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ゲームやスマホの「禁止」の功罪

ゲームは一日1時間
スマホは一日2時間

こんなルールを、自分が子供のときも、自分が教師のときも、何度も耳にした

これ、全然本質的じゃなくない?????


実際自分は、小学生のときだけ「ゲームは1日1時間」と決められており、友達の家に遊びに行くとき以外は守っていた。

実際これには意味があるのか?

私の意見としては、こどもの「ゲームやスマホの禁止・制限」について、
大きく3つの意見がある。

ゲームやスマホに熱中すること、のめりこむこと自体は何一つ悪いことじゃない。

ただ、ゲームやスマホ「しか」のめりこめない人間になるのは問題だ。運動能力、社会性、識字能力、数的処理能力、思考力、知識、姿勢、筋力、柔軟性、マナー、常識、視力、聴力……これらのいずれかをゲームやスマホが著しく損なう原因になってはならないと思う

しかし、こどもが何かを犠牲にしてまでゲームやスマホにのめりこんでしまい、他のことに手がつかなくなるのは、ゲームやスマホのせいではないと思う。それ以外のことに興味・活力・自信・大義・夢中を感じていないから、安易な興奮を得られるスマホやゲームにしがみつくのだ。

この3つをふまえて別の言い方をするならば、私の意見は、

「ゲームやスマホにばかりやって他が疎かになる→安易な制限・禁止」

というのは、

「こどもが病気でうんちを漏らしまくっているのに、うんちの処理をしながら、我慢しろよ!といっているだけで、病気を治していない」

みたいな感じに思えてならない。

安易な制限や禁止は対症療法に過ぎない気がする。


『呪術廻戦』より

じゃあ、親や教師は何を与えるべきかというと、「充実した会話」だろう。

特に

  • 「なぜ?」にこたえること

  • 「おもしろい!」「すごい!!」に共感してあげること

  • 問いを生み出すこと

これらが非常に大事になってくると思う

というか極論、これをできてさえいれば、子供の世界は広がり、こどもは世界を面白がるようになり、こどもはゲームやスマホなどだけでは満足できなくなるだろう。

こんな書き方をすると、「そんな簡単な3つのことで子供が育つわけないだろ子育てなめるな」と言われそうだが、むしろこの3つは結構難しいと思う。

まず、親のベースの教養が、こどもの知的好奇心や疑問に答えられるか、一緒に楽しめるレベルにあるか、というと厳しい親も多いだろう。

「なんで車がきてないのに赤信号で止まってるの」
「赤ちゃんはどうやってうまれてくるの」
「木はどうやって生えてくるの」
「車はなぜ動くの」
「戦争って何」

こんなこと訊かれても、流さずに対応する親がどれほどいるだろうか

「なんでだろうねー(棒)」

こんなかんじで返してしまうのがせきのやまだろう

だって
めんどくさいもん
わかんないもん
かんがえたくないもん
忙しいもん
疲れてるもん
イライラしてるもん

こうした返答の妥協がこどもを無気力にし、こどもをゲームやスマホなどの簡単に手に入る興奮に手を伸ばすのだろう。

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