#ふるさとを語ろう
【初のコレ受け】アンメットでも残る能登の記憶
大抵のことは忘れてしまうけれど、大切なことは心のどこかに残っている。私の最大の関心事は能登半島地震の風化だ。2024年1月1日直後には、24時間テレビ取り上げられ、WEBや新聞でも地震の被害で埋まっていた。
しかし、4カ月も経つと目に触れる報道量は激減する。世間の人々は、震災は落ち着いたんでしょう、と過去の事にしてしまうようだ。現地では、まだ瓦礫の山で、被災者は明日の生活にも事欠いている。まだ水
能登半島地震で全国の地方公務員から支援を受ける
2024年1月1日16時10分に能登半島地震が発生すると、私のiPhoneは通知が止まらなかった。Facebookを愛用している友だちの8割は、地方公務員の方々だ。個別に返信できる状況ではなかったので申し訳ありませんでした。今回の記事は、心配してくださっている方のうち、地方公務員の方に特化した内容です。ほかにも自衛隊や警察・NPO・一般の方々にも多大な支援をしていただき大変感謝しておりますが、くれ
もっとみる被災しても、同情するなら金をくれと言ってはいけない
令和6年能登半島地震で被災してから、多くの皆さんに声をかけていただいた。リアルでお会いしたことのない方から、SNSでご心配のメッセージが多数送られてきたのだ。
「私に出来るかとがあれば言ってください」
今は出来ることはないが心強いと思った。地震直後は通信状態が悪かったが、少しでも回復するとiPhoneの通知が鳴り止まなかった。心からありがたい。私は忘れられていない、被災地に関心を持ってくれてい
能登へ災害ボランティアに来て欲しいのか、欲しくないのか論争
2024年1月1日に起こった能登半島地震で、石川県が発信し続けた情報だ。半島は自動車専用道路と一般道の2本で縦断されている。災害時は2系統あるので安心との触れ込みだった。自動車専用道は通行止め、一般道も何があるか分からないとなれば、正しい判断だった。
ボランティアは来ないで発災直後は、自衛隊と消防・警察車両が押し寄せ、道路は大渋滞していた。1系統しかない道路で、一方通行の箇所が無数にあったからだ
義援金はどこへ?と思っている方へ(能登半島地震の場合)
被災した方から、たくさんの義援金はどこへ行ったの?という声を聞きます。日々の生活にも事欠き、先行き不安な状況で発せられる疑問だと思います。私も被災者の視点で、説明していきます。
義援金の申請開始令和6年に発生した能登半島地震に対する石川県の義援金は、申請受付が始まったばかりです。申請が終わり次第、順次振り込まれるものと思います。
2月26日(月)オンライン申請・郵送受付が開始されました。
窓口
被災してわかった命の重さの違い
能登半島地震が起きてから、近くの小学校に避難した。母校だ。
電気が来ていた。停電している場所が多い中、ありがたい。ただし、水はない。電波状態も悪い。格安スマホをうらんだ。緊急地震速報も通知が来たり、来なかったり。娘に契約し直してと言われる。そうだね、いつか追いついたらね。いま必要な機能なのに遅いけど。
避難所には電気しかない。自宅から布団や毛布を持ち込み、体育の授業で使うマットを敷いて場所を確保
被災地の焦り〜忘れないで
被災して一番の心配事は、世間から忘れられることです。発災直後は何時間でも報道されていたのに、取り上げられる時間は日に日に減っていきます。NHKは、毎日短時間でも取り上げてくれているので本当にうれしい。
報道される量が減ると、被害が収まっているかの印象を与えるかもしれません。現地の認識は違います。地震が起こった1月1日から、町の様子は変わらないどころか悪化しているのです。
初日の地震で崩壊した建