できることの【自分なりの"極論"】は"生きること"#未来のためにできること
#未来のためにできること
できることの本質を更に考えた時に自分ができることは、
"生きること"
とも気付けたことを伝えます。
生きてるから"欲"や"エゴ"が出てきて、生きてるから"理想"や"アイデア"などが浮かび、生きてるから"伝えられ"、生きてるから…
"愛すこと"、"受け入れる"と言うことができるんですよね…
私はできることは【自分の考えを伝えること】だと再三語ってきました。ですが、そのできることの上の"極点"は"生きること"なんです。生きてるから私はそうやって"できること"をやろうと考えることができると思っています。
やっぱ生きないと何が起きるか分かりませんよね…
例えば私は、noteでスキを貰えたり『コングラボード』を貰えたりした時に、それだけで生きてて良かったと思えます。その時は特に"貰える"とか"欲しい"とか考えておらず、別のことを考えてる時にふと知れたので凄い嬉しいと思え、生きてて良かったと思えました。
つまり、特別な何かを貰いたいと思ってる時ほど上手くいかず、「生きるのがつまらない」とか思ったりしますが、期待してない時ほど何か特別なことが起きれば「生きてて良かった!!」と思えます。なので極論、
「生きてみないと何が起きるか分からない」
と言うことです。
私は小学校時代に大嫌いだった"ある武道系"の習い事を小学一年から六年の夏までしていました。特にその当時はほぼ毎日ボコボコで習い事の前日の夜はよく泣いていました。そして、行く直前に道端で吐き出したりとかして今でもよく5年近く続いたなと思います(笑)。
中学生の頃は思春期ということもあり異性の人とSNSでちょっとした問題を起こしてしまい、ほぼ学年全員から「キモい」と思われていました。そして嫌われ、意味もなく暴力を振るわれたりもしましたよ(笑)。
遂に高校時代では部活で人間関係で悩んでしまい学校自体を辞め、3年の6月に通信制高校へ転入しました。恐ろしく費用が掛かりまくり、親には申し訳なくて頭が本当に上がりません……
ですが生きたからここまで色々な経験を出来たんだと思いました。
私は皆様に"エッセイで伝える"のをできることにするのと同時に、家族に恥じない立派な人間になることをできることとして生きていきます……
そのように必死に生きていれば…
何か本当に未来を変えれるきっかけを掴めるかもしれませんので!!