荷花

尻尾をなくした生き物だから

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春の住処

 たとえばわたしが鳥だったとしてあの顔ができるだろうか。愛され方しかわかっていないあの鳥の、くるりと一周まわった水鏡のような瞳。水浴びをする白文鳥をじっと見つめる。春の午後。  わたしが100%わたしであった時代を思い返す。それはフライ返しみたいにへにゃんとしていて、輪郭がやわらかくひしゃげている。わからない、とは言えないが、スフレにフォークを押し付けるみたいに少し痛む。結局全て忘れてしまうから、なんて言いたくはなくて、だけど夕暮れは止まらない。  その頃、わたしは自我と

    • 桜にふれたゆびで、

      一円玉落としで、揺れながらしずんでゆく銀の、その姿を、ピンクグレープフルーツジュースを傾けるあなたのなかに見つけたのです それはひだまりを大切に溶かすみたいにやわらかく甘い味ではなくて、切れかかったビデオみたいな、うすやみを纏った輝きだったのです ゆれながら沈んでゆく今日の最後のひと息で火が消えてしまって、それからずっと走るのです 青い火がゆれる下で、私たちは生きています 近づくと微かに花のにおいがして、春だとわかります 桜にふれたゆびで、さわらないでください ちいさ

      •  どうしても聴きたくなって来た。チューニングもなっていない古いエレキギターをきゅるきゅる言わせながら、ときどき躓きながら、鼻歌レベルのロックを口ずさむ。  流れる文字列は愛や生死をぎゅっと縮めて触りやすくしたようなそれで、それなのにどこまでも鋭く刺さる。人生の味がする。葬式のごはん、遅れてくる記憶、光の中の空白。匂いのない風のように、詩のない花のように、自分自身を巻き上げてくる。ボブの髪先が揺れて、そんな単純な釣られ方でいいのか、自分ってそんな女なのか、なんてにゃんたこの嫌わ

        • 白白パンダ、白黒パンダ

          せとかを剥く。 柑橘の匂いが指にからまりつく。春の朝のひかりは気温は低いのにとても柔らかく差し込んでくる。それはもう既にまどろみに近い。半分にわって、それから皮を剥がす。一気に果実から果物へと変貌を遂げたようなそれと、あたりにきらきらひかるジューシーな香り。ひとつぶ、口に運ぶと思った以上に甘い、あまい味が広がって、おいしい、に結びつく感じ。 一人でこれらをやっている朝の、お供として音楽をかける。  人と付き合う、ということに向いていないのではないか。薄々気づいていたものの、

        春の住処

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        • 日記
          39本
        • 4本
        • 短編小説
          2本

        記事

          nirvāṇa

          夕陽がさして、わたしの睫毛がきらきらちらちらうつる、それで、天国にだって今日はあるような、そんな繰り返しで涙の味がしょっぱくて、しょっぱいままでにがくてあつくて、言い尽くせないほど君の部屋で戻れない焔がちらちらきらきらしていて、一日が永くのびて、一分、ふたりにふたをして、海が溶ける、その先を歩く、歩くかたちで瞳がずっとずっと転がっていく、思い出をさわって砂みたい、たちまちほどけて郵便局が灰色に近付く、だれでもだれかになれて、やりなれないまま生きて、それって全身になってるんだっ

          nirvāṇa

          そうかもしれない、でも違うかもしれない

           夜のあめは、目に見えないところが好きだった。  傘を叩くパラパラとした音や、街灯のひかりのなかでだけ舞い散る姿、そういった間接的な存在の仕方がどこか美しいと感じていた。  好きなものを好きだと話して、わかりあえる存在が欲しい。好きなものってたくさんあって、でもこの前「趣味は読書だけなの?」って不意に聞かれたときに、「そうかもしれないです」なんてこたえてしまった。  そうかもしれない、でもちがうかもしれない。  たとえば街並みにある橋をどことなく見るのが好きだし、音楽をき

          そうかもしれない、でも違うかもしれない

          茎を、切る

           貝殻にあなたがびっしりと書いた文字の、そのかたちをよく覚えている。句読点の苦手なハルらしく、まばたきほどの隙間もなく敷き詰められた言の葉のその痛みが、ただ貝殻らしくひかりながらそこにあった。私の手にいっとき乗せられて、それから海へ帰ったんだ。それからハルも帰ったんだろう。今夜はどうやってかえろうか。わたしの白い椅子を延々ひいてくれるようなやさしい少年のくるぶしを夢想して、それからは、近くの薔薇を見ていた。白い薔薇はふちのほうがもう薄ずんで、そのなくなりかけの細胞にわたしの目

          茎を、切る

          チワワ・シンドローム

          「琴美だけはいつまでも、弱くてかわいいままでいてね。」  弱さを味方につけたものこそが強者だ。  表紙からは想像がつかないほどの重さによろめいた。  大切な人が傷ついていたら、救ってあげたくなる。そのやさしい感情を正しさをもって利用しようとしたりされたり。  その中心ではなぜだか、侘しさが募る。    主人公は気が弱い女性で、親友に配信者のミアがいる。彼女は教祖のような求心力で、全てを肯定してみんなを綿で包むように支配する。それはそうすることでみんなを守っているから。主人

          チワワ・シンドローム

          重なる恋はよく燃える

          「こういう優しいの、読んでいてよ。」 彼と本屋に寄った時、振り返った彼の手には猫と料理の類が描かれた短編集が握られていた。 わたしは、手に取ろうとしていた一冊をそっと避けて、それを手に取った。それはそれとしていいものだ。わたしは意外とほっこりするペットのお話や美味しそうな料理の描写がある小説だって好きだ。  だけど、琴線に触れるものではない。言うなれば、箸休めのような、そんな役割としてわたしは好きだ。涙が溢れてしまうような、ぐっと心が重くなるような、そういう本に出会えると、

          重なる恋はよく燃える

          吹き込まれる、幻

           裾野からふんわりピンク色に溶け出していく空の、茜の極まるところの、その先から生まれる風を吸い込んだ。足の先はとっくに靴の形にまるくかためられていて、タイツと靴のさわりが悪い。人が通り過ぎる。色硝子を透かして見たような音色がイヤホンから流れ込む。それはゆったりとした静寂で、そのなかに限りなく薄い破裂が混ざっている。  共犯が、愛より上だと思っていたころ、小さなソーサーカップをいくつも集めるような心地でそれぞれの秘密を拾ってきては眺めていた。それぞれに結び付けられた彼や彼女は

          吹き込まれる、幻

          息のつづく限りのおやすみなさいを

           感じる速度ってなんだろう。  水餃子の、つやんとひかるひだを見つめながらそう、思った。感じる速度が高まって、涙があふれるときの、あの解像度はなんなのだろう。まるっこい水餃子はスープの海で寝そべっている。つぶらな瞳が輪っかになってわたしを惑う。窓をきっかりしまっていて、午後の音が満ちている。近くにおいた冷水から雫が薄くのびている。わたしの頬に、わたしの手から、わたしの作った味が入っていく。おそるおそる、されど確かな足取りで、その感触のための嚥下の、うっとりするような心地と、そ

          息のつづく限りのおやすみなさいを

          牛のしっぽには星がある

           年が明けました。  一年を、暮れるとか明けるとかで表現するたびに、ひとひもひとよも変わらないのかもなと思ったりします。  時間の感覚ってほんとうにさまざまで、自分のなかでもさまざまで、それなのに一番はっきりしているものみたく扱われていて、その落差にたまにうっとりしてしまう。それは生きているに近いから。  まばたきの回数で空とべたならわたし今星空にいる、とか みたいな短歌を詠んだことがあるけれど、やっぱり私たちはそれぞれの星空の中にいて、眠っても起きても明けても暮れても

          牛のしっぽには星がある

          わたしもひかる輪っかがほしい

           街灯すら眩しくて手を翳したあとに、果たして生き物としてどうなのだろうと思う。月はまだやや低く、か細い線がつるんとひかっている。光を弾いた夜の水面は油絵みたいで、その横をひかる犬を連れたひかる人間が漂ってくる。  わたしの左肩に重みをのせるトートバッグは彼からもらったもので、毎日使っているからかあまり彼の気配は感じない。わたしと君として出会ったはずがいつからか私たちになってしまうように、曖昧にわたしに染めてしまった。中には詰め放題のあとのように野菜がわんさかっと入っていてその

          わたしもひかる輪っかがほしい

          屋台はほぼ匂いだし

           小説というものは自分とはかけ離れたものと思っていた。たとえばそれは歪んだ並行世界のようなもので、決して交わらない。ふわふわと浮かんだり鋭く横切ったりするものであって、息を吸うとふくまれている冬の匂いのようなものでは決してない。そう思っていた。  それがさっき揺らいだ。いつものように帰り道のルーティンとして駅前の本屋に寄り、(最近リフォームしたばかりで薄暗くなってしまった)肉を剥いだり溶かしたり脱いだりするような描写を流し見しているうちになんだか遠かったはずの小説が日記ほど

          屋台はほぼ匂いだし

          冬の始まりには魚を焼く

           魚の匂いがする。  一人暮らしのちいさな部屋の中で焼き魚をすると、すべてのものが魚の匂いに染まる。  先日行った彼氏の家を思い出す。ナチュラルに整頓されていて居心地の良さそうな、生真面目な性格があらわれているようなリビングと寝室。観葉植物とテレビをかけるボード。全体的にベージュトーンで統一された部屋。  そして今のわたしの魚部屋。  隅には白い鳥がいて、グレーのラグに白い家具。静かで、わたしひとりぶんの空間。  魚を箸でほぐすとき、綺麗に食べられるか心配しなくていいのが

          冬の始まりには魚を焼く

          美人な母親

           最近、親が筋トレにハマっている。  母親と会うたびに若返っているのがわかる。内側からハリのある肌、ほんのり血色のよい頬、しなやかな手足。母はいつだって、今がいちばん美しい。  いや、そうではなかった。わたしが小学生の頃、シングルマザーの母は国家資格を取るために日々勉強に追われていた。わたしはあまりかまってもらえないことを寂しく思いながら、周りの荷花ちゃんのためにお母さんがんばってるね、応援してあげてね、の声に応えていた。もちろん本心からとても尊敬もしていた。  もともと

          美人な母親