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山鹿流に夢中

新作(鬼と天狗)の関係で、現在山鹿やまが流兵法の沼にハマっています。

Twitterでもちょろっと呟いたように、二本松藩の公式兵法は、「山鹿流」。
二本松藩の藩士すべてが兵法を学んでいたかは謎ですが(原則として、二男・三男などは藩校に通わない)、少なくとも番頭であった鳴海は、間違いなく学んでいただろうとの推測に基づくものです。

「直違の紋~」のときは、剛介が子供だったということもあり、あまり二本松藩の職制や組織については触れていません。ですが、今回は戦の現場では総大将(二本松では家老が務めることになっています)に次ぐ地位が、番頭ばんがしらなわけで、一兵卒とは違った視点からの判断、組織における管理職としての人の動かし方や考え方、道徳観が求められます。
この線引がなかなか難しいのですが、現在放送中の大河ドラマ「どうする家康」の失敗例?を見ていても、やはり手抜きをしてはいけない部分だと感じます。

山鹿流とは?

ところで、この「山鹿流」とはそもそも何なのか。
ざっくり述べると、江戸時代初期の学者、山鹿やまが素行そこうがまとめた兵法です。
山鹿素行自身は、会津生まれ。ただし、6歳のときに父親に従って会津を離れていますので、会津出身と言えるかは、微妙なところです。
余談ですが、山鹿素行の思想は幕政を批判するものとして播州赤穂藩にお預けになりますが、この山鹿素行をもっとも弾劾したのが、皮肉なことに、会津の保科ほしな正之まさゆきでした。

山鹿素行は、18歳のときに北条氏長の門人となって兵法学を修め、寛永19年、21歳のときに小幡おばた景憲かげのりの印可を受けたと言われています。
戦国時代、それも武田家の興亡に詳しい方ならば、「小幡」という名字に聞き覚えがあるかもしれません。れっきとした武田家の勇将の一族であり、武田勝頼が滅んだ天正3年当時は、9歳だったとのこと。
その後家康に見出され、井伊兵部(直政でしょうか)と共に秀忠の遊びのお供として出仕。もっとも、脱走したり、関ケ原の戦いで再び井伊の軍に加わったり、はたまた大阪の陣で秀忠公のところに舞い戻ってみたりと、なかなか落ち着かない人だったようです。

結局家康・秀忠・家光の3代に渡って仕えるのですが、小幡景憲は、高坂弾正の書物を蒐集していました。
高坂弾正もまた武田二十四士の一人で、その武田家の家臣たちに兵法を伝えたのは、山本勘助と言われています。
徳川家康が某家臣の背反(「どうする家康の先のネタバレになるので内緒」)により、それまでの兵法を甲州流に変えたのは有名な話ですが、家康が何やかんやありながら、小幡景憲を召し出したのは、小幡が甲陽軍鑑の編集者だった関係もあるのかもしれません。

その流れを汲むのが、山鹿素行ということになります。
つまり山鹿流は、れっきとした甲州流軍法の系統。
興味深いのは、陣形や築城術、軍令、各種戦法の他に、「用士」「撰功」「賞罰」など、現在にも通じる人事評価やビジネススキルが含まれていること。
中には、「大将の心得」「不心得」なども示されていて、当時の武士の道徳規範としても評価されていたと感じられます。
甲陽軍鑑というか、甲州流兵法のさらに源流は中国の「孫子」や「六韜りくとう」にあるというのも、また有名な話ですが、やはり古典の人間観察眼、叡智は侮れません。
現代でも、時々書店の店頭などで「孫子を読み解く」的な、ビジネス書を見かけることがありますよね。

二本松藩と山鹿流

さて、二本松藩と山鹿流の関係について。
これは、丹羽家初代(織豊政権時代からカウントすると3代目)の光重みつしげ公が、山鹿素行に薫陶を受けたことに始まります。
さらに、二本松藩の代々の兵法家、小川家の始祖(初代)藤興ふじおきは、山鹿素行の直弟子だったと言われています。
そんなわけで、二本松の軍制はしっかり山鹿流の色合いが見られるのです
他の藩はどうだかわかりませんが、長柄奉行や使武者、はたまた貝奉行など近代戦と思えない役割の人が出てくるのは、山鹿流に忠実だったからと思われます。

もっともこの山鹿流、「戦国時代の兵法だから古いよね」というわけではなくて、結構全国的に見てもポピュラーな兵法。
実際の戦場では「時代遅れ」の感もありますが、人の動かし方や組織的な考え方などは、学ぶところも多かったのだろうと思います。
私が確認しただけでも、山鹿流の系統を受け継ぐ藩や人材としては、

  • 津軽藩

  • 三春藩

  • 赤穂藩(これは、山鹿素行の配流先)

  • 萩毛利伝(吉田松陰が山鹿流を習得していたことで有名)

  • 勝海舟

  • 板垣退助

  • 佐々木高行(土佐藩士)

などなど。

そんな思想に鳴海が忠実だったとしたら、鳴海の戊辰戦争時における「唐突な行動」「家老坐乗である丹波をスルー」(→「事面倒なり」って^^;)などの、鋼鉄メンタルも理解できる部分が出てきます。
地元郷土史家からは、割りと疑問視されがちなところでもありますが……。

そんなわけで、この山鹿流については、なかなか興味深いので、また折を見て紹介したいと思います。
問題は、全て文語文(しかもかなりボリュームがある&抽象的)なので、私が「武教全書」「兵法奥義」などの山鹿流兵法の真意をつかめるかですがね^^;

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