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ベルリンで天使は翼を広げた 1

はじめてベルリンを訪れたときの話

ちょっとベルリンの話を書いてみようと思う。
と、いっても昔の話だ。

どれくらい昔かというと、最近の若者にとっては大昔だが、僕自身にとってはわりと最近のことのように思えて、でも実際には10年前のことなのか、それとも20年前のことなのか、あるいは昨日のことなのか、あまりはっきりとしない、あやふやな<記憶>とやらの、時間感覚が停止した世界での出来事の話だ。

そうだ、あの頃にはもう、有名な<壁>が取り壊されていた。街中では再開発のためと称して、あちこちで土木工事をやっている真っ最中だった。

古い建物は、まさに解体されつつある一方、まだ新しい建物はでき上ってはいなかった。

東と西、来たる資本主義と滅びゆく社会主義、新しい価値観と古い体制、そして未来への希望に満ちあふれた若者たちと、過去の古びた記憶の残像を引きずって生きている老人たち。

ありとあらゆる、対立する二つの極端が、突如、大きな鍋にぶち込まれ、ぐつぐつと音を立てて煮込まれているような、異様な熱気にあふれた街。

それが僕が見た<ベルリン>という街の最初の印象だった。

その最初のベルリンへの訪問は、ローテンブルクという、南ドイツの小さな有名観光地から、半日くらいかけて車で直接乗り入れるという訪問となった。

ドイツの地理にほんの少しでも明るい人なら、あるいは一度でも観光でドイツを訪れたことのある人なら、普通はそんなルートで周らないだろうと、すぐに分かる場所からの訪問だった。

もちろんそうなったのには、ちょっとした訳があった。

……ということで、まずはそのいきさつから話を始めようと思う。

なんとなく勢いにまかせて小説っぽく書き始めてしまいましたが、実話です。登場人物も実名で、ストーリーも実際にあったこと。もっとも、ルポルタージュやドキュメンタリーという訳でもなく、強いて言えば記憶を元にしたエッセイですね。あと、途中で使われている写真は、イメージカットで本文と直接関係無いことが多いですが、筆者(写真家でもあります)が自分で撮ったものになります。では続きをどうぞ。

※筆者注


きっかけは古都での出会い

ローテンブルクの城壁内側から、タウバーリビエラ越しに対側の町並みを望む


僕がローテンブルクにいたのは、とあるガイドブックの取材が目的だった。

当時は個人向けの海外旅行ガイドのシリーズものといえば、今でも書店に並ぶあの、なんとかの歩き方とかいうシリーズが一種あるだけだった。

80年代半ば、いわゆるプラザ合意で円高ドル安が急激にすすむと、その後、バブルが絶頂を迎え、日本は金満大国と言われるようになった。

やがて、多少のバブル崩壊はあったかもしれないが、この頃には普通の庶民でも、個人で海外旅行に出かけるのは珍しいことではなくなっていた。

そんな時代背景のもと、とある中堅出版社も満を持して個人旅行者向けの新シリーズを出すことになった。

……ということで、つまりは僕は、そのドイツ担当として取材に来ていたのである。

もちろん最初は、おとなしく空路をフランクトから入国して、いわゆるロマンチック街道を南下するという、よくある観光ルートに沿っての取材だった。僕はそのルートを、ロマンチックバスという観光バスに乗って、ヴュルツブルクからローテンブルクに到着したところだった。

予定というほどの強固な予定ではなかったが、一応そのまま街道を南下してミュンヘン辺りを訪れる予定であった。

だがここで、いわゆる「運命のいたずら」という事案が発生してしまうのである。

それはローテンブルクの町並みをフィルム(この当時はまだデジタルではない)に収めようとしていたときのことだ。

ご存じの通り、この町は、石造りの城壁に囲まれた、中世の情景をそのまま今に残したような古い町並みが魅力の古都である。

ガイドブックの取材ではあったが、実は僕の本業は写真家でもある。ちょっとしたテーマパークのような美しい町並みを前にシャッターを切らないでいることは、魚が水の中で泳がないでいるのと同じくらい難しかった。

ということで、その日は天気もよく、時間もあったので、まずは町並の撮影から取材を始めることにしたのだ。

ローテンブルクの城壁内にある普通の民家

僕がカメラを構えたのは、確かレーダー門のアーチをくぐってちょっと行ったあたりだったと思う。カメラを構えようとすると、同じ様なアングルで写真を撮ろうとする先客がいた。黒い服を着たちょっと年配の、明らかにドイツ人のカメラマンと、見るからにその助手という風情で三脚を抱えた若いアジア人女性とのカップルだった。

カメラマンは僕に気がつかない様子だったが、その助手の女性は振り向くと僕と目が合った。

ちょっと目鼻立がハッキリしたエキゾチックな顔立ちで、ハーフかな?と思って、とっさに英語で軽く挨拶した。観光客っぽくなかったし、日本人かどうか自信がもてなかったのだ。

挨拶した後、恐る恐る日本語で、もしかして日本人? と聞くと「何人だと思いました?」と、彼女は嬉しそうに笑いながら雑談に応じてくれた。

普通だったらその後、じゃあまたどこかで、と挨拶してお別れし、それでおしまいのはずだった。

ところがなぜか、このときはそうはならなかった。

僕が自分の職業とドイツに来た目的を告げると、それを聞いたその女性は目を輝かせて、こんなことを言い出したのだ。

「ギャードもカメラマンだし、ローテンブルクには撮影目的で来たの。この近くにあんまり有名じゃないけど、良い撮影場所があるみたいで、これからそこに行くつもりだけど、案内しましょうか?」

カメラマンは思った通りドイツ人でギャードといい、彼女は矢部志保と名乗った。矢部さんはドイツに留学中の学生さんとかで、別にギャードのアシスタントという訳ではなく、単に彼女として付き合ってるだけ、ということだった。

矢部さんは明らかに20代前半で若かったが、ギャードの方は確か40代半ば位だったと思う。年のわりにはスリムな体形で、背もまあまあ高くて、白髪が混じりはじめてはいたが、それがまた渋くてダンディに映ったのだろう、矢部さんは終始ギャードとラブラブな雰囲気だった。

その二人が穴場的な撮影スポットということで紹介してくれたところは、旧鍛冶屋として知られた切妻屋根の木組みの家で、そこは僕らが出会った場所からほんの五分程度の場所だった。

二人とは、このときが初対面で、もちろんギャードが普段どんな写真を撮っているかも知らなかったが、カメラを構えて撮りはじめると、僕には彼の撮影の腕前がどの程度かすぐに分かった。

実はこのとき、彼がカメラを構えている先を偶然、誰かが通り過ぎようとしたのだ。ただの観光客だったようだが、ギャードのカメラに気がつくと、その男は自分が撮影の邪魔になったと思ったのだろう、何かひとこと謝ったようで、ギャードもドイツ語で何やらその男に応じている。

僕が二人のやり取りが分からないでいると、隣で矢部さんが通訳してくれた。

「建物と一緒に写った? って。でもギャードは、写っても気にしないよって。人が入っていた方が、かえって自然な観光地の写真に見えるからいいよ、だって」

なんということもない何気ないやり取りだったが、これがギャードの実力をある程度推しはかる材料になった。

ちょっと脱線ぎみだが、少しだけ解説しておこう。写真家としてもっとも大事な資質というか、まあ、写真家に限らないかもしれないが、多少なりともクリエイティブな仕事をやる上で最上位級に大事な要素に<固定観念>にとらわれないとか、現場に<柔軟に対応できる>というのがある。

特に<固定観念>にとらわれないことは重要で、表現のための技術的なことは、割と後からどうにでもなるものだが、この<観念>を外して柔軟に対応するということは簡単には学ベない。

この当時はまだデジタルではなかったから、その場で実際の映像を確認したわけではなかったが、このことだけでギャードの写真の腕前がなかなかのものであることは、僕にはすぐにわかった。

この日の記憶はこれぐらいで、この後はさすがにお互い別々の行動をとったのだろう、とくに一緒にいたという記憶はない。

だが、この二人との記憶が、ここで途切れてしまったというわけではなかった。たしかに、年配のドイツ人カメラマンと若い日本人女性留学生の組み合せは珍しかったが、僕が今でもわりと鮮明にこのときのことをことを覚えているのは、この二人との付き合いが、この出会いをきっかけに、その後数年にわたって続いていくことになるからなのだ。

ブルク公園でベンチに座るカップル


唐突な提案、そしてベルリンへ

ということで、いよいよこの翌日に起こった事案について書いていこう。

次の日、僕は取材の合間に城壁内にある小さなスーパーに買いものに出かけた。たしか、調理不要でそのまま生で食べられそうなハム類を探していたのだ。

実をいうと、僕はドイツ語ができない。取材自体は英語で十分なので問題なかったのだが、地元民向けのスーパーで買い物するには、さすがに表記の問題でちょっと不便だ。加えて白状しておくと、この取材が僕にとっては初めてのドイツで、過去の知識や経験というのもまったく無かった。

結局、いろいろ悩んで、どう発音するのか全くわからないアルファベットの羅列の中から、すぐに食べられそうなソーセージとチーズ、それと小さな丸パンを外見だけで選んで買うことにしたのだが、ちょうどそのスーパーに昨日のあの二人組もやってきた。

「このソーセージって調理なしでそのまま食べれらるかな?」
「大丈夫と思うけど。お店の人に確認するといいよ」

こんなやりとりをして店を出ると、矢部さんは僕に次の取材の予定を聞いてきた。昨日は取材で来てるとは説明したが、細かい予定までは説明していなかった。というより、僕自身、あまり細かくスケジュールを決めていたわけではなく、今日の宿の予約もまだ、というような状態だったのだ。

「うーん、特にまだはっきりとは決めてないけど……」
僕がそう答えると、矢部さんは意外な提案をしてきた。

「私たちベルリンに帰るつもりだけど、良かったら一緒にベルリンに来ませんか?」
「えっ?」
「ベルリンも取材しに行くんですよね? ギャードも良いって言ってるし」
たしかに昨日、二人はベルリンに住んでいると言っていた。僕もベルリンは自分で取材する担当地域に決めていた。しかし、いきなりそんなこと言われましても……。

「車で来てるんだっけ?  乗せてってくれるの?」
どれくらい本気なのか、恐る恐る確認してみた。

「うん、良かったら。ベルリンでは私たちの家に泊まっても良いし。アパートだけどね」
「ええっ! 本当に? ……じゃあ、よろしくお願いします」

今、こうやって思い返しても、矢部さんの提案の唐突さにもほどがあるが、それにすぐにのっかる自分の図々しさも相当なものだ。

ただし、僕がこういう提案に乗ったのには、それなりの判断基準があった。それはたぶん、世間一般ではあまり用いられていない判断基準で、僕が過去に旅したインドでの経験からの気付きが元になったものだ。それについては次回、詳しく解説してみようと思う。

ということで、南ドイツの古都を取材していたら、いきなり謎のカップルに誘われてベルリンに行くことになった、何を言ってるのか分からないかしれないが、僕も何が起こったのか分からなかった……という展開になったのである。

(続く)


お話は次回に続く予定です。

写真撮ったり、文章書いたりしてる人です。
最近、春秋社さんから本もだしました。


旅路の果てに: 人生をゆさぶる〈旅〉をすること (春秋社刊) 久保田耕司


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