「メンヘラ」が日常単語となる社会への不適合と罪
社会不適合者という言葉が、日常生活に浸透しているのが昭和99年である。
社会不適合者とは文字通り「社会に適合できない者」という意味であり、公務員やサラリーマンのようにきちんとしていない印象を与えられる。
定時に出社して365日規則正しく、皆と同じように学業や労働ができなければ人間失格なのか疑問がある。
社会適合者にならなければ罪人の如く扱われる社会環境だから、皆が息苦しいのではないかと思う。
「身体、精神、認知」は互いに影響を与えて、個人因子と環境因子に影響を与える。
環境因子である社会環境が2020年から激的に変換して、デジタル社会に適合できない人は増えたはずだ。
「子ども達、若年層、20~30歳の結婚をしたい世代、40~60代の中高年層、60代以降の退職世代」の全てが、社会適応できているのか疑問がある。
迅速に社会環境に適応しなければ弱肉強食の世界を生きていけないが、適応できないから適応障害患者が増加している。
うつ病患者の増加は、「息苦しい社会や日常生活に浸透できない人達が増えている」ことが理由の可能性が高い。
「抑うつと生きる、憂鬱な環境を生きる」ことに、環境適応できない人達が日本には多いように感じる。
「高学歴、高収入、素敵な両親」の元に生まれて、エリートコースを歩んだ人達が犯罪で逮捕されることもある。
「親ガチャ」という環境因子を憎む言葉もあるが、仮に「親ガチャ」に恵まれた人達も何かしら闇を抱えている。
「メンヘラ」が日常単語となることで、精神科や心療内科の敷居は低くなった。
精神科や心療内科が受診しやすくなったことは「差別、偏見」を軽減できた反面、潜在的に隠されていた社会不適合者を浮き彫りにした。
社会に不適合となる人達は、好んで「社会不適合者」になっているのかと言えばそうではないはずだ。
昭和サラリーマンのように365日同じルーティンをこなして、定年まで勤務することが幸せであるかもしれない。
皆と同じように大学卒業をすることが、社会の適合者と言われるかもしれない。
社会に適合しなければ罪人であるかの如く、無意識的に認知を与えられているように思う。
若年層から高齢者まで突然の「病気、障害、天災、人災」などによって、社会に適合できなくなってしまう人達も多い。
ある日突然脳卒中を発症して、社会に適合できなくなってしまった人達が罪人かと問われたら答えは「NO」である。
働きたくても病気で働けなくなった人達を「社会不適合者」と侮蔑することは、絶対に間違っているはずだ。
社会不適合という言葉やメンヘラという言葉がカジュアル化している環境を、見直す必要があるはずだ。
トリックアートやトリックハウスのように、私達人間の認識は簡単に錯覚を起こしてしまう。
生成AIが日常浸透してから「ハルシネーション」という言葉が日常的となったが、高次な脳機能を持つ人間は沢山の錯覚を起こしている。
社会不適合者は罪人というハルシネーションを、一度考察してみれば優しい社会環境になる可能性がある。
あなたが社会不適合者を軽蔑しているなら、「明日は我が身」であると心得ておく必要がある。