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#3「営業は友達づくり」。「飛び込んでみると道がひらける」。内村さんの「はたらく」ができるまで。

今回の「あの人の“はたらく”ができるまで」は、内村広樹さん。


内村さんは、「行動」の人だ。お話を聞いている中で、何度も挫折しては「行動」し、活路を見出している印象を受けた。

また、インタビューさせて頂いた中で、内村さんの「はたらく」を紐解く要素は3つ。
「障壁」「行動」「友達」だと感じた。

人生の転機とも呼べそうな「障壁」が現れてはそれを「行動」によって切り拓いてゆく。

そして、その行動が生まれる源泉を探ってゆくと、その行動の根底には、「人との繋がり」があるように感じられた。

「営業は友達づくり」とも話す内村さんならではの、その在り方があるからこそ、「道」が「ひらかれる」のだろう。

そのような内村さんの「はたらく」は、どのようにして創られてきたのだろうか。お話をうかがった。

左:内村さん。右:わたし(伊藤)。


 
 

【プロフィール】
内村広樹さん
大学卒業後、リクルートトップパートナー企業へ入社。12年間在籍し、前半は営業職、後半はマネージャー職に従事。大学時代の就職活動で100社以上から不合格を受けた挫折経験を活かし、NPO法人を設立、代表理事へ就任。キャリア支援として、延べ700名以上の高校生に講演を行う。
その後、研修会社へ営業職として転職し、あるキッカケを境に自らも研修講師を務めるようになる。そして、退職後は個人事業主として研修講師業を開始。現在は、株式会社元氣応援団の代表取締役として研修、及び人事コンサルティング事業を行う。


「行動する」の原点


―今日は宜しくお願いします!早速ですが、内村さんの幼少期のお話を聞かせて下さい。
 
内村さん はい!幼少期の思い出と言えば、そうですね、小学生くらいまでは楽しく過ごしていたのですが、中学生くらいから段々と太り初めました(笑)
 
―そうなんですか。今は普通の体形に見えますから、意外ですね!
 
内村さん ええ、高校2年生の時がMAXで100キロを超えました。
 
―ええ!今は全くその面影がないので驚きです!そのことは、ご自身の中で何かの転機に繋がっているのでしょうか?
 
内村さん そうなんです。太り始めて、とても内向的な性格になってしまって。
 
―それも今とは真逆な印象で(笑)
 
内村さん そうかもしれません。当時、太っていることがコンプレックスで、体重も増え続けていたし。でも、高校2年生の時、「このままじゃダメだ」と思って、ダイエットを始めました。そして、半年で30キロ減りました。
 
―さらっと仰いましたが、ものすごい減量ですね!でも、それによって、内村さんの中で何かが変わったんでしょうか?
 
内村さん はい。実はこれが、僕の原点とも呼べる体験で。ダイエットの結果、性格的にも明るくなったし、自信を持てるようになったんです。
 
―なるほどです!ダイエットを通して、外見だけじゃなく、内側も変化した、と。
 
内村さん そうです。
 
―そのご経験が、今の内村さんを形づくっている1つなのかもしれないですね。「行動すること」の原点を垣間見た気がします。



人生初の「飛び込み営業」は大学1年生。


 
―その経緯からしますと、大学には、高校時代よりも痩せた体型で入学されたのでしょうか?
 
内村さん はい!だから、お陰様でものすごい大学生活は楽しかった(笑)
 
―おぉ(笑)めっちゃ伝わります(笑)お話されている表情から、さぞ楽しかったんだろうなぁと!どんな学生時代を過ごされましたか?
 
内村さん 私は、明治大学だったんですが、上智大学のサークルへ入りまして。
 
―あら(笑)どういうことでしょうか?
 
内村さん 入学した明治大学じゃなくて、もともと行きたい大学でもあった上智大学でサークルを探してみよう、と。
 
―おもしろいですね(笑)自分の大学でサークルを探すんじゃなくて、他大学に行ったんですね。インカレ(複数の大学による合同サークル)ではない感じですよね。
 
内村さん はい、そのサークルは99%が上智大学の学生でした(笑)私だけ違う、みたいな(笑)
 
―おもしろいですし、すごいですね!お一人で「飛び込み営業」みたいに行ったんですか?
 
内村さん ええ。一人です。その当時は意識していなかったんですが、既に営業活動みたいなことをしていたんですよね。
今考えても、就職活動で100社落ちて、自己分析の結果、営業職に就くことになるのですが、大学1年生の時のこの行動も「営業」と言えば営業ですよね。
 
―まさにその片鱗はありますよね。どのようなサークルだったのでしょうか?
 
内村さん 国際交流に興味があったので、上智大学の学生課に行って、「国際交流できるサークルありませんか?」と聞いてみたんです。
 
―すごい行動力ですね(笑)!それで見つけたんですね。そして、入ることができた、と。
 
内村さん はい。快く入れてくれました(笑)この時の先輩たちとは、今でも仲良くさせてもらっています。それに、ものすごい楽しいサークルで、最終的に部長になりました(笑)
 
―他大学の人なのに部長になっちゃう(笑)いいですねぇ~(笑)!
 
内村さん はい。でも、それが原因で、就職活動では挫折することに繋がるんですけどね。
 
―そうなんですか、詳しく聞きたいです。でも、大学生活はとても楽しかったんですよね?
 
内村さん はい。友達がたくさんいて、部長にもなって、カナダ留学もして、充実していました。
 


100社を超える不合格。全く意図していなかったファーストキャリア。


 
―充実した大学生活をお聞きする限り、就職活動もスムーズにいきそうですが、違ったんでしょうか?
 
内村さん はい、挫折しました。結果的に100社以上受けて、全て落ちてしまって。学生生活では浮かれていたのに、ものすごい落ち込みました。
 
―そうでしたか。当時は、どのような企業を受けていたのでしょうか?
 
内村さん 大手企業を中心に受けていて。自分で言うのも何ですが、コミュニケーション能力もあるし、部長もやっていたし、英語も話せるし、受かるだろうと思っていたんです。でも、今思えば、そんな学生いっぱいいるし、驕りがあったんだと思います。
 
―いや、行動力もおありで、実績もあって、十分に受かりそうですよ。最終面接まで進んでダメだった、という感じでしょうか?
 
内村さん そうですね。決定的だったのは、某大手企業の最終面接で静岡県まで行った時です。片道3時間半かけて行って、面接が3分で終わったんです。その瞬間、完全に終わった、落ちた、と思いました。自宅に帰って泣きましたよ(笑)
 
―いや、キツイですね。。それは。
 
内村さん 結局、大学4年生の10月になっても内定が無くて、1回、就職活動を諦めたんです。
 
―えっ?そうだったんですか?
 
内村さん ええ。それで、仕方なく知り合いに紹介してもらって、飲食店でアルバイトを始めました。そこから社員を目指そうと。
 
―すごい方向転換ですね。上手くいきましたか?
 
内村さん いや、これが全く向いてなくて(笑)
 
―飲食店の、どのような職種でしょうか?
 
内村さん ホールですね。結局、2か月ほどで辞めて。もうダメだ、と。社会で生きていけない、どうしようと思いました。
 
―かなりインパクトがおありだったんでしょうね。そこから、どうされたんでしょうか?
 
内村さん 改めて自己分析してみたんです。よくよく考えてみると、「大手企業に入ること」が目的になっていた点もあって、そうじゃなく、「そもそも自分は何が向いているんだろう?」と考えました。
 
―ベクトルが外側から内側に向いた印象を受けますね。
 
内村さん そうですね。それで、大学サークルへ入るキッカケとなった「飛び込み営業」のような要素、友達をたくさん作れること、これって「営業」という職に向いてるんじゃないか?と思ったんです。
 
―先ほどの話と繋がってきますね。そこから就職活動を再開されたんでしょうか?
 
内村さん ええ。結局、大学卒業2週間前、卒業ギリギリ手前で内定を頂きました。大学3年生の時に始めた就職活動ですが、当初は全く想定していなかったファーストキャリアになりました。
 
―「予想していなかったファーストキャリアに進むことになった」。そのお言葉、とても大切なワードな気がします。
 

30歳で迷う。


―そのような経緯で大学を卒業され、ご入社。そこから退社されるまで、トータル12年間在籍されたんですよね?
 
内村さん そうですね。前半は営業職。後半は、プレイングマネジャーとして勤務していました。でも、迷いだすんですよね。30歳頃に。
 
―入社して月日が経った頃ですね。その「迷い」とは「違和感」でしょうか?言語化するとどんな感じでしょうか?
 
内村さん そうですね、色々ありますが、この会社が大好きだと自信を持って言える一方、例えば、「広告をただひたすら売る毎日」に違和感を覚えたり、「自分が良いと思う商品を売れない」とか「同期には勝てない」とか「ここにずーっといても自分の本当の幸せな日々はやってくるのだろうか・・・」、といったところでしょうか。
 
―「このままで良いんだろうか?」みたいな感じでしょうか?
 
内村さん そうそう、まさに。
 
―そのような心境になり、何か行動されましたか?
 
内村さん しばらくは、悶々とした日々を過ごしていました。でも、ちょうど大学時代の先輩と食事に行くタイミングがあって。その時に、その先輩から「研修業界」という存在を教えてもらったんです。そして、何かの話の流れで「研修講師、向いてると思うよ」とも言ってもらって。それで、研修会社の経営者が出していた本を読んでみたんです。
 
―今の内村さんの事業内容の芽が、生まれた瞬間のように感じますね。
 
内村さん そうですね。でも、動けなかったんです。
 
―大学生活では他大学サークルに飛び込むくらい、あれだけ行動力があったのに、ですか?
 
内村さん そう。他大学に1人で乗り込んで、飛び込み営業できた自分なのに。12年間、会社員として勤務していたら、気付かぬ間に「動けない」自分になっていたんです。
この時の葛藤があるから、今、自分で行っている研修プログラムの1つには「30代の頃の動けなかった自分と同じような状況にある人向け」に創ったものもあります。
 
―なるほどです!実体験ベースのプログラムは説得力がありますね。その当時、すぐには動けないながらも、最終的には、何らかの行動に結びついたんでしょうか?
 
内村さん そうですね。動けない自分に気付いたんですが、思い切って、さっき言った「研修会社の経営者が出していた本」の経営者に手紙を書いてみました。
 
―おお、すごい!最終的には行動しているのが本当に凄いですね。そしたらどうなったんでしょうか?
 
内村さん 手紙を書いたら、その社長から電話かかってきまして。
 
―ほう!それでどうなりましたか?
 
内村さん 一緒に飲みに行きました。そして、「入社できませんか?」と聞いてみました。
 
―ほう!そのまますんなりと?
 
内村さん いえ、ダメでした(笑)。「入社は難しいね」と断られました。
 
―ええ(笑)?てっきりそのまま入社できたのかと思いました!それでその社長とは終わりですか?
 
内村さん いえ、諦めずに、企画書を3か月に1回送ったんです。
 
―本当に行動力がありますね。それで、最終的には入社できたんでしょうか?
 
内村さん できました(笑)
 
―おぉ!良かったです(笑)なんだか1冊の本を読んでいるようで、ドキドキしました(笑)



転職。苦しい1年目。少し風向きが変わった2年目。


 
―やっと、入社できて胸が高鳴りますが、どのようなスタートでしたか?
 
内村さん 35歳での転職だったんですが、1年目は過去最高に苦しい日々でした。「なんで転職なんかしちゃったんだろう」と思っていました。
 
―意外ですね。そう思ったのは何故でしょうか?
 
内村さん 前職が営業職だったので、研修会社に転職したとは言え、「営業職」としての転職だったんです。でも、これがなかなか売れなくて。その当時の上司とも全くうまくいかなくて。もう、本当に参ってしまいました。後に自分にも至らない点が多いことことがわかり、修復しましたが。。。ほんと人間関係って難しいですよね(笑)。
 
―上司との軋轢、営業職だけど数字が出せない現実。キツそうですね。
 
内村さん そうなんです。でも、2年目から風向きが変わりました。
 
―それは何かキッカケがありますか?
 
内村さん はい。これは明確なキッカケがあるんですけど、営業のやり方を変えました。
 
―そうなんですね。具体的に何を変えたんでしょうか?
 
内村さん 研修を売るのって、割とロジカルな作業が必要なんです。具体的に言えば、研修を受けた前後でどのような変化が生じるかを可視化、言語化して、資料としてまとめる。数字等も踏まえて、説得力のある状態で提案する、といった具合に。
 
―なるほど。資料上には、before、after以外にも、定量的な視点も必要なんですね。
 
内村さん そうそう。でも、それだと僕の持ち味が出ない、と思ったんです。だから、営業の提案現場に直接講師を連れてっちゃうことにしたんです。人と仲良くなるのは得意だから(笑)
 
―なるほどです(笑)発想の転換ですね。得意なやり方で売ると!
 
内村さん そうそう。そしたら売れるようになりました(笑)
 
―おぉすごい!あれ?でも、その状態だと、内村さんはあくまでも「営業職」のままですよね?どこで現在の「研修講師」に切り替わるのでしょうか?
 
内村さん それはですね、ある時。売っちゃったんです。

―どういうことでしょう (笑)?

内村さん とある営業現場で、若手の研修に関する商談だったんですが、「おススメできる講師が3人います。A講師、B講師、そしてもう一人は私(内村)です」と言ってみたんです(笑)
 
―めっちゃおもしろい(笑)!会社的にはOKをもらっていたんでしょうか?
 
内村さん 会社には内緒で(笑)
 
―いや~好きだなぁ~そのやっちゃう感じ(笑)
 
内村さん だから、社内では問題になりまして(笑)でも、笑い話にもなりまして(笑)
 
―そのまま研修講師としてデビューできたんですか?
 
内村さん そうですね、もう売っちゃってるんで(笑)しょうがないよね、と(笑)それで、講師としての立ち振る舞いや、ロールプレイングといった研修講師として必要な所作を上司や先輩から1から教えてもらいました。
 
―なるほど。自ら拓いていくその感じ、内村さんらしいですね(笑)!その際、心境の変化はありましたか?
 
内村さん 実際に初めて研修講師をやらせて頂いたとき、「こっちだな」と思いました。
 
―おお!「こっちだな」と思えるものに出会えた機会になったんですね。本当に良かったですね。
 


独立。移住。


 ―転職した後、営業職、研修講師、として活躍されていたと思いますが、その後の移住、独立まではどのような流れでしょうか?
 
内村さん 38歳を過ぎた頃でしょうか。旅行がてら、知り合いが立ち上げに関わった、ある小学校の見学に行ったんです。学校も良かったんですが、その際に寄った公園で、長女と手を繋いで走っていたとき。「あぁ、これだー」と思ったんです。周りには豊かな自然がいっぱいあって、子どもとの何気ないけど幸せな時間があって。「あぁこういう生き方がしたい」と思いました。
 
―時間の使い方、環境のような類のものと、内村さんの「生き方」「働き方」みたいな部分がフィットする感覚だったのでしょうか?
 
内村さん そうですね。でも、そのような環境、働き方へシフトするのは、夢のまた夢だと思いました。現実的に考えると障壁が色々あって。
 
―例えば、どのようなことでしょうか?
 
内村さん 妻子 (子供は3人)ありですし、マンションは35年ローンだし、会社に聞いてみたけど通勤手当の増額は難しい、と。だから、もし移住して通勤すると自分で数万円持ち出さないと通えない等、色々ありましたね。
 
―それは、なかなかハードル高そうですね(笑)
 
内村さん ええ(笑)でも、結果的に、妻とも話し合って。「浪漫そろばんミーティング」と呼んでいるんですけど、夫婦で話し合いを重ねました。浪漫を叶える為に数字部分もしっかり考えて、「どうやったらそれができるのか」という方向で、できる方法を徹底的に考えました。
 
―なるほどです。例えばどのようなことを考えていたんでしょうか?
 
内村さん 2拠点生活にする、お金を貯める等、考え尽くしました。
 
―そうなんですね。それで最終的に移住を決めたんですね?
 
内村さん ええ。妻は個人事業主で比較的働き方は自由でしたし、生活スタイル(家族との時間も大切にしたいという想い) は一致していましたし。思い切って移住してみようと。移住後、少しして私も、独立したいと!何とか半年くらい生活できる貯金もあるし、ダメだったら会社員に戻ろう、と覚悟を決めました。
 
―そのような経緯だったんですね。思い切った決断だったんですね!
 
内村さん そして、もはやこれは運とタイミングが良かったとしか言えないのですが、移住寸前の1ヵ月前にマンションが売れました。しかも、移住のタイミングとコロナ禍が重なり、仕事環境も完全リモートとなり通勤の必要がなくなりました。懸念事項だった14万円の通勤手当支出も稀有なこととなり、色々とスムーズに事が運びました。本当にビックリでしたね。
 
―おお!重なりますね(笑)それで移住されて、会社を退職し、現在の研修講師として独立されたんですね。
 
内村さん そうですね。現在は、東京にある企業様での研修以外にも、移住先の地域にある企業様での研修もやらせて頂いています。好きな人と、仕事をできていますね。ビジネスライクな仕事だけでなく、「営業は友達づくり」だと思っていますし、今後は、東京と移住先の地域の仕事バランスを5:5くらいにしていきたいと思っています。
 
―いや~物語を聞いているようでした。内村さんの「働き方」と「生き方」がちゃんと繋がっている感じ、とっても素敵です。本日はお話頂きまして、ありがとうございました!!!
 
 
 


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