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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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#二本松藩

奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(後編)

奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(後編)

前編は「尊王攘夷思想の誕生」について、中編は「水戸藩内の派閥争いの系譜」について、解説しました。

そして今回は、横浜鎖港問題に始まり、他藩の尊攘派との交流、そしてなぜあの悲劇につながっていったか、解説してみます。

水戸藩の尊王攘夷思想と幕末の社会情勢横浜鎖港問題

問題の位置づけが案外難しいのが、この横浜鎖港問題です。政治イデオロギー的に見れば、「神州日本にいる外国人を排斥する」ということにな

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奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(中編)

奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(中編)

前編では、「攘夷思想」の発祥とその分類について解説しました。今回は、
前回の続きとなります。

徳川斉昭のリーダーシップと水戸藩の動向
さて、先に出てきた「徳川斉昭」についてです。先に述べたように、斉昭は文政12年9代水戸藩主となりました。諡が「烈公」と言われるくらい激烈な感情の持ち主なわけですが、従来の門閥主義を破って下士の中から人材登用を図るなど、幕末における改革派のリーダーでもありました。会

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奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(前編)

奇っ怪極まる水戸藩~尊攘思想と派閥争い(前編)

現在連載中の「鬼と天狗」も、鳴海が番頭に就任すると同時に、水戸藩の動きもいよいよきな臭くなっていきます。
作品冒頭で書いたように、文久2年の夏頃には既に尊王攘夷思想が生まれていたのですが、その後の動きについては、非常にわかりにくいと感じる方が多いのではないでしょうか。
書いているワタシですら各人の思想についてはかなり迷うところも多く、今回第三章(常州騒乱)に入る前に、水戸藩の尊攘派の動きと派閥の関

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丹羽家ファミリーヒストリー~前編

丹羽家ファミリーヒストリー~前編

さて、今度は「丹羽家ファミリーヒストリー」についてです。二本松藩の作品をいくつか書いている割には私もきちんと調べるのは初めてで、どちらかというとその家臣団に注目しがちでした。ですが、「中興の祖」とされる「丹羽長秀」は、織田信長の家臣としてご存知の方も多いのではないでしょうか。

丹羽家の出自三説丹羽家発祥のざっくりとした歴史については「大谷家」のところでも説明しましたが、実は三つの説があるようです

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奇っ怪極まる水戸藩~幕末編

奇っ怪極まる水戸藩~幕末編

現在連載中の「鬼と天狗」ですが、もともと「二本松の天狗党征伐の話が読みたい」というオーダーから誕生した作品です。
二本松が水戸藩の天狗党征伐に駆り出されたのはれっきとした史実で、藩政史上初めて実戦に駆り出されたのが、この戦いです。

ところで名前だけは有名なこの戦いですが、その実態がつかみにくいのではないでしょうか。
簡単にまとめると、天狗党の乱というのは水戸藩の内乱です。

発端
そもそも、その

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山鹿流戦略

このところ、ずっと山鹿流漬けです。
最初は武教全書などの教書をちまちまと現代語訳していたのですが、さすがにきりがないので、途中から、山鹿流の教えを説いた現代語の本に切り替えました^^;
やはり、古文を現代語訳するのは、一日に半ページ~1ページくらいが、ワタクシの脳みその限界なのであります。

さて、何でまた山鹿流を持ち出してきたかと言うと、「鬼と天狗」の登場人物のうち、天狗党征伐に加わった人物のう

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三浦権太夫の思い

三浦権太夫の思い

本日は、二本松落城の日です。
ツイッターの私の周辺では、鎮魂・哀悼のツイートで溢れておりまして、私も何か書こうと思っていました。
昨年は、短歌を詠んでいましたね。

ちょうど、この歌を詠んだ頃は「直違の紋~」の第三章を書いていた気がします。

で、話は冒頭に戻ります。
新作である「鬼と天狗」も再び二本松藩の話ですが、実は「直違の紋~」を書いていた頃に、どうしても理解できなかった人物がいました。

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山鹿流に夢中

山鹿流に夢中

新作(鬼と天狗)の関係で、現在山鹿流兵法の沼にハマっています。

Twitterでもちょろっと呟いたように、二本松藩の公式兵法は、「山鹿流」。
二本松藩の藩士すべてが兵法を学んでいたかは謎ですが(原則として、二男・三男などは藩校に通わない)、少なくとも番頭であった鳴海は、間違いなく学んでいただろうとの推測に基づくものです。

「直違の紋~」のときは、剛介が子供だったということもあり、あまり二本松藩

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「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(後編)

「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(後編)

前編は、こちらからどうぞ!

丹波との対峙ラストに向けてちょくちょく伏線が張られていたのが、丹羽丹波です。
お気づきだったでしょうか?

ところで、二本松藩の人には怒られそうですが……。
丹波様、家老座乗の割に存在感が抹消されていませんか?

いや、マジで。
一応他藩の戊辰戦記(長岡藩、仙台藩、仙台藩など)も読みましたが、家老座乗(代表格)がこれだけ正史(二本松藩史)でちゃんと取り上げられていない

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「直違の紋に誓って」~こぼれ話2

「直違の紋に誓って」~こぼれ話2

涙・涙の場面が続いた第2章を、全て公開しました。
多少はフィクション要素も入っていますが、ほぼ二本松藩史に登場するエピソードを基に小説にしています。
私にしては結構残酷な場面が多めということもあり、書いている最中、二本松藩史を読み返しては涙ぐんだこともしばしば。

さて、上記の悩んだ点の回答を。

剛介と一緒に生き延びる人を誰に設定するか?

二本松少年隊研究者の第一人者と言えば、紺野庫治氏。

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「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(前編)

「直違の紋に誓って」~こぼれ話3(前編)

全ての話を公開いたしました。約三ヶ月余り、長かった^^;
書いている側も、途中で何度も涙した作品です。
第三章は前二章から飛躍して大人になった剛介を描いており、父親としての姿も入れてみました。

この作品を書くに当って、当初から決めていたことがあります。
それは、「単なる戊辰の悲劇モノ」にはしない、ということ。
カクヨムのキャッチコピーにしていた拙句は、その思いの現れでもありました。

そうでない

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Spin Off~母成峠からの退却~黒田傳太氏回顧記録抄より

Spin Off~母成峠からの退却~黒田傳太氏回顧記録抄より

八月二十一日早朝。二本松の軍監、黒田傳太のところへ敵が押し寄せてきたとの知らせがあった。傳太は、このとき大谷鳴海、大谷与兵衛の両隊の軍監を務めていた。前日夕刻に山入村で西軍と遭遇し、夜半に母成峠に引き揚げてきたばかりであった。
(まだ朝食を取ってもいないというのに……)
 朝食を取れなかった恨めしさは残るが、止むを得ない。
 傳太は各隊の兵糧の手配をして、後から運搬する手筈になっていたので後方に残

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