見出し画像

【抽象思考】ライティングの極意と数学と牛の糞キノコ

ライティングには2種類あると思ってる

日本語を日本語に翻訳する【具体→具体】

本質を日本語に翻訳する【抽象→具体】

思考の抽象度が高いほど本質的であり、言語化して伝え切るのは難しい

【例】
「スーッと来た球をガーン!と打つ」(長嶋茂雄)

本質はシンプル(=複雑)だ。

「頭がいい」って何?

むかし牛の糞キノコを食べてしまった時に「微積分」が突然理解できるようになった



牛の糞に生えるキノコには、幻覚成分を含むものがある
法律で所持してはいけない場合もある
絶対牛の糞を見つけても、キノコは探さないで欲しい
いろんな意味で不審だよ!


数学は抽象思考。

数学は計算ではなくヒラメキなのだ

幻覚剤や瞑想は、思考の抽象度を上げてくれる
=脳みそヤワヤワ。
考えすぎて煮詰まってるなら瞑想。

インドの奇人ラマヌジャンは、神に祈りを捧げ無数の公式をこの世に降臨させた天才

ウソみたいなそんなこともできる。
同じようなことは誰だってできる。

言葉は虚しい

虚ろ:中身(実)がない

本質であるところの実の周りを覆うことはできるが、本質(実)を捉えられるかどうかは、言葉を受け取る側に委ねられている

【例】
バスの揺れ方で人生の意味が分かった日曜日(スピッツ)

スランプの正体

スポーツ選手にも、webライターにも、スランプというものがある

インスピレーションが湧いてこない
調子が悪い原因がわからない


”頭”で考えてわかるわけない。

固着してしまった脳みそをヤワヤワにしよう
ヤワヤワにする技術は、先人がたくさん残してくれている
瞑想でもいいし、アート鑑賞でもいい

抽象思考とライティング

↑の記事には
日本語→日本語の翻訳力が大事だ
って書いてるけど、これをやりすぎたら堂々巡りになって本質を見失う

抽象⇄具体の往来

僕は意識的に、思考の抽象度を上下動させて考える

本当に伝えたいこと=自分の中にある”???”をキャッチして、それから具体度をあげていく

「具体」で考えすぎて訳がわからなくなったら、散歩をするとか瞑想をするとかお酒を飲むとか、少しのアクションを加える
→再び抽象化して考える

そうやって作っていく

心の中全部は伝わらない。
それでも磨き上げる。

120%だと自分で思えるものに仕上がったら、80%くらい伝わるかもしれない

この記事が参加している募集

noteの書き方

皆さまの施しによって生かされています。 一期一会を大切にしてまいります。 受けた御恩は一生忘れないようにいたします。