そうかもしれない、でも違うかもしれない
夜のあめは、目に見えないところが好きだった。
傘を叩くパラパラとした音や、街灯のひかりのなかでだけ舞い散る姿、そういった間接的な存在の仕方がどこか美しいと感じていた。
好きなものを好きだと話して、わかりあえる存在が欲しい。好きなものってたくさんあって、でもこの前「趣味は読書だけなの?」って不意に聞かれたときに、「そうかもしれないです」なんてこたえてしまった。
そうかもしれない、でもちがうかもしれない。
たとえば街並みにある橋をどことなく見るのが好きだし、音楽をきいて歌詞よりもメロディーにふんわり浮かぶのが好きだし、夜明け前に目が覚めた時のカーテンを一度引いてみる感覚も好きだし、漫才を見るのも写真を見るのも映画を観るのも誰かのために料理を作るのも、なんだって好きなんだけれど、そういうのって言葉の端切れに乗せきれない。
だから好きなのかもしれないけれど。
もうすぐ桜の季節だ。桜が咲いたとき、最も一年の経過を感じる。青空と穏やかな陽気、それらを運ぶ薄紅色の群れ。今年もお花見に行きたいね、なんて話し合うときの心がもう晴れている感じ。モルカルのエイプリルが頭の中で流れる。それが私に似合うといった彼のことがよぎる。思い出ばかりの季節が優しくなったり切なくなったりする。点滅する季節の中でそこだけ強くひかるみたいに桜が舞う。その光景を今年も見たいと思う。他ならぬ、あなたのそばで。
24.0305
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