山鹿流戦略

このところ、ずっと山鹿流漬けです。
最初は武教全書などの教書をちまちまと現代語訳していたのですが、さすがにきりがないので、途中から、山鹿流の教えを説いた現代語の本に切り替えました^^;
やはり、古文を現代語訳するのは、一日に半ページ~1ページくらいが、ワタクシの脳みその限界なのであります。

さて、何でまた山鹿流を持ち出してきたかと言うと、「鬼と天狗」の登場人物のうち、天狗党征伐に加わった人物のうち、兵法学者である「小川平助」がいたからです。
「直違の紋~」にもちらっと名前だけは出ていましたが(西軍に生き肝を食べられてしまった人です)、いわば二本松藩の戦略家ともいうべきお方。ですので、天狗党の乱征伐に加わっていたのは、当然と言えば当然でしょうか。

先に書いたように、山鹿流は二本松藩の兵制の根幹でして、テキストの一つである武教全書だけを取り上げてみても、

  • 大将の心得

  • 人の使い方

  • 戦場におけるそれぞれの役割の呼称

  • 各種合図の出し方

  • 地形による戦法パターンやその効果

  • 戦功の評価基準

  • 間(スパイのこと)の使い方及び評価の仕方

などなど、幅広い知識が詰め込まれています。

この山鹿流に従えば、一番肝心なのは

戦わずして勝つ

この一言に付きます。
身も蓋もない言い方をすれば、できるだけ味方の戦力を削がないように、かつ効果的に自国を勝利に導くのが肝要で、その目的を達成するためにありとあらゆる手段を使い、間も重視せよ、ということです。

実は、儒教的要素も含むのですが、この実戦的なところは、山鹿流の特徴と言えるのではないでしょうか。

他にも

「人みなかんなり」
→誰でも、スパイとして用いられる要素を持っている

「常に間を使い、間にのせざれらる人を良将というなり」
→常にスパイを放ちつつも、相手方のスパイの計略に乗らない人が、良将である

などの教えは、なかなかシビアです。戦いにおいて、綺麗事なんか言っていられない、ということですね。

トップの「べからず5か条」

また、面白いのが「トップがやってはいけない『べからず5か条』」。
具体的には、次のようなものです。

①トップは現場の指揮に介入すべからず
(ただし現場が逸脱したときを除く)
②トップは現場の出処進退に口出しすべからず
 →どんな名君でも、現場にいなければ詳しい状況は分からない。だから進むべきでないときに進撃を命じたり、退却すべきでないのに、退却を命じるように指令してはならない。
③トップは現場の組織系統に干渉すべから
→現場の混乱を避けるため
④トップは現場の指揮系統を無視すべからず
→内部に不信感を生み出し、やる気をそいでしまう
⑤トップは現場が命令を受けずとも、怒るべからず

二本松藩における場合のトップというのは、もちろん藩主である長国公。
少なくとも、長国公自身が何か強権を発動した……という記録は見当たらず、二本松藩ではこの原則は徹底されていたのかもしれません。
ただし、長国公はあまり体が丈夫でなかったようですから、自ずとこれらの原則が当てはまった可能性も、なきにしもあらず。

さらに、指揮官が陥りがちな5つの危険なタイプというものがあったので、ご紹介します。
これは、現代でも十分に通用する教えではないでしょうか。

指揮官の陥りやすい5つの危険なタイプ

①必死は殺されざるべきなり
指揮官が状況判断を冷静に分析することなく、死をも辞さずに必死になって闘うと、敵のまたとない目標になって殺される。
直情径行タイプの人は、「必死」になってはいけない

②必生は虜にさるべきなり
指揮官が状況の不利を察して、なんとか生き延びようとしてあがけば、敵に追い詰められて捕虜にされてしまう。土壇場で臆病風を吹かせるタイプは、「必生」を求めてはならない。

忿速ふんそくは侮らるべきなり
短気で怒りっぽい指揮官は、その激情のためにバランスを見失って、部下の信頼を失い、敵の術中にも簡単にハマってしまう。すぐ激昂しやすいタイプは、「忿速」を常に自制しなければならない

④廉潔は辱めらるべきなり
清廉潔白さを信条とする指揮官は、その几帳面さと名誉を保つ気持ちが先行するために、誇りを傷つけられると我慢がならずに、敵の挑発に乗ってしまい、無能な指揮官としての汚名を受けることになる。
生真面目で融通のきかないタイプは「廉潔」を抑えて柔軟な価値観を持つことが求められる。

⑤愛民は煩わさるべきなり
部下への温情にあふれる指揮官は、そのために厳しい作戦が展開できず、逆に敵の攻撃に煩わされることになる。
部下を信頼し愛情を注ぐことは指揮官として当然であるが、そのことだけに気を使うタイプは、作戦実行に対しては「愛民」の心を抑制するべきである。

これらの教えは、下記の本で紹介されていたものです。

この指揮官が陥りやすい5か条のうち、個人的にお付き合いしたくない上司は圧倒的に③。結構ネットでも見かけるのではないでしょうか。
実は、主人公となる鳴海もやや短気な部分はあるのですが、それをどうコントロールしていくか
ちなみに、「直違の紋~」では、丹波の短気ぶりがちょくちょく出てくるのですが(苦笑)、そんな行政トップを前にして、「事面倒なり」とばかりに、黒田傳太と共に逃亡した鳴海、二本松家中でも鋼鉄メンタルの持ち主です^^;

また、個人的に意外だったのが、⑤の「愛民は煩わさるべきなり」の教え。
要は、気を使いすぎるあまり情のみに捕らわれてはならない、ということなのですが、私の場合は、これが危ないだろうなあ……。
結構、これで相手を増上慢にさせてきたところもあると、今では反省しています。

実際に二本松藩で兵法に通じていた人たち

さて、二本松藩でこの「山鹿流」をモノにしていた人々は、誰か。
さすがに下士官クラスの子弟らが習っていたとは思えないので(これらの知識がなくても、戦場に立つ分には支障がない)、やはり上官クラスを中心に学んだのだろうと、私は推測しています。
もっとも、小身ながら城下戦では軍監として活躍した、武谷半左衛門(剛介の父。70石)のような例もあるので、一概には言えませんが……。

それを前提とすると、家老・番頭及び詰番(番頭の控え)、物頭クラスの子弟は、子供のうちからこれらの知識や心得を叩き込まれたのでしょう。
藩内の役職は、ある程度家柄(=石高)にも左右されるところがあるので、いい家の子は、若いうちから厳しく躾けられたはずです。

悪役ヒールに回されがちな丹波ですらも、恐らく兵法の知識はある程度持っていたはずで、決して無能ではなかったはず……と思いたいところですが、どう見ても性格に難あり(苦笑)。なので、「鬼と天狗」では、別の能力にスポットを当てています。
(でも、割と姑息^^;)

そして、肝心の鳴海はどうか。
どこかで書いた覚えもあるのですが、戊辰戦争当時、二本松藩の中でも鳴海は相当優秀な武官だっただろうと思います。何せ、戦後に新政府からスカウトが来るくらいですし。
最終的には、新政府への武官出仕はお断りしているのですが、単に勇猛さだけが評価されたのではないのでしょう。

そんな鳴海ですが、既にスピンオフでいじり倒したように、案外不器用さも感じさせる御方です(*^^*)
「直違の紋~」で出てきた鳴海は、既に武将として完成形に近い形でしたから、「鬼と天狗」では、不器用ながらも、勇猛さだけが売りではない鳴海も見守って頂けたならば、幸いです。

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