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蜃気楼の牛

 蜃気楼の牛、を読んだ。文藝界の9月号に載っている、川上弘美さんの短編小説だ。
 こういう話が、すごく好きだ。紙粘土のような、やさしい白のなか、ずっと続くようで、けれど汽車に乗っているような、生々しいのに遠さのあるような、手紙という手段がいいのか、子供の存在がいいのか、それらの配置がとてもいいのか、空間が澄んでいて、ひどく好きだ。わたしが書けばだらだら話してしまうところを、厚みのある言葉をひとつ置かれるかんじ。そのひとつひとつで風を留めていくかんじ。すきだ。

 本屋では子供が泣いている。どうして本屋で泣くのだろう。おもえば、わたしはとてもおとなしい子供だった。本屋で泣いたことはおろか、お店で泣いた覚えはない。公園でこけたり、そういう直接的な泣き方ばかりしていた。そうやって振り返ってばかりいるのはきっとよくない。よくないことだ。

 八月の夜、道がずっとたわんで続いていくみたいに、ひとりぼっちな気がする。むしろ脱皮するみたいに、今までのからだからビニール袋が剥がれていくみたいに、清々しくひとりぼっちになりたい。なりたいのにそこまで強くなれない。影がすーっとのびていく。それから、月に気づく。おおきくてまるい。クレーターまでもよく見えるほど、おおきい。その道の途上で、わたしがひとり立ち尽くしている。わたしを尽くしている。夏の空が一気にぬるくなる。それから、私のそばに川ができる。流れているのがわかる。回覧板の乾いた板のような風が水面を揺らす。黒さと白さがある。夜の、と、月の、と。いや、きっと街灯で、わたしは戻ってきた。そうしても、ひとりであることを、わたしはよく受け止める。


23.0816

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