等法だったかな?
そういうもので見た目とか外的なものを表立って第一に募集したり
それを理由に雇ったり出来なくなったという事情、歴史があります。

いや、こっちからしたらむしろちゃんと条件出してくれた方が良い、
でないと無駄な履歴書書く破目になるわ、履歴書もタダじゃないよ、と。
(特に写真がね。)

今はスーパーのレジ・・・あ、いや、今はセルフか?
そのちょっと前には男性レジというのも珍しくなくなったけど、
僕の学生の頃というのはまだ周囲行動範囲では珍しかった。
でも前述のように自分でこれなら…と思うものは
そういう出来たら女性、というのがある訳で、除外対象になる。

これは疎外というより不遇だけど、
しかしこういうのはその均等法及びその他と人権上で
恐らく地元でもそうという事は2010年にはほぼ無くなってると思います。

土木なんていきなりあり得ないし、
向こうも嫌だろうと、こっちが選ぶ側なら思うし、
そもそも移動手段等限られる時期にそんな同じ場所じゃないなんて
選択肢にも入らない。
大昔はその場採用みたいなものがあった?ようですが
現在はそんなことも無いので
(実際長期の工事現場でも作業員募集とか貼ってない)
様子を見て決める…ということも出来ない。
*地方の大きな工事は
 今はもう殆ど機械で危険も伴うので素人は雇わないと思う。

こんなのに限らず見てもないのに
出来るとかやるとかハッキリ言える筈もない。
(世間では出来そうになくても取り敢えず言うらしいけど。)
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つまり、
自分で適性を見て行けるかな?…と思うものは向こうが拒む、という構図。
こういうものが一つ二つなら別にそんなこともあるで済むと思いますが、
世が下向きになってきた背景もあるんでしょう、
そもそもこっちに選択肢がそれ程無い中でそれが起こるから
ひねくれて来る?・・・かどうかわかりませんが
社会全体に目を向けるという一因にはなったと思っている訳です。

多くはそれでも努力を自分に課してどうにかするんでしょうが、
以前少し書いたように余りそういう下地が無い。
プラス基礎の発想がどうも違う。
(歩行者信号待ちに近年時給が発生していいかも…と思うぐらい。)


そうこうしている間に時がドンドンと流れて本当に
スキルとか何も無いわ…状態になってるんですけど、
それでもやはり使わないものは、
それをしかも独力に近くでやろうとは当然に今でも思わない。

資格社会が大学近辺の頃に強まったんですけど、
…まあこの話はやめておいた方が良いかもしれませんが、
中には嬉々として励むものもあった
…というよりは恐らく多数だと思いますが、
それは企業が自分の所で社員にお金を使いたくないという事なので
就職活動等を批判的に見た所があります。
(全部が全部じゃないんですが大学当時に考えればそう至る。)
*即戦力という言葉が5年ほど流行った。その後リーマンショックと震災。
 現代も同じでしょうが少なくとも言葉としては余り使わなくなった。

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こういう話、前途のある人には余り…なのでこの辺にしますが、
成功談と大失敗談を省いて言えば、
個々の資金力が雇用獲得に至るまでに重要になった、という事で
上の世代とも下の世代とも話、意見が合わない構図を見た訳です。

そんなだから人を素朴、純真に育てるには、

疎外 抑圧

これを多感というか現代でどうだろう、
高学年ぐらいからかもしれませんが、14~16ぐらいの時期には
特に感じさせない、極力その二つから守ることが重要だと思います。
(耐性と成長の個人差はハッキリ言って分からない。)

それと、
現代人を育てるには現代家屋…という可能性も高いかもしれません。

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最近長文続きで書いてる方も実はちょっと気にしてるんですが、
だからと言っていきなり一言、

金魚鉢が小さいと金魚が小さく育ち、水槽が大きいと大きく育つ

なんて書かれても
それはそれで困ると思うので大体こんな感じになります。

これ、平均的には何故日本人が小柄か…も
その理論かも知れないという話で、
世界地図や天気予報で日本が小さいと思い込むことで
成長を抑制しているという、そういう意見かな?
何処か何かで見たか聞いたかした話です。

引きこもりとかが全体的に低身長だったり小柄なら
その理論も多少現実味を帯びてくるかもしれません。

日本のヒグマと大陸のヒグマの大きさが違う、
に関連した話だったような気もしてきましたが忘れました。
最後の方の話は余り真に受けないようにお願いします。

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もし何かあれば報奨金として頂戴します。