見出し画像

#24【自己紹介】9 休職直後のこと

最近のマンガ本はわかりませんが、くらたが学生時代くらいまでの少女漫画雑誌には柱広告があって、コミックスになるときにはそこに漫画家さんがコメントや近況を書かれていました。ブログとかSNSとかいろんな人の作品外の書き物の原点って、くらたにとってはこの「柱」だったなと、最近思い至りました。
このことを、どこかに書こうと思ってメモしてあったのですが、書く機会がなかなか到来しなかったので今日のマクラにしてみました。この後の話には何にも関係ありません。すみません。

閑話休題。
この一年は、旧友のありがたさが特に心身に沁みた一年でした。
休職直後のことを、高校時代の恩師に知らせる機会があったので、そこでまとめた文章をこちらにも残しておきます。

この一年は、旧友のありがたさが特に心身に沁みた一年でした。
先にお便りさせていただきましたが、メニエール病・捻挫・適応障害で昨年夏から休職して、半年以上になりました。当初は特に低音が聞こえづらく、大好きなバス・バリトンの低音がこのまま一生聞こえなかったらどうしよう、と青ざめたのを覚えています。

「すぐに休め!」と言ってくれたのは、おーちゃんとりーちゃん(※合唱部の同級生)でした。本当にありがたかったです。精神科医に向かう駅からふたりにLINEを送ったらふたりともすぐに返事をくれて、おーちゃんは電話までくれた。すごい剣幕で「とにかく病院に行って!」と言ってくれました。わたしはその後、電車内で大泣きしている足首ぐるぐる巻きの杖の女性となりました。すごい絵面です。今はもう笑い話ですが。
 
最初のうちは「メンタル休職している人間」というレッテルを自分に貼っているところもあり、家族(非常に善良な、ふつうの人たちなのです)も暗にそう思っているのが伝わってきていました。そんな中で9月におーちゃんの家に遊びに行けたのは僥倖でした。
おーちゃんは私を「メンタル休職している人間」とは扱わなかったし、お子さんたちも同様です。自分のお洋服をひっくり返して「くらちゃん(※くらたのこと)はどれが好き?わたしはねえ…」とお気に入りのコーディネートを教えてくれたり、また、ちゃんと向き合えていないと「くらちゃんがいてもぜんぜん面白くない!」と厳しいお裁きをいただいたり……す、すみませんでした!
旧友と時間を気にしないでおしゃべりができて、しかも「また明日ね」ができる。そこに子どもたちのにぎやかな声が加わる。その時間が、何より私の生命力をあたたかく回復させてくれました。 

休職前は映画も芝居も旅行も全く楽しめませんでした。
親しい同僚に、「お金を稼ぐためにストレスの高い仕事にほとんどの時間を捧げて、稼いだお金でストレスを解消するために芝居や旅行で散財している。これはマッチポンプなんじゃないのか」とよく言っていました。
でも、休職に入って、寝たいだけ寝て、食べたいだけ食べたら、映画や芝居や旅行を楽しむ心が戻ってきたのです。何をしても楽しいと思えなかったのが、「楽しい」と思えたときはうれしかったです。
今は、興味のあること、面白そうだと思ったことをやってみて、自分がどう感じるか、仕事のない個人としての自分の価値観はどこにあるのかを探しています。また、仕事をしている間はなかなか連絡が取れなかった、高校や大学、前職の知人と再会の機会を得ています。 みなさん快く会ってくれ、心配してくれ、元気を分けてくれます。ほんとうにありがたいです。

本も芝居も旅行も人との出会いも、経験はその後、自分の内面の抽斗にしまって、ともに生きていける。特に人との関係性は、その後も温めて続けていくこともできると実感した一年でした。そう考えると、改めて、人生の早い時期にあの高校で過ごせたことは、何にも代えがたい宝物です。 

今日、『カラオケ行こ!』という映画を観てきました。
コメディタッチの映画でしたが、中学の合唱部が舞台の物語で、なつかしい曲『心の瞳』が演奏されたり、若さ・真面目さゆえの部員同士のぶつかり合いがあったりと、今はもうない母校の音楽室を懐かしく思い出しました(※建て替えがあった)。社会に出てからの生活を考えると、いつも近くにピアノや楽譜があったのもあの時期だけの奇跡のような時間だったのだと改めて感じました。

長くなってしまいました。長く時間のたった今でも、こうして勝手なお便りをお許しくださる先生には感謝してもしきれません。
どうかどうか、お身体にお気をつけてお過ごしください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?