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牛のしっぽには星がある

 年が明けました。
 一年を、暮れるとか明けるとかで表現するたびに、ひとひもひとよも変わらないのかもなと思ったりします。

 時間の感覚ってほんとうにさまざまで、自分のなかでもさまざまで、それなのに一番はっきりしているものみたく扱われていて、その落差にたまにうっとりしてしまう。それは生きているに近いから。


 まばたきの回数で空とべたならわたし今星空にいる、とか

みたいな短歌を詠んだことがあるけれど、やっぱり私たちはそれぞれの星空の中にいて、眠っても起きても明けても暮れてもその中にいて、不自由な自由をあたためているんだと思う。
 そういうことを、年明けに思った。

「牛のしっぽには星がある」

 そう思っていた5才のわたしも、スイスの言語は4種類あると知っている今のわたしも、きっと同じ場所にいるのだろう。そういう感覚を掴みきれずに、たまに滑り落ちてしまう時があるけれど、寝転がってみる星空が一番きれいなのかもしれない、なんてうまく言えない人生ですね。

 初詣に向かった神社で螺貝を吹いていたひとの、熱心な眉毛を思い返す。ぶおおっと目覚めのような音が響き渡って、わたしはちょっと背を押されて進む。指先はじんと冷たくて、吐く息は白くなりつつある。前髪がぱっとひらいて、2024年が飛び込んでくる。
 なんにせよ、年は明けて、なんにせよ、私たちは進む。浮くのと沈むのを従えて、進むのだ。




2024.0105

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