能登半島地震とぎっくり腰
不意にやって来るが、すぐに被害が直感できるもの。
私の場合は、能登半島地震とぎっくり腰だ。ひとたび起これば大惨事かどうかすぐ分かる。
能登半島地震
能登半島での大地震は、令和6年1月1日午後4時頃に二度やってきた。地震が頻発する能登である。一度目はいつもの地震だなと高をくくっていたが、二度目の後はそうもいってられなかった。
あ、これは甚大な被害が出るな。
その場にいればだれでも直感しただろう。家屋の倒壊の危険がないか心配で、家の外に出るべきかどうか迷ったが、とにかく外に出ることにした。出てからの顛末は以前に書いた。
ぎっくり腰
地震発生後しばらくして被災地から離れた金沢市内のホテルに2次避難していたが、そのうちみなし仮設住宅としてアパート(賃貸住宅)に引っ越すことになった。避難中の様子も書いている。
2次避難で考える余裕が生まれたので、住まいの確保について早めに手を打つことができた。多少の想定外もある。2次避難が3月いっぱいで終了すると聞いたから引っ越しを決めたのだが、ギリギリになって7月末まで2次避難が延長されてしまった。あとのまつり。不動産屋さんと契約を済ませていたので、引っ越すしか選択肢がなかった。早く手を打つのも考えものか?
引っ越し当日にやってしまったのが、ぎっくり腰である。私は腰痛の常連だが、これほど明確に重症を直感する出来事はなかった。案の定、すぐに動けなくなった。引っ越しは家族に任せて、すぐに接骨院を探してもらう。対処してもらうとトイレにも行けない激痛。翌々日には症状が緩和したが、10日以上経ってもいまだ完治していない。治るまでの長さも未経験である。
令和6年は災いの年かとも言ってられない
地震と腰痛に見舞われて、令和6年は今後も記憶に残る年となった。どちらも被害を直感したのは、緊張の賜か。災難を嘆いても仕方ない。一日一日を生き延びるしかないのだ。すぐ未来のことも分からないが、今日できることをやる。住まいを確保し子どもたちの教育環境を整える。腰痛を早く治し不測の事態に動ける体制を築く。
腰痛の癒えないうちに文章を書いていて、症状を悪化させたことがあるので、今日のnoteはこれでやめておく。起こった瞬間に絶望するような事件はもうこりごりだ。
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