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ニュージーランド留学を経て、地元乗鞍でゲストハウスを運営する話

話を聞いた拠点オーナー

宮下祐介さん -B&B Tengallonhat & YumYumTree(長野県松本市乗鞍)
B&B Tengallonhat & YumYumTreeオーナーの長男。
高校で海外留学、その後帰国し都内で様々な接客業を経験。
2015年、家業だったペンションの業態を変え、更にバウムクーヘン専門店をオープンするという父の誘いを受けて乗鞍へUターン。
普段はバウムクーヘンを作りながら、乗鞍の地域活性化や人口減少に歯止めをかけるべく活動中。趣味は車と旅行と音楽。
好奇心旺盛な性格で博学、幅広い知識で話題に困らないトーク力が自慢。

海外留学ののち、様々な職種を経験して家業だったゲストハウスに行き着いた

ー乗鞍でゲストハウスを運営されるまでの経緯を教えてください。

私は中学まで長野県松本市乗鞍で学校に通っており、高校ではニュージーランドの学校に留学していました。

当時、周囲に高校で留学する人はほとんどいませんでしたが、一学年上の先輩がスイスに留学をしていました。それもあり、留学も中学校卒業後の進路として選択肢になると考えていて、英語が公用語で比較的安全な国としてニュージーランドへの留学を考えました。

そもそも、近くに高校がなかったんですよね。
乗鞍では、中学校を卒業すると家から高校へ通う人がほとんどいないので、「別に海外に行っても一緒だな」という考えで留学を決意しました。

当時のニュージーランドは物価が安く、生活費込みでもそんなに日本で暮らすのと大差ないような状況だったことも、決断する要素としては重要でした。

ーニュージーランドの高校に進学して、日本とのギャップは感じましたか?

自分で移動して先生の教室に学びに行くスタイルなんですよね。
高校も2年生で単位を取り終えていれば卒業できて、大学に行く子のみ3年生まで勉強するという仕組みだったので、そもそも日本の高校と制度が異なりました。
全て英語での授業なので最初は戸惑いましたが、馴染めないことはそこまでありませんでした。

ただ、日本社会だと、高校で3年間勉強して卒業しないと高校卒業扱いにならないのもあり、下級生と同じクラスで勉強したり、学校のボランティア活動へ参加したり、現地の日本語クラスで先生のお手伝いをしたりしていました。

ー馴染んで自分から動いていく力が凄いですね・・・!高校卒業後は現地で就職されたんですか?

高校を卒業した後は、車が好きだったのもあり、日本の中古車を輸入するニュージーランド現地の会社で働いていました。
車の説明書を英訳したり、車を販売できる状態にするために洗車したり、内装を綺麗にして現地の車のオークションサイトに持って行って売るような仕事をしていました。

現地で就職したのは、現地での友人関係を断つのが嫌だったからです。そこで2年程働き、日本に戻ってきたという感じです。

ーそこから日本に帰ってきたのは、どのようなきっかけだったのでしょうか?

祖父が手術を受けるという話を日本の家族から聞いたんですよね。
手術の成功確率は65%ほどと言われました。何かあったときに、祖父に会えないまま間に合わなかった…となると自分の中で悔やむと思ったので、ニュージーランドから日本に帰ってきたんです。

後は、これからの人生を考えるにあたって、ずっとニュージーランドにいるのもどうなんだろうなという迷いもありました。なので、一度日本に戻ることを決めました。

ー日本に帰ってきて、ゲストハウスを運営されるまでの経緯を教えてください。

そうやってニュージーランドから帰ってきたのは、21歳の時でした。
日本に帰国し、 英語のスキルを使いながら働きたいと思い、東京の六本木ヒルズにある会員制高級スパ(フィットネスクラブ)のフロントスタッフに派遣社員として2年程働いていました。
お客様の中には芸能人、外交官、外資系の社長など、テレビや雑誌で見るような方々も多く刺激的な職場でした。とある出来事をきっかけに六本木周辺へのメディアの出入りが激しくなり、利用者が減った時期がありました。そのタイミングで、派遣切りのような形で別の色に進むことになりました。

その次の仕事先は、ドイツの有名車メーカーの中古車販売店で、裏方スタッフとしておよそ10ヶ月ほど勤務しました。

車の販売会社の裏側を見てみたいという気持ちもあったので、ちょうど良かったと思います。高級車の鍵を30個も持ち歩くような仕事で(笑)、毎日違う車を運転したり、様々なお客様との出会いがあって、ここでもすごく勉強になりました。
基本的には、「何事も自分の経験値になるだろう」と考えて、取り組むようにしています。

しかし、長く続けたいと思えるような仕事内容ではなかったので、一旦地元乗鞍へ戻ることにしました。

乗鞍へ戻った当時、実家はペンション経営だけでは家族三人で生活するのに厳しい状況でした。私は、乗鞍では稼ぎ口が無いと悟り、松本市街地へ通いながらできる接客業を2年程やっていました。

そうこうしているうちに25歳になり、以前から興味のあったタクシーの運転手を経験してみたいと思い、再び東京に戻って都内のタクシー会社へ就職し、3年半程乗務しました。
2種免許を取得したのは25歳の時で、当時の都内最年少タクシー運転手の一人だったようです。(笑)それもあってか、お客様からも可愛がってもらえて、すごく充実した日々でした。

1年ほど下積みをしたのちに、VIPをタクシーで空港に送り届けるという業務も任せてもらえるようになりました。
6時頃に箱根の旅館にVIPを迎えに行き、9時の飛行機に間に合うように空港に届けるというハードルの高い依頼も受けていましたね。(笑)
その時の時間や状況に応じて、通る道を変えながら最速の道を行くので、ルートが全てうまくハマった時は最高にやりがいを感じる瞬間の一つでした。

そこで楽しく仕事をしていたのですが、家業のペンションがオープンから30周年になるというタイミングで、父から「ちょっと新しいことをやりたい」と私に連絡がきました。
それがなんと、「乗鞍でバウムクーヘン屋をやらないか?」といった連絡でした。そろそろ改めて地元に戻るきっかけが欲しかったので、戻ることにきめ、そこからはゲストハウス運営にも関わるようになりました。
ペンションだった形態を徐々に変えていく形で、今の運営の形にたどり着きました。(この経緯に関しては、こちらの記事もぜひ読んでみてください!)

みんなが乗鞍に戻ってきたいと思える地域を作りたい

ーどのような想いで拠点を運営しているのでしょうか?

circleのように、複数の拠点を持ちながら仕事ができるような人たちからすれば、乗鞍はすごく天国のような場所じゃないかなと思っております。
一度来ていただいた方が、「今度は両親を連れて来よう」とか「子供たちと一緒に遊びに来よう」というように、人の輪が広がっていったらいいな…という気持ちで日々運営しています。

バウムクーヘン店も、2015年の10月にオープンしたのでもうすぐ10周年になります。
私の中では、両親と地元への恩返しと思って取り組んでいますが、10年を迎えるにあたって、2店舗目など色々と仕掛けて行きたいという思いもあります。

ー最終的には乗鞍という地域をもっと良くしていきたい、という想いが強いんですね。

そうですね。乗鞍をいつでも帰ってこられる場所にしたいですね。
それは私だけではなく、私の同級生だったり、今中学校に通っているような後輩たちにも、外へ出て自由に経験した後に「やっぱり乗鞍に帰りたいな」と思えるような場所にしたいと思います。

そのためには、地域が変わらなきゃいけないと思います。生活しやすい場所にしたり、他の所からくる人たちを受け入れやすい場所に変えていきたいという思いはずっと持っています。
乗鞍の地域おこし活動の若者コミュニティの代表も務めているので、住民自治や教育などにも関わっていきたいです。

ー地域の教育に関わりたいと思うきっかけは、やはりご自身の留学の経験が大きかったのでしょうか?

そうですね。私自身が勉強につまづき、学校が大嫌いだったので、そこを変えて行きたいという思いがあります。
日本の詰め込み型の勉強ではなく、一人一人のチャレンジ精神を育てられるような教育をつくっていきたいです。

海外に行くと、「どうしてこの科目を学びたいの?」と聞かれるんですよね。ニュージーランドでは、中学校の時から授業が選択制なんですよ。
自分で選択した上で、学習のタイムテーブルも自分で作れるような仕組みなんです。
自分で選んだ教科や授業だからこそ、取り組むやる気がでるじゃないですか。押し付けられたものよりも、自分で選んだという感覚があるだけで、全然モチベーションも違ってくると思います。

授業も、人気科目や時間割の都合で、選択する際に抽選になったりするので、選択した責任みたいなものを感じられます。他の生徒が座れなかった椅子に、今自分が座って授業を受けているんだ、みたいな。だから、自然と授業に積極的に取り組むことができるんですよね。
私はニュージーランドでのこの学校のスタイルが、自分にとても合っていたように感じていまして、日本でもこの教育スタイルを確立できないかな?って思いましたね。

ー乗鞍ではどのように教育に携わっているんでしょうか?

「子供たちの自由な選択肢ってなんだろう?」ということを考えながら活動しています。
長野県には学校登山の文化があるんですけど、年々実施する学校が減っています。コロナをきっかけにガクンと減ってしまいました。以前は県内の9割程の学校で学校登山を実施していましたが、コロナ後は3割くらいまで下がっています。

私自身、登山を通して、仲間意識や一緒に何かを達成する経験、苦しさを乗り越えた先にいい景色があるということをすごく学べていたので、今の子供たちにもそういった経験をしてほしいなと思っています。
そういった幼いころの学びの経験が、将来また長野に戻りたいと考える人を増やすことにもつながっていくのではないかと考えているので、どのように学校登山や長野ならではの学びを提供できるか、ということを考えています。

また、乗鞍の学校では「デュアルスクール」を取り入れているので、半年間や1シーズンだけでもぜひ子供たちには通ってみてほしいと思います。
最終的な自分の目標として、山岳特化の高校を作りたいという夢を持っています。山岳救助隊や登山ガイドなどを養成するような場所にして、国内外の山で活躍するような人材や、雪山エキスパートとして南極観測隊のメンバー等が誕生したら面白いなぁ、と考えています!

ー最後に、今後やっていきたいことを改めて教えてください!

私自身、のびのびと育ってきたことで、ここまで来れて、こういう人生を送れていると思っています。そういった自分の特性を活かして、これからもどんどん新しいことを取り入れ、地域おこしに関わっていきたいと思っています。

近年言われている、農家や漁師の人手不足を解消するためのAI農業を取り入れるために、AI農業が進んでいるオランダに勉強に行ってみたいとも思っています。
自分がやりたいことというよりは、課題を抱えている分野をどんどん変革していくために、海外の知識や新しい情報を取り入れて動いていくことに携わっていきたいと考えています。

そのような取り組みが、結果として、若い人たちが地域で暮らしていくこと、一緒にもっと盛り上げていけるような活動に繋がったら嬉しいと思います!


この記事を最後まで読んでいただいた読者の皆さん、いつもありがとうございます!

長野県松本市乗鞍「B&B Tengallonhat & YumYumTree」拠点詳細はこちら!オーナー宮下さんにもぜひ会いに行ってみてください✨